説明台詞が9割映画『この本を盗む者は』感想文

《推定睡眠時間:40分》

本を盗むのはやめた方がいいと思うのだがその理由はこの映画によれば本を盗むと盗んだ人はその本の世界に閉じ込められてしまうからだということでいやそれ逆に盗んだ方が得に感じる人もいない……? なんてのはさておき本の中に入れるとはとても夢のあるお話、映画ドラえもんの『ドラビアンナイト』は絵本の中に入り込むことのできる絵本入り込み靴(まんまやないか)というひみつ道具が出てきて序盤はこのひみつ道具によっていろんな絵本の世界を見せていくパロディ的な展開になるのだが、これが実に楽しくF先生の物語愛とそこから生まれる奔放な創造力がスパークした素晴らしい一本であった。

本のまちとして知られる地域の資産家女子高生が本の蒐集家であった祖母の残した巨大書庫で猫耳少女と共にいろんな本の世界を冒険しつつ書庫の謎に迫る的なこの『この本を盗む者は』も設定だけ言えば『ドラビアンナイト』と同じような感じっぽくかなり楽しそうなのだが、いざ観てみるとなんかそうでもない。さすがに台詞が多すぎないか。原作が本を題材にした本ということで文字情報を映画的に生かそうとして台詞過多になっているのかもしれないが、はたして人が喋っていないショットが存在するのかというぐらいとにかく登場人物が喋りまくるのだから疲れるし、それも詩的な台詞とかならまだわかるのだが状況とか設定とか心情とかを説明する説明台詞ばかり。鈍感な観客に対する配慮だとしても行きすぎじゃないだろうか。

こっちが何かを感じ取ったりムードに浸ったりする間もなく次から次へと急展開な俺置いてけぼりシナリオもそれだけなら狂騒的で面白いかもしれないが過剰な説明台詞とがっちゃんこするとなんだかタスクをこなしてる感が強くてだいぶ味気なくなっていたように思う。ダイジェスト感がすごいんだよな。「本の物語はすばらしい」というお話のはずなのに作り手が物語を信じていないような気がしてしまって……つまり、全部台詞で説明しなくても面白い風景とか面白い展開をそのまま見せれば観客は自分からそこに面白さを読み取ってくれるはずだ、その能力が観客にはあるはずだ、というのがたぶん物語の持つ力を信じるということだと思うんですが、それが感じられないというのは、こういう題材の映画として失敗なんじゃないすかね。物語を信じていないというか、映画を信じていないのかもしれないんですが。

それにしてもこの巨大書庫、たぶん劇中では小説とか童話とかしか出てこなかったと思うのだが、それだけが蒐集に値する本だとなるとだいぶ本観(なに?)が狭くないか。世の中には地図とか戯曲とか白書とか辞典とか哲学書とか歴史書とか説明書とか攻略本とかその他もろもろの超たくさんの種類の本があるわけで、そこに本としての優劣はないと個人的には思うし、小説の中に入るのも確かに楽しそうだがそれと同じぐらい犯罪白書の世界に入るのも楽しそうな気もする。いったい犯罪白書の世界に入ったらどんな光景が見えるのだろうか? ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』などは活字で読んでも意味不明なのでぜひとも入って目で理解したいものだ……とか夢がいろいろ広がる設定の映画ではあるが、観ててまぁまぁ楽しくはあったけれども、その夢に応えてくれる映画ではなかったなぁ。

※最近のアニメ映画だと『不思議の国でアリスと』も台詞過剰でだいぶ興が削がれたのだが、なんであろうか、最近のアニメ脚本家はすべてを台詞で説明しなければという強迫観念でもあるのだろうか。

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments