映画ポエム感想文『判決、ふたつの希望』(途中からネタバレあり)

《推定睡眠時間:0分》

たとえ表面的にでももうちょっと調べてから感想を書くべきじゃないのかとも思ったがそのようにして訳知り顔の中立感想を書いておもしろい映画でもないので無知の無知を全開で勢いでポエム的に書き飛ばすぞそうしたところでべつにおもしろい感想にならないとしてもだ!

レバノン! どこだろう! よくわからない! よくわからないところにあるレバノンの映画だ! たぶん砂っぽいところにある! なんか映像砂っぽかったから!
主人公はふたりの男! マイケル・キートンを若干強張らせたみたいな右翼の人とトミー・リー・ジョーンズを更に枯らしたようなパレスチナ難民の人!

だがそこで早くもつまづく! どっちがパレスチナ難民でどっちがレバノン右翼なんだろう! セリフからするとマイケル・キートン風の自動車修理屋がレバノン右翼でトミー・リーっぽい建物修繕なんかの現場監督がパレスチナ難民だ!
しかし! しかしである! これはたいへん奇妙なことなのだがセリフと映像でかなり親切に(複雑な構成だが説明も展開も丁寧な案外親切映画なのだ)そうと説明してくれているにも関わらず脳は混乱を来す!

自動車修理屋は極右政党の熱烈な支持者! 仕事中も扇動家の党員のパレスチナ難民追い出せ的なアジ演説をずっとテレビで流してるからガチ! ビデオ録画かなんかして何度も見てアジ演説覚えてるから扇動家のセリフを映像に合わせてそらんじるくらいガチ! うわぁ!

だがしかし俺はその光景を目にしてこの人がパレスチナ難民かなぁとか思ってしまったのである!
なぜかと言えばそこにあるのはあまりにも超ストレートなヘイトだからヘイトを装った反語的な反ヘイト、敵を真似ることで敵の愚かを炙り出す皮肉めいた怒りの表出のように見えたのだ!

そうすると今度は現場監督の方がレバノン人に見えてくる! これはどうしてだろうか! すこし考えてみたのであるがひとつには彼の仕事が修繕だからである!
もうひとつは! この生真面目な現場監督は! 瞳にずっと怒りを湛えているのであるがその秘めたる怒りこそ、常時ブチ切れているというのではなくて普段は普通に仕事とかしているが実は毎日少しづつ怒りを溜めていて政治集会やデモの一点で一気に爆発する類の怒りこそ、現代的な極右に多々見られる怒り類型に思えたのだ!

おもしろいですね! ちゃんとセリフで君たちパレスチナ難民は云々とか説明するんだよ! でも画を見てるとどうも反対の印象を受けてしまうんだこのふたりは!
こうしたズレはひとえにレバノン無知に起因するものですがしかし結果的に! 結果的にそれでよかったんじゃないかと思わなくもないのは!

しかしそれ以上はネタバレになりそうなので以下バレ込み感想として一応分けておく。書き飛ばしと言いつつ意外と冷静なところもある。

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でもネタバレもなにもあったもんじゃねぇよ邦題でふたつの希望って言ってるんだからもうなんかだいたいわかるだろうって感じですが最終的に無罪になるわけですなんの無罪かというとレバノンの自動車修理屋がパレスチナの建物修理屋に「シャロン(首相)に殺されてりゃあよかったのにな!」とか言ったら建物修理屋ブチ切れて腹殴ったらわりと歳食ってるように見えたが意外と力が強かったので自動車修理屋肋骨二本折る、あと因果関係はよくわからないがその直後に妻が早産になって愛する第一子が未熟児として出てきてしまったのでうわもうこれ完全にあのパレスチナ人のせいだわって感じで訴える(控訴?)のですがその判決が無罪、事実としては。

けれども意味するところとしては喧嘩両無罪っていうか両じゃないわ裁判に関わったあるいは裁判を見た全員に対しての象徴的無罪だなこれ。
誰も悪くない。誰も悪くないということはつまり有罪無罪で人を切り分けることができないということであるから友敵もわけることができないのであるというわけで自動車修理屋も建物修理屋も歩んできた人生と身に纏う民族の歴史は違うが今までに受けてきた精神的ダメージの質で言えば結構似たところもある、姿形ではなくて質で痛みを見たときに不毛な殴り合い止められる可能性あるんじゃねえかとそのような意味でふたつの希望、この希望は自動車修理屋と建物修理屋ではそれぞれ違う種類の希望だが語の上では同じ希望なのであった。

裁判映画にあって裁判映画に非ずだ。だってもう裁判始まる時点で自動車修理屋の人もう面倒くさいからいいわってなってたからね。なってたんですけど右翼の豪腕弁護士があのパレスチナ野郎とっちめてやろうぜってけしかけるから自動車修理屋の人つい乗っちゃう。この人はとにかく乗せられやすい。

で同じことが被告側の建物修理屋の人にも起こった。こっちはこっちでもう面倒くさいからいいわってなってたのに人権派(反イスラエル)の弁護士がやってきてあんたら間違ってねぇよ! このままじゃ禁錮ウン十年とかになっちゃうから絶対弁護するわ! ってなる。この弁護士ふたりは反目し合う親子であったと後に明かされズコー感が出る。

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って感じで原告も被告もハナっから裁判に消極的な上に裁判の途中で被告の建物修理屋が原告の自動車修理屋に法廷の外で自ら目には目を的に殴られてついでに謝ってしまった。
もともと自動車修理屋が建物修理屋に要求していたのは殴ったことに対する(これももっと象徴的に捉えるべきだろう)謝罪だけだったので判決が出るまでもなくふたりの間で決着はついていたのだ。これでおあいこ。

それでじゃあ、本人たちの間で済ませりゃあいいことに弁護士とかマスコミとか政治家とかが軽はずみに首を突っ込んできて個人的な紛争を国内を二分する政治問題にまで発展させてしかもそうなったら手のひら返しであっさり手を引いちゃったりしてまったく権力を持ったやつは愚かだなぁという話かというとそうでもないというかそこから鮮やかに映画は方向を変えるのだ。

個人的な紛争を個人レベルでしか捉えないのならどうあっても自己責任論に行き着くほかないだろうし、それは問題を生んだ土壌には手を付けない臭いものに蓋作戦でしかないのだろうし、臭いものの重しになるのは革命の可能性をハナから欠いたポピュリーな権力批判と表裏一体を成す溜め息混じりの現状追認なんだろうしだ。

いやそうじゃないだろうって映画だと思いましたよ俺は。それじゃ何も変わらないだろう的な。個人的なものはすべて社会的なものだ的な。社会的なものはすべて個人的なものだ的な。だとしたらその社会におけるたった一つの傷害事件でさえ人種も民族も宗教も関係なく社会を構成する全員に罪はあるべきなのではないか的な。あるいはその痛みは全員が異なる形象で分有しているんじゃないか的な。

転がってる情報ならなんでも燃えるゴミの日に出せるネットの世界では今日もまた某新潮社を巡ってカンカンガクガクボーボーボーと有罪か無罪か敵か味方かといろんな人が燃えている。火元の小川某が語るのはある種の痛みであったが火を投げる方が語るのもまた痛みであった。その痛みを繋ぐことは本当にできないのだろうか。痛みを共有することでの共存の可能性はないのか。

いやそんなどうでもいい話とレバノン/イスラエル/パレスチナ&イスラム教VSキリスト教ついでに世代間闘争の超複合問題を同列に並べるなよという気もするがだから違うんだよ並べるとかじゃないんだよ! そのなんていうか物質的思考から一旦離れろ君たちは! こういう! 取るに足らない! 一見無関係の個別的な問題の! その小さな痛みから! より大きな痛みへと帰納的にたどり着くことができるんじゃあないか! そのようにしてわれわれは圧倒的な他者を理解することなく共感することができるんじゃあないか!!!!!!

勢い余ってビックリマークをいっぱい付けてしまいましたがそれぐらいパワフルな映画だと思いましたよね。全員有罪! 全員痛い! だから全員無罪! これで全員痛くない!
そんなものは理想主義だとしてもレバノンの実情知らない勢でもおもしろいコンセプチュアルな映画なんだから理想で別にいいだろ。

【ママー!これ買ってー!】


否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い (ハーパーBOOKS)

映画にもなったのですが映画版はまさに否定と肯定が(そして良いやつと悪いやつが)綺麗に分離された内容で、裁判ノンフィクションだから原作の方も大筋で違いがあるわけではないのですが、ホロコースト否定論者に対峙するシオニストの歴史学者デボラ・E・リップシュタットの私的な語りがやがて両者の境をあやふやにしてしまうようなところが映画との最大の相違点。

最後の方に出てくるリップシュタットのパレスチナに対する意見表明は『判決、ふたつの希望』を踏まえるとメンタルダメージが大きいが痛いぶんだけ、逆説的に『判決、ふたつの希望』のメッセージを肯定し補強するのではないかと思うので副読推奨。

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匿名さん

ズコー感!あはは!こんにちは。
原題が「侮辱」で、邦題が「希望」で、この禍転じて福となす的な脳内変換に感心しました。
〝中国製〟のエピソードが好きです。

法廷劇って、面白いですね。だんだん好きになりました。

さるこ

「野球の試合見れへんやないか!」って怒るやつですね。
(いや、その怒れるではない)

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