オリジナル作としてやれ映画『オーメン:ザ・ファースト』感想文

《推定睡眠時間:5分》

『エクソシスト』のリブート版が公開され『ゴーストバスターズ』のリブート版も公開され今度は『オーメン』の前日譚! ハリウッドの深刻なバカ商売っぷりに呆れているところに『マトリックス5』の製作にゴーサインかしかも製作総指揮はウォシャウスキー姉かというげんなりニュースまで入ってきてしまったのでもはや呆れを通り越して怒りである。キリスト教的には七つの大罪の一つであるところの憤怒が炎となって俺のメンタルを包み込んでしまった。だが七つの大罪を犯しているのはハリウッドも同じである。すなわち、オリジナル企画の立ち上げを怠るという映画業界としてはもっとも重い怠惰の罪を…。

そんなわけで興味がないどころがむしろ積極的に観たくない映画だったこの『オーメン:ザ・ファースト』以下『ザファ』なのだが、不運なのか幸運なのか今日しか観られない映画の上映があってあちなみにそれは『ドラッグゲイター』っていうアサイラム製作の激安ドラッグ動物パニック映画だったのですがそれは機会があれば今度感想を書くかもしれませんし今のところ感想は「アサイラムだね」の一言しかないので書かないかもしれませんがそれはともかく、それはともかく! この映画とちょうどハシゴできる時間帯、ちょうどハシゴできる劇場で『ザファ』やってたものだからじゃあついでに寄っとくかとやはりなってしまうものでしてですね…ってことで観たくなかったけど観ちゃったよ『ザファ』!

あのね、よくできてた。びっくりなんとよくできた映画でございました。時は1971年、カトリック権力の強いイタリアではフランス五月革命の影響もあってかワカモンどもにより反カトリック運動なんぞ起きておりまして騒乱の時代、そんな時代そんなイタリアのカトリック女子修道院にアメリカ修道女が赴任してきます。女子寮みたいで最初はたのしい修道院生活。しかし、そこにはどういうわけか野生児みたいな扱いを受けている変な捨て子修道女みたいのがおったのです。主人公はこの少女と心を通わせようとしているうちに次第に修道院、いやカトリック教会全体の暗部へと足を踏み込むことになり、そして…ダミアン誕生の6月6日がやってきたのだ!

よくできているというのは映像もよく撮れているしストーリーも面白かったからよくできているということなのだが、ところで、リアルタイムで『オーメン』を観た人やリアルタイムじゃないがホラー趣味なので一通りビデオで観てるみたいな人はともかく今の若い人にとって『オーメン』ってどういう位置づけなんだろうか。もしかしてホラー映画史上の傑作みたいなポジションだと思われていたりするんだろうか? このよくできている『ザファ』だけ観たらきっと一作目の『オーメン』も立派な映画な映画なんだろうなーと勘違いしてしまうかもしれないのでここは太字にこそしないが気持ち的には太字で書いておきたいのだが、そんなこと全然ない。

オカルト映画ブームの火付け役となった『エクソシスト』はアメリカン・ニューシネマの流れを汲んでいるし監督もこの時期のウィリアム・フリードキンだから派手な見せ場ではなくドキュメンタリータッチの迫真の演出で見せるドシリアス&ド真面目なA級映画だが、その後に製作された『オーメン』は『エクソシスト』の二匹目のドジョウを狙ったオカルト映画ブームの便乗作であり、監督も『グーニーズ』『リーサル・ウェポン』などで知られる娯楽職人のリチャード・ドナー、要するにB級映画である。

その後シリーズを重ねるにつれて方向性は変化していくとはいえ『エクソシスト』に対抗すべく盛り込まれた『オーメン』の見所といったらジャッロ映画の影響も感じられる残酷な殺しの数々とおどろおどろしい雰囲気、そしてジェリー・ゴールドスミスによるケバケバしいテーマ曲というわけで、これはオバケ屋敷的にきゃーきゃー言いながらコワさを楽しみ翌日の学校でこんなコワい映画観ちゃったよ! とわいわい感想を話すタイプの映画なのであった。たとえがひじょうに悪いのは分かっているがあえて言えば作品の狙いとしては中田秀夫の『“それ”がいる森』と同じである。たとえがひじょうに悪いのは分かっている!

なぜそんなことを書く必要があったかと言えば『ザファ』面白かったのだがこんなの『オーメン』じゃねぇだろ感が否めなかったからなのだった。だってこれは『オーメン』の前日譚としてはあまりにも真面目すぎる。1971年のイタリア女子修道院を舞台とし主人公を単身やってきたアメリカ人に設定している点からすればこの映画がおそらくリメイク版の『サスペリア』に強く影響を受けていることはほとんど間違いない(『サスペリア』のオリジナル版とリメイク版のどちらにもある壁に隠された隠しドアが『ザファ』にも登場していた)

リメイク版の『サスペリア』といえばダリオ・アルジェントのオリジナル版は脚本が10ページぐらいしかないように思えてしまうペラッペラのストーリーをひたすら映像の格好良さで上塗りしてなんかスゴい映画と思わせてしまう騙し絵の如き怪作だったわけだが、リメイク版はたしかに映像のインパクトも部分部分でスゴイがなによりもストーリーに力を入れて、「あの『サスペリア』のリメイクでこれが!?」とホラー好きの全人類を困惑させたこれはこれで怪作であった。

この怪作がしかし、興行的に成功し批評面でも高い評価を受けたことから、『オーメン』の前日譚もこの路線でやればいけるやん! と製作陣が考えたのは想像に難くない。『ザファ』に描かれる1971年の風俗描写やリアリズム的なタッチはリメイク版『サスペリア』あってのものだろう。あるいはテーマ的にもそうである。このへんはちょっとネタバレなしには書きにくいのでぼやかすが、その表現はなんか『ダヴィンチ・コード』みたいでバカっぽかったとしても、そのせいでダミアンの謎めいた存在感が台無しになっているとしても、修道女を主人公にカトリック教会批判のテーマをやるというのはなかなか社会派にして硬派である。元々の『オーメン』は単にコワイだけのB級オカルトホラーだったからテーマとか別にないのだが。

リメイク版『サスペリア』がオリジナル版ほど即物的な恐怖描写に力を入れていなかったように(どちらかといえば前衛的であったりドラッギーな恐怖表現が多かった)この『ザファ』もまた即物的な恐怖描写には力を入れていなかった。あくまでも『ザファ』はオカルトサスペンスないしミステリーであり、映画の軸は悪魔の子ダミアン誕生の謎を解き明かすことにあるので、数少ない恐怖シーンも後ろにいる人が肩を叩いて主人公ビックリみたいなお手軽ジャンプスケアだったり、悪魔の手がにょきにょきと女陰から生えてくるシーンなどは「おおっ!」と期待させつつこれは現実じゃなくて妄想でしたとその直後にオチが付く。ちなみにこの女陰から鬼の手がいや悪魔の手が! のシーンは作り物だと思われるのに日本公開版では女陰にビッグモザイクがかけられており、モザイクから悪魔の手だけが生えてくる光景はなかなかシュールであった。そういうバカはいい加減にやめろ。

つまるところ、『ザファ』は一作目の『オーメン』のようなB級見世物ホラーでは全然ないのであった。しかもその結末は明確にリブートの起点を意識したもので、興行成績次第ではあろうが今後のドラマシリーズでの展開や更なるリメイク映画版の制作は完全に視野に入っている。結果的にシリーズが続いてしまったとはいえ『オーメン』はちゃんと一話完結の映画である。そうなるとこれは二重にオリジナルの精神(いやそんなものないのだが)からかけ離れているんじゃないだろうか? 『オーメン』名物の残酷で創意を凝らした人死には相当マイルドで怖くもなんともない安全なものに変更され、これも詳しくは書けないがダミアン誕生の絶望ではなくむしろ打倒ダミアンの希望の方を感じさせてしまうラストになっているのだから、こんなもんは怖がりようがない。

悪い映画ではないとはいえ、それならもう『オーメン』の威光は利用しないでオリジナル作品でやってほしいと思う。あと地味にこれはちょっとどうなんですかと文句を言いたいのは終盤に『ポゼッション』でイザベル・アジャーニがやってた悪魔憑き舞踏がまんま引用されてて見せ場になっていたところで、お前他人の映画の見せ場を自分の発想みたいに大事なところに持ってくるなよなーって思った。こんなんオマージュじゃないだろ、パクリだろこれは。パクリなのにちゃんとした映画ぶってるからこの映画とか最近のハリウッド映画は本当によくない。『エクソシスト』のパクリを一切隠さず、そうでありながらイタリア映画職人の創造力によって『エクソシスト』とは似ても似つかない方向の変なオモシロ映画となり、更には悪魔の子テーマという意味で『オーメン』に微妙に先駆けてさえしまった『デアボリカ』のような粋なパチモノ映画を見習ってもらいたいものだ!

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