カフカVSオーソン・ウェルズ映画『審判 4Kレストア版』(1962) 感想文

《推定睡眠時間:30分》

名高いカフカの原作を異才にして鬼才オーソン・ウェルズが映画化というあまりにも眩しい座組の1962年版『審判』がついに4Kリマスター版でピカピカになってリバイバル公開ということで心待ちにしていたらその日本での公開前々日にあたる9月23日、なんと東京の上映館であった新宿武蔵野館が同じビルに入っている他テナントの失火によって臨時休館となり、約1ヶ月後の本日10月21日になってもまだ新宿武蔵野館は休館中という静かな惨事、もちろん『審判』の上映も中止・白紙となってしまった。

その後イメージフォーラムや菊川Strangerなど別のアート系映画館が上映に名乗り上げので事なきを得たとはいえ、それにしてもなんだかよくできた話だなぁと感心してしまう。呪われた映画作家オーソン・ウェルズの野心作はリバイバルでもまだ呪われていた……とかもそうだが、カフカの小説の核というのは高校時代に友達が本当に一人もいなかったのでずっと一人でゴールディングの『蠅の王』とカフカの『城』を読み続けていた俺からすると、「自分から何をしたわけでもないのに、世界の側が勝手に動いて、生活や行動の変化を余儀なくされる」というところにある。

自分が悪いわけでもないが誰かが悪いわけでもない。カフカの世界の登場人物は主人公だけでなくそれ以外の人物が自分が何のためにどんな仕事をしているのかよくわかっていないとように見えるのだから、悪い目的など抱きようがないのかもしれない。個々人の思惑とは無関係にただ世界は勝手に動いていくのであって、それが主人公に一時の幸運をもたらす時もあれば、不幸をもたらすこともあって、主人公はその変化に立ち向かうこともできず、流されることしかできない……カフカ文学のその諦観は3年間1人も友達のできない高校生活を送りながら名画座に入り浸っていた俺にはなんだか大いに馴染むものなのであった。

さてさてそういう視点で観ると実は意外と芯を食っていないように見えるのがこのウェルズ版の『審判』である。もちろんウェルズは当時のハリウッドの規範からかなり外れるアウトサイダーな監督だったのでプロデューサーや経営陣から干渉を受けることが多く、そのために望み通りの作品を作り上げることができないケースが多々あったことを思えば、それはまことにカフカ的な状況なのだが、一方で作家性が強く完璧主義的なウェルズの作風、というよりも気風は、カフカの小説の多くの主人公たちに見える強い受動性とは反対のものだろう。

『変身』の主人公ザムザなんか朝起きたら虫(甲虫とかムカデとかそういう系っぽい)に変身していたという以上極まりない状況にもかかわらず医者を呼ぶこともなく泣き叫ぶこともなく新しい足を動かしてみておっこういう風に動くのか、みたいなことをベッドの上でずっとやってるおそるべき受動性である。『審判』のヨーゼフ・Kはどうだったかちょっと覚えていないのだが、とはいえそう必死で濡れ衣(?)を晴らそうと奔走する感じではなかったのではないだろうか。

ウェルズ版『審判』の主人公たるアンソニー・パーキンスは刑事を名乗る男たちの訪問を受けあんた告訴されますよと罪状もなく告げられるとなんだかひどく焦ってしまいやたらと目を逸らすやら早口になるやらと落ち着かない。罪のない人間など存在しないかもしれないとはいえ、これはいささか奇妙な言動、どうもこの映画のKは心にやましい何かを抱えているかのようなのだ(『サイコ』のアンソニー・パーキンスだし)。

だからこそと言うべきか、Kは自分に罪がないことを主張すべくあちこち奔走する。カフカの中長編は奇妙な状況に陥った主人公が一応状況の打開を求めて各所を転々とし各地で妙に波長の合わない人物と出会うプロットを持っているので、このへん原作通りと思われるカフカ的展開なのだが、ピアノ・ジャズなども用いる洒落たサウンドトラックの影響もあって受ける印象はわりあい違う。カフカの主人公たちならこう自分に確信を持っては行動しないだろう。

その意味でこれは『審判』よりも『アメリカ』を思わせるところがあるかもしれない。『アメリカ』は故国での女性関係の失敗により放逐された10代の青年が新しい人生を送るために新天地アメリカにやってくるお話なので、基本的なプロットは『城』と似ているとはいっても、主人公カール・ロスマンは若さ故の自信と楽観により、他のカフカ文学よりも前向きで能動的な人物として描かれる。ロスマンの女性関係の失敗というのは女中と性的関係を持って妊娠させてしまったということなのだが、もしウェルズ版『審判』のKが同じ過ちを犯していたとしたらどうだろうか。そうだとすれば、いきなりの刑事出現にあれほど慌てるのも理解できることかもしれない。

もっとも、ウェルズ版『審判』の見所といったらやはり映像のすさまじさ。カフカの小説に特徴的な噛み合ってるのか噛み合ってないのかよくわからない長い会話はウェルズの演出がカフカの受動性を捉え損ねているためにその独特のおかしみを欠いてあまり面白くないのだが、そのぶん超でっけぇ建物内で数百人ものタイピストたちが一体何をやってるのかよくわからないが(銀行という設定らしい)人間機械と化している場面、中世の演劇のようにぎゅうぎゅう詰めの観客たちが野次や笑いを飛ばす予備審理(?)の場面、迷宮のように入り組んで書類で溢れかえった裁判所の場面、アンソニー・パーキンスの背が高いというのもあるだろうがアメリカの家にしては妙に天井が低く(カメラポジションも高い)圧迫感のあるドールハウスのような部屋、高層団地が建ち並ぶ新造住宅地の荒涼とした風景など、斬新にして圧巻の映像が次々4Kリマスターでお出しされるのが今回の『審判 4Kリマスター版』である。

『未来世紀ブラジル』で『審判』をオマージュしたテリー・ギリアムとか『ジャンプ・ゼイ・セイ』のMVに『審判』パロディの出てくるデヴィッド・ボウイ(監督はマーク・ロマネク)、『デモンズ’95』のミケーレ・ソアヴィなどはもとよりキューブリックなんかも絶大なる影響を受けたこと間違いナシのこの映像はまったく眼福。実はこうした風景はこの映画に数年先駆けてジャック・タチが『ぼくの伯父さん』で部分的に展開していたし、タチはその後SFコメディ超大作『プレイタイム』で『審判』のアンサーのような世界を作り上げるわけだが(タチの描くゆらゆら放浪人ユロ氏の方がカフカっぽい人物かもしれない)、ともかくこういう実験的な風景を莫大なお金をかけて作り上げたというのが『審判』のスゴさでありウェルズのスゴさなんだろう。

思えば『アルファヴィル』に『審判』の影響が見えなくもないゴダールは『気狂いピエロ』のラストでも『審判』のようなダイナマイト爆死をやっているのだから、ゴダールの名作の影にもまた『審判』があるのかもしれず、こうなると面白いとか面白くないとかではなく、様々な映画監督やアーティストが参照元とする古典として、とりあえずその斬新にして悪夢的なビジュアルを人生で一度くらいは観ておくべきなのかもしれない。カフカ原作として観ると意外と面白くないかもしれないとはいえ。

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