実家の如し絶望映画『笑む窓のある家』感想文

《推定睡眠時間:30分》

絵画の修復師が寒村の教会にあるなにやらおどろおどろしげなフレスコ画の修復に行ったら大変な目に遭うというイタリア映画だがそれにしても最近のイタリアンホラー『呪われた絵画』でも絵画修復師がお仕事中に惨事に巻き込まれていたしカルト映画の名作『赤い影』も教会を修復するためにイタリアのヴェネツィアを訪れた人が異常体験をするお話だったのでイタリアに修復作業に行くとあくまでも映画の中のこととはいえ本当にロクなことがない。そういえばジェームズ・キャメロンも『殺人魚フライングキラー』の撮影でイタリアに行ったら散々な目に遭ったのでこの映画をフィルモグラフィーから消したがっているという……それは関係ないか。

でこの映画、ジャッロ映画の秀作としてマニアにはそれなりに知られていたらしいものの数年前にアテネ・フランセで企画上映されたのを除けば日本未公開、それが制作から50年ぐらいを経てついに劇場公開されたわけだから長く生きていれば良いこともあるものだ。監督はプピ・アヴァティで俺にとってこの人は、というか日本のホラー映画好きの大半がそうじゃないかと思うのだが、『ゼダー 死霊の復活祭』というゾンビ映画の人である。ゾンビ映画といってもこれは別に人肉をむしゃむしゃ食べるようなものではない。イタリアのどこかにあると囁かれる死者の蘇る地を巡るミステリーで……てそれスティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』(映画版のタイトルは『ペット・セメタリー』)じゃねぇか。実際の関連は不明とあえて書いておくが『ペット・セマタリー』の発表が1983年で『ゼダー』公開も1983年とくればヒット作のオマージュ()大好きなイタホラ界がパクいやいや便乗したのはほとんど間違いない。もしかしたら逆にB級ホラー大好きなキングが『ゼダー』をパクったのかもしれないですけどね!

この『ゼダー』、アメリカやイギリスで出ているDVDだと元気よく地面から飛び出すゾンビがジャケットを飾っているのでゾンビがポコポコ湧き出すたのしい映画をつい想像してしまうが、もちろんそれは完全なるウソジャケットなわけで、実際の映画にそんな派手なところはまったくない。出てくるゾンビは一匹だけだしそれもラスト10分とかそこらのことなので人によってはクソ映画の枠にぶち込んでしまいそうだが、でもこれがイイんだなぁ、荘重なゴシックのセットやロケが素晴らしくカトリック教会の陰謀の絡むストーリーもなかなか骨太、なにより死体が蘇生して歩き出すラストシークエンスのこの世の禁忌に触れてしまって終末感すら漂う絶望ムードは鳥肌モノなわけです。

『ゼダー』ほどの大仕掛けはないとはいえ『笑む窓』の方も絶望感の深さや暴力的なまでの不気味ムードでは『ゼダー』に勝るとも劣らない。肝心の笑む窓のある家はわりあいショボいような気もするのだが、素晴らしいのはただただ不気味な劇判や囁き声や哄笑を効果的に用いた音響設計で、貧相なビジュアルやありがちなストーリーをこの音が何倍にも底上げして、たかだかイタリアの寒村で何人か人が死んだ程度の話なのにこれまたこの世の終わりを感じさせる映画となっているのであった。エンドロールまで鳴り響くあの愛や善意や勇気のすべてを破砕する地獄の哄笑は忘れがたい。

イタリアンホラーはイイナァ。なんたって救いがないですからね。俺は根暗なので救いのない映画を観るとホッとする。映画の方が俺の悲観的な世界観に合わせてくれてるように感じるんだろうな。別になんでもかんでもハッピーエンドにしてしまうアメリカの楽観的なホラーだって観るししかも好きだけれども、ただなんというかそういうのとは自分の中のポジションが違うっていうか、アメリカのホラー映画がレジャーみたいなものだとすると、アルジェント映画以外の全部が最悪のバッドエンドと言っても過言ではない1970年代イタホラは実家のようなもの、そこにはレジャーのような刺激と面白さはないかもしれないが、その代わり疲れたらいつでも帰る場所としての安心感があるのだ。

そんなような意味で『笑む窓のある家』はヒーリング映画なのかもしれない。大丈夫、さぁ、いっしょに絶望しましょう……。

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