《推定睡眠時間:50分》
この映画、本公開に先立ってイタリア映画祭で上映された際の紹介文に香港カンフー映画へのオマージュ云々と書いてあったような気がするのだが、それを読んでいかがなものかと思ったのが138分という超大作な上映時間。そもそもアクション映画として長すぎるというのもあるが香港カンフー映画のオマージュを込めて138分ならこの監督は香港カンフー映画が別に好きではないんじゃないだろうか。だって香港カンフー映画なんて80~100分台が基本だろう。それより短くなることはあるだろうが長くなることなんか滅多にないと思うし、もう編集でガンガンカットしまくるからストーリーなんか魚の骨ぐらいしか残ってないこともザラじゃないですか。あくまでも庶民向けの安い娯楽というのが香港カンフー映画なのであって、観客の生理よりも監督の意向を重視して138分なんてのは香港カンフー映画の世界では考えられないことだ(ジャッキー・チェンの『ミラクル/奇蹟』という例外中の例外もあるが)
というわけで香港カンフー映画のオマージュとか継承とかそういうのはほとんどない映画だった。一人っ子政策下で生まれた二人目の子供のため家族に隠されて育った中国東北部のカンフー使い(この設定のためか中国では公開されていないらしい)が行方をくらました姉を追ってローマへとやってくる、するとどうも姉の失踪にローマに進出したチャイニーズ・マフィアが関わっていそうだ…ということがわかってローマ黒社会と戦う羽目になり、その過程で知り合ったイタリアン・マフィアの関連人物と愛を育むが……みたいなお話なので、どちらかと言えばこれはカンフー映画よりもネオ・ノワールの文脈で捉えるべき映画じゃないだろうか。童顔の若い女の人がカンフーで戦うから『チョコレート・ファイター』みたいなものも思い出したがストーリー的には石井隆の『夜がまた来る』とか『黒の天使』に似ているし、カンフーとローマといえば『ドラゴンへの道』だが、ブルース・リー映画を意識したところも別にない(チャイニーズ・マフィアがブルース・リーの合成ツーショット写真を客寄せのために店に飾っているのがなにやら示唆的である)
だいたいこれはテーマが愛である。いろんな場所にいろんな形の愛があって、その愛ゆえに本来は戦わなくてもいいかもしれない人たちが戦って愛に殉じるという筋立てであるから、そのへんが石井隆映画をとても思わせるところなわけだが、愛なんか香港カンフー映画の世界から相当遠い概念だろう。ようするにこの映画はそういうことがやりたかった映画なのだ。大抵こういう映画では主人公は銃を武器に使うが『シャオ・メイ/ローマ大決戦』の場合はカンフーを使うというそれだけ。まぁべつに香港カンフー映画オマージュだなんだというのは日本の配給宣伝がそう言っているだけで英語題は『THE FORBIDDEN CITY』(紫禁城)とこちらも香港カンフー映画っぽさはとくにないので、香港カンフー映画というのは頭から外して観たほうがたぶんいいだろう。
ネオ・ノワール映画として観れば主演のリウ・ヤーシーは本業がスタントアクターだけあってアクションは本格的だし、やたら入り組んだ人間模様(そのために上映時間が長くなっているのかもしれない)と敵味方構わずあちこちに咲き誇っては散っていく愛が『GONIN』的なネオ・ノワールの美学という感じで、結構おもしろい。でも主人公をカンフーの達人に設定してるのにアクション的な盛り上がりどころを逃しているのはずいぶんもったいない気がしたな。なんかたとえばね、悪の親玉がピサの斜塔みたいなナリしたクラブかライブハウスに行くからってんで主人公そこを襲撃するんですよ。そしたら塔の下から上へ上へと悪の親玉を追い詰めていって屋上で決戦して最後は親玉が塔から落下して死亡! みたいなのがベタかもしれないけど盛り上がるアクション展開じゃないですか。でもそういうことをこの映画やらないんだよな。だからアクションシーン自体はそこそこあるのに妙に平板でアドレナリン出てくれない。せっかく主人公をカンフーの達人設定にしたのにそれを生かす展開や画作りができてないんじゃないすかね。
カンフー映画ないしアクション映画として観れば物足りないけどネオ・ノワールとして観れば結構おもしろい、なんかそういう感じの映画だったよこれは。だから主人公が現地で仲良くなった人と夜のローマ観光ツーリングに出かけてはしゃぐシーン、たぶんあそこがこの映画の中でいちばん輝いてたね。カンフーよりもやはり愛の映画なんだとおもう。