こんな映画作りもあるんすね映画『へんしんっ!』感想文

《推定睡眠時間:20分》

楽しいか楽しくないかで言えば楽しい映画では基本的にないんですけどなかなか面白い映画で、前に全盲のミュージシャンが映画を作ったらどうなるだろうっていうのをミュージシャンの友人のドキュメンタリー監督が映画作りをサポートしながら撮った『ナイトクルージング』っていうドキュメンタリー映画があって、それは全盲の人の映画制作を通じて映画監督とはなんぞやみたいなことを暗に問いかけるような結構おだやかに刺激的な映画だったんですが、この『へんしんっ!』も方向性としてはちょっと近かった。

というのもこの映画の監督は何症というのだかは知りませんが(劇中とくに説明もなかった)電動車椅子がないと生活が厳しい人で、生活が厳しいぐらいだから肉体的にも精神的にも比較的ハードな映画の監督なんかできんのかなぁとか思うわけですが、なんのことはないカメラはカメラさんが回しますし音声は音声さんが録りますしセッティングその他雑事は助監督さんがやるわけですから監督は方向性だけ示せれば別に障害があろうがなかろうが誰でもできるわけです。このへん『ナイトクルージング』と同じ。

『ナイトクルージング』と違うのはあちらは劇中劇の監督兼ミュージシャンの加藤さんという人にかなり明確なこれをやりたいっていうビジョンがあって、それはなんか『攻殻機動隊』みたいな感じのSFアクションなんですけど、『へんしんっ!』は元々卒業制作として作られたこともあって監督にあんまそういうのがなくて、一応「障害者の表現活動」っていうのが漠然としたテーマとしてはあるんですけど、そこからどう映画を組み上げて行くかが定まらない。

楽しい感じの映画ではないっていうのはそういうことで、『ナイトクルージング』は監督の脳内映像をリアル映像に落とし込むっていうドキュメンタリーとしてのストーリーがあるからそのストーリーの面白さでぐいぐい引っ張られていくんですけど、『へんしんっ!』はストーリーが希薄で視線が定まらない、監督が何をやりたいのかよくわからないから決定的な場面とか展開っていうのが出てこないんですよね。

で、この映画が面白いのはそのつまらなさがあるからで、これは監督が脳内ビジョンに現実を従わせようとするタイプの映画ではなくて、撮りながらドキュメンタリー映画撮影の状況に自分も入っていって、出演者と監督の垣根が無い中でなんとなく映画の形が出来上がっていってしまうっていう…そういう形の映画で、『ナイトクルージング』がぶっちゃけ監督が指示だけ出せば映画なんかできるよねっていう映画だとすると、『へんしんっ!』は指示すら出さなくても人間が何人か集まったらそれだけで映画できるよねみたいな、むしろ監督が権力を握って上から指示を出さないことで生まれる表現もあるよねみたいな、その意味ではゆるゆるふわふわしているんですけどかなり極限のドキュメンタリー映画っていう感じがあったわけですよ。

で映画は最初何人かの表現活動に携わる障害者の人とかを映していきます。映画内表記はしょうがいだったがしょうがいとか障がいとか障碍とかひとつの言葉に対して色んな文字表現があるとまぁ表現としては色々あった方が面白いとしてもやはりわかりにくいのでここでは障害で統一しますんでそこらへんはご了承。それで、出てくる人というのは紙芝居とかやってる聾の手話話者の人、元々いろんな表現活動をやっていて今は演劇をやってる盲の人、それから監督自身と、監督の在籍してる立教大学映像身体学科の特任教授でダンサー/振付師の人。

そういう人たちの障害と身体表現もしくは芸術なんかに関するインタビューを撮っていって(「フリートークをガンガン入れた方がいいんじゃない?」とのインタビュイーの逆演出を素直に取り入れ)カメラはやがて監督自身の日常に分け入っていく。で監督が言うわけです。昔からよく優等生だねとか頑張ってるねとか言われるけどあんまり嬉しくなかった…とかまぁなんかそういうのを。たぶん気を遣う人なんでしょうね。何をするにもということではないにしても基本的にはなんかやろうとしたら介助が必要な程度の障害をこの人は持ってるんで、特任教授の人のもっと自分を積極的に出せば的なアドバイスに対して「(映画監督として)暴君になりたくない」とか言う。それが映画を撮りながら少しずつ変わっていくわけです。

面白いところは色々あるわけですがこの特任教授の人とのやりとりはスリリングで面白かったな。この人はいわゆるひとつの健常者というもので、身体表現の世界でずっとやってきたってのもあるんで能動性とか自発性っていうのを監督から引き出そうとするんですよね。でもそれがなかなか出てこないからもどかしく感じているようなところがあって、とにかくこの監督はこういう演出でこういう方向性の映画にしたらみたいなインタビュイーの提案は基本受け入れてしまうので、あれこれ特任教授に映画食われてない…? みたいな、特任教授はこれをこうしたいっていうのは明確にある人なんでそれをガンガン言うわけですよ。

監督に特権を与えない映画作りというのは理想的ではあるけれども強めの相互理解と全員が常に平等になる絶妙なバランス感覚が必要で、ちょっとしたことですぐ壊れてしまうものなので、表面的には穏やかなんですけど特任教授の出てくる場面とかはそういう意味で結構緊張感があった。立場的にも撮影時学生の監督より偉いわけですし。だけどそういう危うい関係性がかなりギリギリのところで調和して最後は出演者を総動員しての一つのパフォーマンスに昇華するっていう、そのへんはカタルシスとは違うんだけれども不思議な緊張感を持った突き抜け感で良かったですねぇ。

あとこういうのもアレなんですが手話話者の人がエロくてグッときた。本当にアレなこういうですがいや別にそのなんつーんすかね服装がとかボディラインがとかそういう話ではなくて俺は手話にエロを感じるタイプの人間でして…いるんですよ、世の中にはおかしな人がたくさんいます! これはかなりの人には伝わらないだろうがうーんどう説明したらいいのかなぁ…言語化はちょっと難しいのだが…言葉というのは場に拡散していくものじゃないですか。Aに話してるつもりがBに聞こえてみたいな回折性があって、どんどん予測不可能に連鎖していくものですよね。でも手話はそれがなくて、間に通訳を挟む場合でも常に一対一の関係の中で会話が交わされる。

その特定の人間に直接向けられる言葉っていうところが動作の豊かさもあってこう、手話のドキドキしてしまうところでして…肉声はそういうのないわけですからね基本的には。抑揚ぐらいはあっても手話みたいな三次元的な表現はできないわけじゃないですか。そういうところで手話は肉感があるというか…手話にしてもコードの体系には違いないのだが、それでも肉声よりは生きた言葉、わたしとわたしの間に生じる言葉っていう感じがあるんですよ、うん。

あとなにかな面白かったところ。とりあえずね、最後のシーンで盲の演劇役者の人、めちゃくちゃ笑ってたね。そんな笑う!? っていうぐらいめちゃくちゃ笑ってたね。軽く引いたもん。別に引くこともないんですけどいやでもそんな笑う!? っていう…なんかツボに入ったんだろうなそこは。その人がまた我の強い感じの人でうわぁこの人一緒にバイトやったら俺が定位置からズレたところに備品置いた時に絶対すげぇキレてくるじゃんみたいな面倒臭さを醸し出していたので、そんな笑う人だったんや…みたいな斜め上からのサプライズもありまして、まぁだから、面白かったすよ。

※ちなみに「へんしん」の場面はどうも俺が寝ている間にあったらしいので監督がどう変身したのかはわからないが、ラストシーンの祝祭感から察するにかなり変身したようである。おそらくは意識の上で。

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主役のミュージシャンの人のゆるキャラのおかげで終始ゆるいムードが漂っておりますが映画監督と映像の関係に鋭く切り込んだある意味硬派なドキュメンタリー映画でもある。

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