《推定睡眠時間:15分》
主人公であるところのお母さんの二の腕が太い! イタリアの映画なのでこの人はイタリア人だと思われるが日本人基準で言ったらプロレスラーレベルの二の腕であり、ここまで二の腕が立派に育ったということはきっとお肉とか牛乳を日頃から沢山食べているんだろう。お肉とか牛乳を日頃からたくさん食べている食欲旺盛な健康体なら性欲も強いに違いないのでしっかり三人の息子を産んでいるが(しかも二回は帝王切開というから気合いが入っている)それでも足らずに四人目の子供として今度はどうしても女の子が欲しいと言う。性欲が深い人は情も深いのだろうか。ということで主人公は今度は間違いなく女児を獲得するために養子縁組の話を勝手にどんどん進めていくのだが……というのがこの映画『ヴィットリア 抱きしめて』だった。
どうして女児が欲しいのかというとこれがよくわからない。主人公の話すところによれば女児と手を繋いで歩いてる夢を見てそのときに幸せな気分だったとかなんとか。どうにも要領を得ないがまぁ中年の危機ってことなんだろうなたぶん。別に不幸な状態にあるわけではないしそれなりに満ち足りた生活を送れてるとさえ言えるのだけれども、人生の折り返し地点に差し掛かって自分の望んだ人生ってこんなだっけ……? とかなるわけである。ちょうどそのときに主人公は女児と手を繋ぐ夢を見たのでそれで昔のことをぶわっと思い出したのかもしれないな。昔はああしたかったしこうしたかったしあんな将来が待っていると思っていたのに的な。それを少しでも取り戻すための象徴として女児がいるわけだ。
いやあんたのそんな事情知らんよ、そんな個人的な理由で文書偽造にまで手を染めて養子を迎えようとしてしかも女児限定とかどうなんですか、子供はお人形さんじゃないんだし……とか思うのだが、でも親ガチャとか言うように子供は親を選べないけれども、親もまた子供を選べないんですよというラストに至り、そうか、まぁ人生そんなもんかな、となった。子は親を選べず親も子を選べないが、その選べない中で関係を取り結ぶというある種の不条理が家族なるものであろうし、少なくとも2026年現在では人間は母親以外から生まれることができないので、その不条理な関係を受け入れるということが人生の肯定ということになるんだろう。
主人公の肉食系らしく後先考えずすべてが自分都合のエゴ剥き出しっぷりを眺めながら大丈夫かこの映画と思ったりもしたが最終的にはそんなような映画である。不条理とままならなさを受け入れることで人生を肯定しよう、共に生きていこう、とまぁそんな具合でさながら『8 1/2』のラスト、「人生は祭りだ。共に踊ろう」である。そういえばこの映画でも自宅で踊り結婚式で踊りとやたら踊っていた。さすがイタリア、ラテンの血だ。
※主人公の夫や採血をする時にすごいイヤそうな顔で注射器から目を背けるショットがなぜかやたらと記憶に残る。こういう本筋とは全然関係ないところで顔を出す人間のリアルみたいの、イイですよね。