《推定睡眠時間:45分》
シリーズ第一作目の『X エックス』はギャグなのかホラーなのかわからない老老セックスのシーンが出てくる点を除けば田舎殺人鬼ホラーとしてとくに目新しいところ飛び抜けたところもない標準的な映画だったのこれがA24史上最大かどうかは知らないがいずれにしてもかなりのヒットとなり三部作構想が実現したことについてはいやいや『エックス』ごときが三部作になるとか意味わかんないと毎日朝起きると神棚にお祈りしながらそこに祀られた旧支配者の像に文句を言っているのですが三部作になった意味はこの『MaXXXine マキシーン』を観てわかった。
前作『Pearl パール』はドクソ田舎のつまんない生活に嫌気が差し私もいつかはハリウッドスタアと意気込むも空回りした結果田舎殺人鬼となってしまったおぼこヤングウーマンの悲劇だったわけだがこの『エックス』三部作というのはミア・ゴス演じる主人公(『エックス』と『マキシーン』は同一人物で『パール』は別人)のスタア願望が時代を超えて受け継がれやがてミア・ゴスがハリウッドスタアの栄冠を手にするまでの物語だったのだな。
というわけで今回は決着編、連続殺人鬼ナイトストーカーことリチャード・ラミレスがうろつく1980年代LAを舞台にシリーズ1作目『エックス』で生き残ったポルノ女優ミア・ゴスがハリウッドに殴り込みをかけ、知り合いの女優たちが次々と姿を消す中でスタアの階段のぼる、その行く手を阻むものどもを薙ぎ倒していくストーリーである。ジャンル的には何になるのかな。バイオレンス? 立身出世物語? ハリウッド内幕もの? まぁそのへんはなんでもよいか。
面白かった! …とも言いがたいが、かといってつまんなかった! と言うほどでもない。普通である。といっても前二作を踏まえた上での普通なのでこれ単体だともう少し印象は悪くなるかもしれない。サスペンスのようだったりホラーのようだったりハリウッド内幕もののようだったりといろんな相貌を見せるのだがどれもつまみ食い程度なので散漫になっているし一つ一つの要素が盛り上がらない。
リチャード・ラミレスがうろつく1980年代LAを舞台にと書けばなんだかスパイク・リーの『サマー・オブ・サム』のようでもあるが『サマー・オブ・サム』ほどの思索や熱気はないし、ポルノ女優の成り上がりはポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』を思わせるが当然『ブギーナイツ』みたいな技巧や深みはない。一応前二作は観ているのであぁなるほどねこことここがつながってあぁなるほどね、という面白さにミア・ゴスの魅力がプラスされてるおかげでなんとか楽しめた、てなもんだろうか。あとはまぁ生首ゴロゴロ描写と頭部破壊描写がしっかりしてるとか。
こう印象が薄くなってしまっているのはマキシーンと同じくハリウッド女優を主人公とする爆裂ホラーの『サブスタンス』を映画館で観たばかりというせいもある。『マキシーン』はミア・ゴスがハリウッドの頂点とまでは言わないが上の方っぽいところに立った場面で終わるが、『サブスタンス』はハリウッドの頂点に立っていた主人公があれよあれよと移り気な世間に忘れられそれでも本人はあの栄光が忘れられなかったがために壊れていって地獄を見るという映画なのである。
だから他の違いはすべて置いとくとして、『マキシーン』が絵空事のハリウッド賛歌に終始した映画だとすれば、『サブスタンス』はその絵空事の裏側を暴き出していく批評性の強い映画ってわけで、そりゃ後者を先に観ちゃったら前者を観てイエーな感じにはならないよな。逆にというか、だから『サブスタンス』の前座として『マキシーン』を観れば面白そうではあるが。
ましかし興味深いのはこれがA24の肝入り映画だということである。従来A24といえばハリウッド映画とは一線を画す作家性の強い低予算映画専門のスタジオのイメージで、そのために意識だけが高く知識や学習意欲は低い人たちがセンスの良い自分を気取るためのブランドと化していたから俺としてはケッと思っていたところはあるが、しかし俺個人の好みはどうあれそのアンチ・ハリウッド的な作家主義や娯楽性よりも芸術性重視の姿勢は立派であったとは思う。
でも去年のA24映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は作家性はあるけどわりかし大味な戦争ロードムービーだったし、今度なんだったか大作ゲームの映画化もA24がやるそうで、どうも最近のA24映画は従来のアンチ・ハリウッド&芸術性重視の姿勢が薄く、やはりカネの魔力には勝てないのか儲かりそうな感じの映画が多い。『エックス』みたいなかなり通俗的なホラーがヒットしたから三部作として作られることになったというのもそうした姿勢の反映に見えるし、その最終作であるところの『マキシーン』がハリウッド批判じゃあなく逆に危険もあるが夢の叶う場所としてハリウッドを称揚する内容になっていたのもそう。要は最近のA24は普通のアメリカ娯楽映画の会社っぽくなってきちゃったんである。
この流れはなんだか1970年代初頭に頭角を現した作家主義的な監督たちが70年代も中頃になると次々ハリウッド娯楽映画の監督へと転身していった流れと重なるようで、世の中の苦味を噛み締める。まぁ元々A24アンチの俺からすればそれ見たことかってなもんですがネ!