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諸用あり最近管轄の警察署に行ったんですけど(俺が犯罪をしたとか犯罪被害に遭ったとかではなく届出とかそういうのです!)そしたらまーそこが賑やかなこと、賑やかなこと。とにかく人の出入りが激しく捜査に向かう人、帰って来る人、演習的なものに出ていく人、呼び出されたりしょっ引かれた風の人、やたらと細分化された色んな係の人が署内をひっきりなしに行き交い、宅配便など業者も大勢、そんな環境であるから静かに仕事のできる空気でもなく笑い声だの雑談だの口論だのなんらかの退任?の挨拶と拍手なども絶えないワイワイガヤガヤ。『踊る大捜査線』といえば『機動警察パトレイバー』がネタ元になっていることはよく知られているし、その『機動警察パトレイバー』は『ポリスアカデミー』の影響下に作られているのだが、これらの警察コメディで描かれた男子校ノリのやかましくふざけてばかりの警官というのは現実の警察のパロディないしアンチテーゼだろうと長年なんとなく考えていたが、どうもそうではないのだなとこの時に思った。
『踊る』シリーズは昔のテレビ版と最初の映画版とあと『室井慎次』2部作しか観てないのであんまり作品のテイストがわかっていない。だから今回の『N.E.W.』を観ながらあれ『踊る』ってこんなアルトマン映画みたいに大量のサブキャラが入れ替わり立ち替わりずっとアドリブショートコントみたいなことやってるシリーズだったっけとか雑に思ったのだが、この狂騒的な、言われてみればまさしく「踊る」と冠したくなる学園祭的ムードは、そりゃ誇張されているところはいくらでもあるにしても、本質的には実際の警察からそう外れたものではないのかもしれない。まさか『踊る』にリアリティを感じる日が来るとは思わなかった。人生長く生きているといろいろ物事の見方というのは変わるもんである。
ということで今回はおそらくお祭り編。冒頭からして大量のエキストラを動員した新宿駅周辺ロケ、エキストラを引き連れながら織田裕二が新宿の町を走り回っているので、都庁あたりはまだわかるが大ガード下交差点なんか一体どうやって撮っているのかと驚いてしまった。楽しくてイイですねぇ。絵面はテレビドラマなので安っぽいが見た目の安さに反して巨費を投じた大規模ロケ、言ってみればマクドナルドの全商品がテーブルの上に山と積まれているようなものだ。平成の世には東京で大規模ロケを敢行した『誘拐』みたいな刑事映画がまだあったが、こういうジャンクな贅沢さを最近の邦画でとんと見た記憶がない。ある程度近いとすれば『ラストマイル』か。とはいえ『ラストマイル』はシナリオ的にはミステリーであって、あまりスペクタクルを売り物にした映画ではなかったから、こういうチープなスペクタクルを映画館の大画面で浴びたのはかなりお久しぶりな感じである。
しかし序盤にスペクタクルを用意してこれは大事件だと期待させつつ、本丸の事件は意外と小粒。そういえば『室井慎次』も事件がやたらと小粒で2部作にするほどか? と思ったのだが、小さな事件かと思ったら想像を超える大事件の一端だった……というのがこの手の刑事ドラマの定石であって、それならお話が進むにつれてどんどんワクワクしていくわけである。でも大きな事件かと思いきや実は小さな事件だった……はその逆じゃない? なんかどんどん「なーんだ」って気分になってこない?
そのへんあんまり面白いものではないのだが、何年ぶりかは知らないが相当久々なナンバリング作としての『踊る』新作。おそらく脚本家なり監督なりの頭の中には『踊る』でこういうことがやりたいというアイデアがたくさん溜まってたんだろうな、なんかね、映画っていうよりはテレビドラマっぽいっていうか、ドラマ版に入れようと思ってたネタを他に放出する場がないもんだから2時間30分の映画の中にあらん限り詰め込んだっていう、今回そういう感じでしたよ。だから主軸の事件よりも併走する他のドラマ、ユースケ・サンタマリアの息子の成長とか若手刑事の進退とかAI捜査システムの登場とかそっちのが割合としては多いしインパクトも強い。ディクシー・フラットラインとして蘇る和久さんには不覚にも笑ってしまった。
あと面白かったのがたぶん初期の『踊る』って所轄VS本庁っていう田舎VS都会みたいな対立構図がドラマの基調になってたと思うんですけど、どうもシリーズのどこかでその対立は解消されたという設定になっていて、新しい対立軸としてシミュラークルVSリアルっていう押井守っぽいのが今回出てきた。この構図は所轄VS本庁よりもやや複雑で、ネットとそこに流通するシミュラークルに親和性の高い若手刑事たちがシミュラークルの持つ可能性をネットに疎い年配上司にぶつける一方、しかしシミュラークルだけでは解決できないものもあるだろうという大人の常識も当然出てくる。だから今回は快刀乱麻にこれが善! これが悪! っていう感じじゃない。善の中にも悪はあろうし、悪の中にも善はあろうしで、それを象徴するのはかつてのシリーズ作で犯人役として出てきた人物の再登板、この人たちは大抵更生しているのだが、添え物程度ではあるものの、これまで描かれてきた被害者のその後の人生、事件を担当した刑事のその後の人生に加えて、加害者のその後の人生を描くことで、善悪二元論では解決できない人間社会のリアルを提示しようとしているように見えた。
ビッグデータを活用した捜査AIにかかれば難事件も即座に被疑者が特定できてしまう。「じゃあ刑事いらないじゃん」なんて台詞も何気なく出てくるのだが、AIが人間の刑事よりも精度の高い捜査を行い、いやAIどころかネット上の特定班がコイツが犯人だと勝手に特定してしまう時代に、果たして刑事の存在意義とはなんだろうか、というのはシミュラークルとリアルの対立、というよりも混淆を通して浮かび上がる今回の映画のテーマだろう。それが作品の中でうまく提示できているかはともかくとして、おそらくこの作り手がこの映画で訴えたかった現代における刑事の存在意義とはシミュラークルとリアルの橋渡し役、間に入って調整する役、ということじゃないだろうか。
思えば刑事というのは被害者とは当然話すし取り調べでは加害者とも話す、検察とも話すだろうしその他さまざまな組織や部門の人と捜査や治安維持のために話す必要のある、言ってみれば間に入るお仕事である。コイツは気に入らないからコイツとは話さない、なんて態度を取っていたら刑事なんかぜんぜん務まらないだろうから、警察署がワイワイガヤガヤ騒がしいというのも、そうした外向性が刑事には要求されるからなんじゃないだろうか。この間に入ることというのは刑事に限らず良くも悪くも他の動物やAIには(今のところ)あまりできないヒトという種の特質だろうと思えば、所轄と本庁という対立構図を超えたところに広がっているのは「人間には何ができるか」というかなりSF的なでっかいテーマであった。
そのテーマのでっかさに表現力が追いついていないような気がするとはいえ、どうせ映画なんだしでっかいことは良いことだ、オープニングには都心一大ロケもあり、今回はとにかく(本丸の事件以外は)スケールがデカくて景気が良い。悪く言えば大味なのだが、邦画メジャー映画が難病恋愛映画みたいなスケールのちっちゃい映画ばかりになってしまった昨今、こういう大味な娯楽大作が映画館で観られるというのは嬉しいことなのだ。
※それにしても終盤に出てくる青島のスタンド攻撃(被弾)みたいなシーンは謎。あとこれは忘れずに書き記しておかなければならないのは、出演およそ10秒の内田有紀が異次元の美しさ。