《推定睡眠時間:20分》
大虐殺を見逃した! た・た・田治見の大・虐・殺、と思わずドリフのテーマ曲で歌いたくなる鬼畜・田治見要蔵の村民大虐殺こそは『八つ墓村』最初の映画化作品である1977年版最大の見所、1970~80年代は邦画ホラーが低迷していた時代なのだが、『エクソシスト』以降のオカルトブームに便乗して犯人を落ち武者の亡霊としホラーテイストを前面に出した77年版『八つ墓村』以降、これで味を占めた松竹は『震える舌』、『この子の七つのお祝いに』とオカルトムードの濃厚なホラー・ミステリーを連発、1983年には『八つ墓村』のモデルになったとされる津山三十人殺しそのものをネタにしたポルノ風スプラッター実録映画『丑三つの村』を送り出すなど、70~80年代の邦画ホラーを支えたのであった。
その77年版『八つ墓村』をベースにしたこの2026年版『八つ墓村』もまたホラーとして制作されていることは監督・清水崇という人選からして明確である。そして田治見要蔵を演じるは静かな狂気の滲む滝藤賢一。清水崇はスプラッターを得意とする監督ではないとはいえ、こうなれば回想シーンのた・た・田治見の大・虐・殺! は作品最大の見せ場となっているに違いない! だがしかし、そのシーン丸ごと睡眠! ちょうど目を覚ましたところで金田一が「そのような過去もあることですし~」とかなんとか言っていたので狙い澄ましたように回想中の虐殺を見逃してしまったようだ。あまりにも不覚である。清水崇の『八つ墓村』に田治見要蔵の村民大虐殺以外のいったい何を期待しろというのか?
しかしもしかするとそのシーンは大したことがなかったのかもしれない。終盤には覚醒した田治見が村民と対決するわくわくシークエンスがあったのだが、これは血まみれ大惨事! と色めき立つや否や、そのシークエンスはとくに盛り上がることなくあっさり終わってしまった。レーティングの都合もあり人死に描写をあまり軽はずみに出せないとかもあるかもしれないが、考えてみれば清水崇という監督は人気監督のわりには今一つここぞという見せ場の演出が弱く、妙にメリハリの欠いた「あれっ、いつの間にか終わっちゃった……」みたいなホラーばかり撮っている人である。このどのへんがクライマックスなのかよくわからない作りが清水崇の平常運転だとすれば、俺が見逃したた・た・田治見の大・虐・殺もさしたる見せ場ではなかったのかもしれない。
なんといっても清水崇といえば『呪怨』フランチャイズの人であるから今回の『八つ墓村』は殺人シーンが心霊ホラー風であった。でもそのわりには殺人数が少ないのでホラー的に面白い場面も少ない。といってミステリー的に面白いかといえば、これは77年版同様にミステリーの皮を被ったホラーなので、謎解きの面白さがそうあるわけでもない。なんだかどのへんがアピールポイントなのかよくわからない映画である。ホラーとしては弱いしミステリーとしても弱いし、ついでに金田一のキャラも弱い。弱いだけで尾上松也演じる金田一はそれなりに味のあるキャラクターにはなっていたので、このすっとぼけた、ちょっとウザったい感じの金田一と主人公・辰弥(奥智哉)のゆる漫才的なやりとりは嫌いじゃあない。
しかし思ったのは、77年版のあの空気を今出すのはたぶんとても難しい。それは単純に役者の顔(の濃さ)が違うとか風景が違うとかもあるのだろうが、70~80年代の邦画ミステリーに独特の相貌を与えていた、おそらく高度経済成長期の地方→都会への集団就職や総括しきれずに残り続ける太平洋戦争の影(これは『犬神家の一族』で取り上げられた)を背景とする都会と地方の緊張関係が、交通手段の発達やインターネットの浸透によって都会と地方の距離が50年前と比べれば格段に縮まった現代では、あまりない。77年版『八つ墓村』というのは都会でシティ生活を送っていた青年が亡霊のように現れた地元からの使者によって岡山の僻地へと引き戻され、都会にはない地縁血縁そして怨念に絡め取られる、というところが何よりもホラー性を帯びていたのであったし、こうした図式は1979年の神代辰巳版『地獄』などにも見られる、この時代の恐怖の形であった。
都会というのは隣に誰が住んでいるのかもわからない空間であり、隣人は一旗揚げようと田舎から上京してきた人かもしれないし、会社の上司は実は太平洋戦争時に重大な戦争犯罪に手を染めた人かもしれないが、その素性を窺い知ることは容易ではない。だから人は清潔で先進的で自由なはずの都会でこそ不安に襲われてしまう。そこには都会がその成長のために切り捨てた有象無象が人知れず、しかし確実に、影のようにへばりついているのだ。77年版『八つ墓村』に始まる松竹ホラー・ミステリーが描き続けたのはこうした恐怖であり、それは都会と地方の距離感によって何倍にも増幅されたはずだが、翻って現代はUターン移住や農家創業支援が積極的に行われる時代なわけで、それでも都会人の田舎恐怖は依然として残り続けてホラー映画の題材にもなりはするのだが、その怖さには70~80年代のような血肉は通わないだろう。都会と地方の隔たりが大きく、地方から都会に行くことも都会から地方に行くこともそれなりにハードルが高かった時代に、地方にとって都会は恐怖の対象であり、都会にとっても地方は恐怖の対象だったのだ。
今回の『八つ墓村』は現代が舞台なのでそのへんが面白みの無さに直結してるんじゃないだろうか。だって身もフタもないけどこんなに人死んでんなら夜の新幹線かピーチエアラインみたいな格安航空で東京帰ればいいじゃんとか思っちゃうもん。77年版はそれができないからそもそも。岡山の僻地というのは出口のない密室だったわけですよ一種の。そういう時代の違いをどうもこの『八つ墓村』はあまり考慮しないまま77年版と同じようなことをやろうとしてるからなんとなくスベってる感じになってんじゃない。どうせやるならいっそ『貞子DX』ぐらい現代化してしまえばよかったのに。そうするとコメディになってしまうのだが。