旅は道連れ映画『コンパートメントNo.6』感想文

《推定睡眠時間:10分》

いったい何が起こったのかこの映画東京の上映館である新宿シネマカリテでは公開初日から数日連続でキャパ100ほどのシアターが全回満席。もちろん都内ではわずか一館での上映という事情は考慮すべきだとしても、それを裏を返せば集客が見込めないからそうなっているわけで、実際この映画はスターが出ているわけではないし監督だって無名ではないにしてもコアな映画ファンでなければ耳馴染みがないはず、予告編やポスターを見ても通好みの渋いロードムービーしか想像できない。キャパ100ほどのシアターで初回から数日連続、平日でさえも全回満席が出るほど人々の耳目を集めるようには到底思えないのだ。

関係者も全員びっくりしたに違いない予想外の大ヒットの要因分析はこれから色々出てくるだろうが、俺としてはひとまずシンプルにこんな風に思う。やっぱみんな、旅行行きたいんじゃない? それも韓国とか台湾とかハワイとかの近場じゃなくてさ、ヨーロッパをこう、寝台列車で巡るみたいな。これはヨーロッパっていうかロシアの辺鄙な町を通過してずっと北の方に向かうだけですけど、まぁイメージとしてはそんな感じで。

ほら新型コロナでここ数年みんなあんま海外行けてないでしょう。行けてものんびり列車旅行できる感じじゃないよね。新型コロナもあるし、泣きっ面に蜂で去年からはロシアのウクライナ侵攻まで始まってしまった。2023年2月現在ロシアは外務省の危険スケールで全域に渡ってレベル3の渡航中止勧告が発布されてる。この映画の舞台になっているロシアなんかは今では旅行どころか渡航することさえ容易じゃない。まだ今ほどに世界が分断されていなかった頃は…もしかするとそんな祈りにも似たノスタルジーが人をこの地味で渋い旅行映画に駆り立てているのかもしれない。

それで観てきた感想ですけれどもおもしろかったです。なんか大らかでね。演出はドキュメンタリータッチだから結構冷たい印象が強いんだけれども人と人のゆるい交流っぷりにのほほんとしてしまいます。ゆるい交流ってなにも楽しい交流ってことじゃないよ。楽しい交流もあるけどそうじゃない交流もある。ソ連崩壊後の新生ロシアで列車旅なんかしようものならそりゃ色んな人に出会います。ずうずうしくも人のコンパートメントに居座ろうとする家族もいる、出会い頭にこれもなんかの縁だからと頼んでもいないのに気前よく酒をくれる酔っぱらいもいる、一見親切そうに見える物取りもいれば、楽器片手にロシアを旅する風来坊もいる。

その全員、コミュニケーションの距離が近い。プライベートエリアなんてものはなく誰も彼もが主人公のテリトリーにガンガン入ってくる。東京なんかだと一人一人のテリトリーは侵してはいけないっていう暗黙の了解がありますけど、この映画の中の人たちってそういうのない。こっちはお前のテリトリーにガンガン入るからお前もこっちのテリトリーにガンガン入って来いよっていうそういう感じ、そういうゆるさがある。映画館で隣の席に他人が座ることさえ嫌がる都会の潔癖な映画ファンなんかはこれをどう受け止めるんだろうか、とちょっと気になるところだ。

主人公のフィンランド留学生はロシア北部のなんとかという田舎町に洞窟壁画を見に行くため寝台列車に乗り込む。わけあって塞ぎ込んでいる彼女はこれこれのゆるい交流を通して少しずつ傷心を乗り越えていく、というのがこの映画の筋。彼女が出会ういろんなロシア人の中でも同室になった粗野で内気な炭鉱作業員の男はファーストインパクト最悪なのだが同じ部屋で同じ時を過ごすうちに仲良くなって最後には親友みたいになる…ってなんかめちゃくちゃベタな設定だな。でもこのベタが美化されてないのがイイですなこれは。

汚ねぇんだわ二人とも。主人公の方は顔もわりと汚いけどご飯の食べ方とかも汚くてクリームみたいなの唇につけて咀嚼しながらモゴモゴ話すの。で炭鉱作業員の方はなんか目がギラギラしてて気持ち悪いし話すときにツバを飛ばすし知らないけど洗濯とかしてなさそうだし。あとテーブルも汚いんだよロシアのテーブルって西欧に比べて小さくてそのわりに酒瓶やら果物とかガシガシ置くから汚い。綺麗にしろよ虫来るぞ! とか思うけど寒すぎてテーブル汚したままでもコワい虫とか来ないんのかもしれない。

そういうきったねぇ二人の飾らない交流っていうのがね、なんかイイじゃないですか。自分はこういう人間なんだって凝り固まったところがない。これもノスタルジーには違いないんだが最近のとくに都会の人ってアイデンティティーとか自認とかっていうものに縛られすぎな気がするんですよね。自分はこれこれこういう人間なのでこれが好きでこれが嫌いでこれが出来てこれは出来ませんみたいな。そうかな? 俺それは単に自分を型に嵌めることで様々な困難や傷つき体験から身を守ろうとするいささか幼稚な防衛反応って面もあるんじゃないのって思うんですよね。いいじゃないですか傷ついても。ちょっと傷ついたぐらいで基本人間死にませんし。いいじゃないですか失敗しても。ちょっと失敗したぐらいで基本人生終わりませんし。一つの駅で傷ついたり失敗したら次の駅に行けばいいだけじゃないですか。そんな風に人生って続くんじゃないですかね。

つーのをね、これはほんのりしたユーモアとペーソスを交えて教えてくれる映画でした。しかし最後はすごかったね、1メートル先も見えない猛吹雪の中で主演ふたりが手袋なしで戯れるっていう…撮る方も撮る方だけど演る方も演る方だよ。寒さ耐性が出来てるんだろうなぁ、向こうの人は。

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まだまだ寒いからま、ここはひとつウォッカでも飲んで体を温めて。

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