『私の少女』を観た!『私の少女』を観た!(ネタバレあり)

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スラリと伸びた胴体に胎児のまま成長したような顔が載り、ペ・ドゥナとゆー女優さんはなにか妖怪じみたところがある。その危うさ不安定さがまったく堪らないエロさ。なんか、透明に倒錯してるんだよ、この人。
そのペ・ドゥナが左遷されたエリート警官になって過疎の漁村に地元警察の新署長としてやってくる。野卑でキッタネェ田舎ものの好奇の視線にさらされるドゥナ。もうその段階で、エロい。

さてドゥナは赴任早々、道端で一人で遊んでる不気味な少女に出会う。誰だろう?ドゥナが歩み寄ると、少女は田園の奥へ消えてしまった。そして夜。のどかな田園風景に少女の泣き声が響き渡る…。いったい、この村なんなんだ?
まぁ韓国映画だから、ドス黒い秘密が隠されてるに決まってるか。韓国映画は暗黒映画。

過疎に悩む村の唯一の希望は、どこからともなく外国人労働者を連れてくる若者(つっても30越えくらいだが)だった。コイツがいるから村は辛うじて存続してる。あの不気味な少女は彼の養子。やがて明らかになってくる。
若者とその母親は少女を虐待してるのだが、若者を失いたくない村人たちは見て見ぬフリをしてんのだった。ってなわけでドゥナは少女を救うべく奔走するが、さてどーなるか…。

脚本が良い。田園風景にこだまする少女の泣き声、というあたり横溝正史的に始まるが、話は韓国の社会問題をモザイク的に取り入れつつジャンルを横断して展開していく。
一応主軸はミステリーだが単純に見えた問題が実は複雑に絡み合ってどうにも解きほぐしがたいことが次第に判明、善悪の境界が無効になっていく後半は社会もミステリーもどこかへいって人間の業と生を炙り出す。

俳優ではなんつってもペ・ドゥナが素晴らしく、ジジィババァがカラオケ歌って踊り狂うコリアン宴会に無理やり参加させられたシーンのイヤそうな顔なんて最の高。あの無表情で野卑な男ども毅然と立ち向かう姿なんか惚れ惚れするな。
のどかな田舎をエリート警官がかき乱すという話だが、それが淡白な演出でも自然とスリリングに成立しちゃうのはドゥナだからなのだった。

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そのドゥナに救われる少女がキム・セロン。最初オバケみたいな風貌で現れるがドゥナとの交流を通じてどんどん可愛くなって、大人の女の顔すら見せるようになる。
その危うさ。ドゥナの危うさと相乗効果で二人が画面に収まると映画が歪む。セロンとドゥナが一緒にお風呂に入るシーンの背徳感。エロと緊張。ここだけでそれまでの展開がひっくり返るような名シーンだ。

綺麗な風景とのどかな人々。こういうのを見ていると田舎も悪くないなと思えてくる。映画は大仰なことをしないで田舎の日常風景を繊細な手つきで積み重ねてく。ドゥナの目には異常な事件や人々も、土地の人間には単なる日常なのだ。

その静かな断絶が水面下でサスペンスになる。倦怠の裏側になにか張りつめた空気がある。田舎の倦怠と苛立ちを一人で体現したような少女の父親ソン・セビョクの母親が駆る荷台付き三輪原チャリの、その静寂を切り裂くヒステリックなエンジン音の不快に気付いた時に、なんでもない日常はもう還るべき日常ではなくなってしまう。その風景をつぶさに観察してみると、自分の存在を揺るがすような巨大な証拠の断片が至る所から現れてくる。

実はドゥナはレズビアンで、ソウルでエリートコースを歩んでたが、それがスキャンダルとなって左遷されたのだった(性の問題に関して韓国社会は容赦がない)。
そんななワケでドゥナは心を閉ざし、そこにやってきたのが件の少女。少女は自分を虐待親父から助けてくれたドゥナが大好きになって、ドゥナも少女をとても可愛がる。

でも、少女を知ろうとすればするほど、ドゥナは彼女のことが分からなくなってくる。情緒不安定で何を考えているのか読み取れない。自傷癖もあるらしく、どうもドゥナに会いたいがために自分で自分を傷つけて、虐待されたとウソをついてるフシがある。
少女はドゥナに似せて髪を切った。そしてちょっと普通じゃなくらいドゥナに愛情を示す。虐待と孤独から来たものだとドゥナは自分を納得させようとする。でもこんな不安も脳裏をよぎる。この娘、私を恋愛対象として見てるんじゃないか?

ドゥナは必死にその考えを振り払う。そう考える自分が彼女を性的対象として見てるように思えてしまって、自分を嫌悪する。ドゥナは少女を拒絶した。
けれどもドゥナは少女へのシンパシーまで捨て去ることはできなかった。そして退屈な田舎の生活を守るための不法移民の搾取に嫌気が差して酒に溺れる毎日を送っている少女の父親にも。
ドゥナも過去と孤独を忘れるためにアル中になっていた。それはまた少女同様に自傷行為でもあるのだった。

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少女を守るために父親と闘えば闘うほど、ドゥナは自分を傷つけて追い込んだ。少女を拒絶すればするほど、自分を拒絶することになった。全てがボロボロと崩れ去って行く気がした。
少女を虐待していた祖母が事故死した。ドゥナは直感的に分かった。事故じゃない。少女がやったんだ。なぜって、私は彼女と同じだから…。

若い警官がこんなことを言う。「あの少女、不気味っすよね。腹が読めなくて…」それは多分、ドゥナ自身もかつて言われたことだろう。レズビアンとしての自分を必死に隠して出世のために男どもと渡り合ってきたんだから。
誰にも理解されないその孤独。出世のために自分を殺して得たものはなんだったか。一度は見捨てた少女の下へドゥナは走った。対面。二人で笑う。

少女にしか分からないはずの孤独と狂気と罪を、こうしてドゥナは自分のものとして、自分の中に見出すことで受け入れた。
そうでしか少女は救えなかったが、それはまた自分を救うことでもあった。二人は救われて、業の中で同化する。

悪を追う者が悪になる展開は韓国映画で珍しくない。濃い人間関係を求めるコリアン交際はお互いに相手の心の最深部まで降りていかざるを得ないが、そこで見出された危険なものは、その関係の濃さ故にすぐさま自分にも見出される。
そう考えるとこの映画もとても韓国映画らしいと思うが、それが救いに転化しているのがすごいところだ。その救いが社会に背を向けることによってもたらされる、というのも。

雨の中、車を走らせるドゥナの傍らで少女が笑ってる。二人の行く末は楽なもんじゃないだろう。世の中が素顔のままの二人を受け入れることは多分きっと永遠にない。
でもお互いにそれで良いと思ってる。二人だけの世界に彼女たちは唯一の光明を見つけたのだ。男社会の中で犠牲と献身を強いられてきた彼女たちが辿り着いたのはそんな、切なくも苛烈なハッピーエンドなのだった。

ストーリー的には全然違うが、この感じ、橋本忍脚本の『影の車』とか『羅生門』とか『砂の器』に近いものがあったかもしれない。いや『幻の湖』か『八つ墓村』と言うべきか。
モラルや合理性の欠片を寄せ集めて全体を眺めてみたらそこには見ている本人の深層に沈んだ不合理な業が映し出されていた。その不合理を自分自身の本来の姿として解き放つこと。社会からの逸脱はこうして人間性の回復へと転化するが、それは橋本忍が挑み続けたテーマなのだった。

2019/6/21:読みにくかったので多少修正しました。

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ペ・ドゥナがまだ新人の頃に出たポン・ジュノの劇場デビュー作。『私の少女』はこれみたいにポップで笑える感じじゃないですが、脚本の作りなんかはよく似ていたように思う。

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