ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選(2023)感想文

渋谷TSUTAYAがついにレンタル事業を今年限りで終了するという衝撃ニュースが入ってきてしまいせっかくのお盆休みなのにここ数年で最高の気分の落ち込みを経験してしまった。いやファスビンダーと関係ないだろと思われるかもしれないが配信リリースがなかなか進まないファスビンダー作品をレンタルVHSで比較的多く取り揃えているのは渋谷TSUTAYAである。これを書いている時点では今回のリバイバル特集上映に合わせてファスビンダー関連作コーナーなども作成されており、ファスビンダーという監督を理解するにちょうどよい民間の映画教育施設としての顔も持っていた渋谷TSUTAYAがレンタル撤退ということは、ファスビンダー等々コアな映画を好む層にはかなりの打撃ではあるまいか…しかしここはあくまでもファスビンダー傑作選の感想を書くコーナー、しょせん俺が決めたことだからルールなどいくらでもねじ曲げることができるが、とはいえ今回上映される三作、『マリア・ブラウンの結婚』『不安は魂を食いつくす』『天使の影』の感想を書いていこう。

『マリア・ブラウンの結婚』

《推定睡眠時間:0分》

ファスビンダー傑作選と銘打っているからには外せないでしょうという代表作。終戦直前から物語は始まり戦後ドイツの精神的復興を告げるサッカーのなんとか試合の勝利で幕を閉じる。ところがその右肩上がりに反して主人公マリア・ブラウンは死に向かっていく。敗色超濃厚な中、間断なく続く砲撃で今にも崩れそうな廃墟のような建物で結婚したこの人はドイツの戦後を生き抜こう生き抜こうなんとしてでも生き抜いて戦地から帰らぬ夫と再会しようとして様々な男性を渡り歩いていくのであるが、そのことで彼女が経験するのは精神の荒廃とかではないというのが最近の甘っちょろい人間性回復映画の作り手なんか違うファスビンダーのストリート感覚である。

マリア・ブラウンの戦後ドイツ渡世は確かに過酷だったかもしれないが彼女はその中で幸せだった。精神と肉体の両面での窮乏にあって彼女は帰らぬ夫との真実の愛を確信することができた。しかし戦後ドイツが復興を遂げ社会が豊かになると彼女はもう真実の愛を確信することはできなくなってしまうのだ。科学的根拠のあるものか俗説なのかは知らないが人間は死に瀕すると子孫を残そうとして性欲が強まるなどと言われているが、死を覚悟せざるを得ないほどの絶望状況に追い込まれて初めて人間は真実の、無償の愛を感じまた与えることができるんではあるまいか。

それが絶望の見せる幻想なのか、それとも豊かさが人間の愛を見つめる眼差しを曇らせるのかはわからないが、たしかなのはあの素晴らしき愛をもう一度感じるには絶望の底に堕ちるしかないらしいということだ。そしてマリア・ブラウンは豊かになった戦後ドイツで愛なき余生を送るよりも、愛に満ちた絶望を生きることを選ぶんである。豊かさはイコール人間の幸せのすべてなのだという当世の主流思想の完全に真逆を行っていてサイコー。

『不安は魂を食いつくす』

《推定睡眠時間:0分》

まず主人公が色気とか魅力とか全然ない普通の萎れたオフィス掃除婦のババァというのが素晴らしいのだがこのババァがたまたま訪れたやさぐれバーでハンサムな黒人移民整備工と出会いその日のうちに結ばれるというおとぎ話のような出だしがまた素晴らしい。現代人は愛イコール豊かさと誤認するほど精神的に貧しくなっているのでははぁこんな恋愛が成立するはずないから整備工の方はきっとババァを騙しておるのだな、などと邪推するに決まっているが(俺はした)、そんな思考の貧しいつまらない捻りはこの映画にはない。整備工は社会からは差別され自分は酒とギャンブルに溺れる希望なき現況を変えたかった、ババァは既に成人して家を出た子供たちから邪険にされ孤独の中でただ漫然と生きている哀しみを一時でも忘れたかった。その絶望が二人を結びつける。ここでも絶望は真実の愛の条件なのだ。

ドイツ白人ババァと黒人意味労働者の一般的に考えれば奇異な組み合わせは周囲のカスどもの好奇と嫌悪の視線を浴び二人は行くところ行くところ、いやどこへも行かず家で穏やかな時を過ごしている時でさえ騒音で近所迷惑ですなどと住民に警察を呼ばれるなどの嫌がらせを受ける。こんな理不尽がどうして! ただ愛する人と一緒にいたいだけなのに! だが劇的な変化はむしろその後に起こる。野次馬的差別というのは所詮薄っぺらいものなのできわめて些細なことで周囲の二人を見る目は急変化、二人もようやく生きやすくなったかと思われたが差別の緩和は絶望以外の共通項を持たない二人にとって愛の終焉を意味する。

差別されているからこそ人は人を愛することができるというこの劇薬的な皮肉は、現代社会のマジョリティに理解されることはないだろう。嫌な気分になるだけだから見ていないが、おそらくネットで感想を探せばこの映画が過酷な差別が純粋な愛を壊す映画ということになっているはずだ。事実はその逆なのだが、愛よりもカギカッコ付きの「正しさ」が優先される世の中で、ときに正しさに反する愛はその存在を許されない。正しいものでなければそれは愛ではないという言説に残酷さを感じることができる人がいったいどれだけいるだろう?

ブレヒトの反演劇に強い影響を受けているファスビンダーはここでブレヒト言うところの異化効果を積極的に狙っている。主人公ふたりが彷徨うように通り抜けている日常の至る所で人々棒立ち、マネキンのように主人公たちを眺めたりしているが、そのことで凡庸で見慣れた風景は一転して異界と見え、登場人物は観客の感情移入を拒んで見知らぬ人物となる。視点の同化先を失った観客は動揺させられるが、その作劇もまた観客の感情移入をなによりも最優先しエモーショナルを生じさせようとする現代映画の対極にあるもので、おそらく今の観客はこの映画を観ても無理矢理感情移入をしてしまってしっかり動揺することさえできないんじゃないだろうか。動揺は精神と思考の豊かさを持つ人間だけが経験できる。その逆説もまたファスビンダー的である。

ちなみに元々演劇人であるファスビンダー本人も主人公の粗野な義理の息子役で出てなかなかユーモラスな芝居をしてます。

『天使の影』

《推定睡眠時間:50分》

スイスの耽美派ダニエル・シュミットがファスビンダー脚本を映画化。こちらもファスビンダー本人が娼婦の暴力夫として出てきます。デカダン耽美派のシュミットと反演劇ストリート派のファスビンダー…めちゃくちゃ興味深い組み合わせであたかもポール・デルヴォーの夢幻絵画世界を漂うような映像は魅力的ではあるが、やはりファスビンダー脚本との食い合わせは相当悪いように見え、ファスビンダーのやさぐれ感とシュミットの幻想味がお互いに惹かれながらもお互いに食い合って無になるというなんだかファスビンダー映画そのもののような作品になってしまった。その意味でやはり興味深いところはあるのだが、それ以上に眠い。

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