《推定睡眠時間:25分》
知らんわそんなもんお前の都合だろみたいなタイトルなのだが気持ち似たようなタイトルの映画でも『人が人を愛することのどうしようもなさ』とかは邦画屈指の名タイトルと思えてしまうので言葉というのはちょっとした違いで大きく意味が変わってきてしまう危なっかしいものである。それと同じようにたぶん映画も良い映画と悪い映画の違いというのは一般的に思われているほど大きなものではなくて、ほんの微細な違いがそれだけで良い映画と悪い映画を分けてしまったりするのかもしれない。こんな書き出しであるからにはあんまり良い映画ではなかったと言いたいことが隠しきれずモロバレである。
映画はこのように始まる。キラキラ映画では定番の通学電車内でカッコイイ同い年の男子を見つけて毎日ドキドキというシチュエーション、画面に映し出されるこの光景は綾瀬はるかの高校時代の記憶であった。今は一児の母&スモール菜園の野菜を使ったミニ食堂を経営して順風満帆っぽく見える生活を送るアダルト綾瀬はるかだが、娘からするとどうも夫の妻夫木聡との関係が上手くいっているように見えない。妻夫木聡はとにかく毎日不機嫌でやたら酒を飲むし綾瀬はるかに命令口調でああしろこうしろなのだが、綾瀬はるかは反論しないばかりかイヤそうな顔一つしないのだから不思議である。
さて女子高生時代の綾瀬はるかが恋をしていた通学電車の同世代男子というのはなかなか有望そうなボクシングの選手であった。同じジムに通っていた菅田将暉も今はプロボクサーとしてタイトルを狙う実力者。ということで綾瀬はるかがミニ食堂を切り盛りしている頃、菅田将暉は試合に向けてトレーニングに励んでいた。あれそれじゃあ肝心の通学電車の同級生男子は今どうしているのだろうか。コミュニケーション下手で父親の佐藤浩市とはまるで口をきかないこの人、実はこちらはこちらで通学電車で見かけた女子高生時代の綾瀬はるか(演じているのは別の人)に惚れており、お互いに片思いでドキドキしていたのだが、ある日のこと悲劇に襲われ……。
邦画の恋愛ヒューマンドラマみたいなジャンルには人と人との時間と空間を超えた繋がりというのを描いたものがわりとあり、その代表的なものは『8年越しの花嫁 奇跡の実話』とか『君の膵臓をたべたい』でしょうけど、『人はなぜラブレターを書くのか』もまたその手の群像劇。手紙を介した繋がりという点では『ナミヤ雑貨店の奇蹟』とも近いかもしれない。ただそれらと比べるとこちらは上手くいっている気はあんまりしない。うーん何が良くないんでしょうねぇ。シナリオが良くなかったのかもしれません。
発想としては綾瀬はるかの片思い相手を中心に様々な人間模様がーみたいな感じなんでしょうけど、どうもこの片思い相手の掘り下げが浅く興味深い人と見えないし、たとえば『市民ケーン』みたいにいろんな人の証言を通して人物像が立体的に浮かび上がってくるというわけでもない。物語の中心となるはずの人の吸引力が弱いというのは既にダメなんじゃないかと思うわけですが、その周辺を彩る綾瀬はるかのドラマも定型の域を出ないもので取り立てて面白くないし、このパートは大半寝ていたので偉そうなことは言えないとはいえ、菅田将暉のパートなんか「それ必要?」ってぐらいベタで薄っぺらかったと思う。
設定や描写も弱いし台詞も机の上で考えましたーみたいな感じでどうにも身が入らない、いやリアリティがないとかそういうことが言いたいんじゃなくて、リアリティないですけど、リアリティなんかなくてもいいけどその台詞の裏に個々人のドラマや感情が感じられるようではあってほしかった、そういうのが映画とかドラマの良い台詞だと思ってて、でもこの映画にそういうの本当になかったんですよ。群像劇のシナリオ形式がとくに何もシナジー的なものを生み出さずに個々人のドラマを薄めているだけに見えたのもあって、だからシナリオがダメだったんじゃないかというのはまず第一に思ったことで。
でもそれだけじゃないかもしれないな。菅田将暉はタイトル戦に挑むボクサーだからボクシングのシーンが出てくるんですけど、その挙動はタイトルに挑戦できるぐらいのランカーには全然見えない。だからタイトル戦どうするんだろうなと思ったら、なんか試合が始まったら写真でカシャッカシャって撮ってる効果音の付いた菅田将暉のストップモーションが何度も挿入されて、されてる内に相手をKOしたことになってたりして、いやその表現はさすがに逃げ道じゃないですか!? ていう。ボクシングのタイトル戦を説得力のある形で演出するのは難しい。ましてやこの映画はボクシングが主題でもないのでお金も時間もかけられないというのもわかる。でもさぁ……そしたらなんか、試合が始まったらそこで場面を試合後に一気に飛ばして、そこでの描写なり台詞なりで試合の結果を伝えればいいんじゃない? とか思うわけで、これはシナリオに一捻りが足りなかったとも言えるし、演出に工夫がなかったとも言える。
なんか、そうだな、だからなんか、仏作って魂入れずとかよく言いますけど、群像劇型の恋愛ヒューマンドラマの鋳型だけ作ってそれに相応しい中身は入れられなかったっていうか、そもそもその鋳型も丹念には作られてなくて結構雑っていう、あれなんかそしたら良いところないじゃんみたいな感じになってしまうんですけど、全部悪いとは言わないまでも、デカい声で「ここは良かった!」って言えるところも無かったわけで、そういう、そういう映画だったと思います。タイトルになってるラブレターを書く行為にも別に重きが置かれてないし……ダメじゃん!