本当は怖い荻上直子映画『波紋』感想文

《推定睡眠時間:0分》

まず言っておきたいことは『波紋』というタイトル、シンプルでありつつこれは水を売るニューエイジ宗教に主婦がハマる話であるからニューエイジといえばの「波動」を想起させて個人的には好きなタイトルなのだが、ツイッターでこの映画を観たみんなの感想を見ようと思って「波紋」で検索したら(だっていちいち「映画『波紋』を見たんですが」とか書く人そこまでいないじゃん。そしたら検索ワード「波紋 映画」より「波紋」じゃん)政治系アルファアカウントの時事ネタご意見ツイートがズラァと出てきてなんじゃいと思えば、センセーショナルな記事が売り物の三流雑誌とか三系新聞とかの「〇〇に波紋」(〇〇には左右の政治アカウントが食いつく言葉が入る)みたいな見出しを引用する形でのご意見がヒットしてるんだよ。

削られたね。削られたよ。メンタル削られた。そりゃあんたこっちはあー面白い映画だったなみんなはどう思ったのかなっていうあえて言えばルンルン寄りの気分で検索したところ辛辣かつ偏見まみれの攻撃的政治ツイートがどかんと飛び込んできたわけですから事故ですよこれは。普段はガードを固めておりますからちょっとやそっとのアグレッシブ政治ツイートなどには動揺しませんけれどもルンルンのノーガードだからねこの時は。食らいますよダメージ。醜い現実の不意打ちに! …ということでね、うん良いタイトルだと思いますそう思いますし重ねて言いますが俺は好きですよ『波紋』というタイトルはがしかし! 時は血で血を洗う大検索時代! 検索であまりヒットしないシンプル・イズ・ベストなタイトルはネットの海に埋もれてしまうだけでなくこのような検索事故も生みます!

映画のタイトルつける人ね、それを考えてタイトルつけてくれ。もうそのタイトルを検索エンジンに打ち込んだらそのタイトルの映画以外の話題は一個もヒットしないっていう複雑・イズ・ベストなタイトルでお願いしますよ。『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』みたいなね。もう『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』は絶対に検索しても『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』の記事とかツイートとかしかヒットしないから。『安藤昇のわが逃走とSEXの記録』と間違って打っても『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』しか出てこないからね!? 『波紋』なんか『波動』と一文字間違えたら絶対『波紋』の話題はヒットしないじゃないですか! 宇宙からの波動エネルギーを秘めたクリスタルを売るサイトとか『宇宙戦艦ヤマト』のツイートとか量子物理学の波動関数の話題しか出ないじゃないですか!

だからオリジナルなタイトルって、大事。あえて言えばキラキラネームならぬキラキラタイトルをこれからの映画にはつけてほしい。『安藤昇のわが逃走とSEXの記録』みたいなキラキラタイトルをね。まぁこれはキラキラというよりもギラギラだけれども…そんな話をいつまでしているんだ早く映画の感想を言え!

『波紋』。監督が荻上直子ですけれども俺この人の映画ってたぶん一本も観てなくてなんか『かもめ食堂』とかの疲れた会社員(おもに女)に効くロハスな映画を撮ってる人ってイメージしかなかったんですけど、覆されたわ。いやー、なかなか尖った映画だったね。でもその尖りってこれまでのロハス映画と表裏一体の、その延長線上にあるものなのかもしれない。疲れた主婦が現実から逃避して何かにハマるのはたぶんきっと荻上直子ロハス映画シリーズと同じ。違うのはこちらの主婦はフィンランドとかロハスとか比較的安全な趣味ではなくあやしい新宗教にハマるということだった。

東日本大震災直後、口ではお前放射能がどうとか気にしすぎなんだよ~なんて余裕もカマしながらも心中ではビビってた夫の光石研が失踪すると、寝たきりの光石父と大学生の息子を問答無用で託された妻の筒井真理子は精神バランスを崩すとまでは行かなくともメンタル疲労がそれまでの二倍三倍に増加した。そのうち真理子、なぞのニューエイジお水宗教に入信。宗教というのは周囲の負担はともかくやってる本人はたのしいものであるから光石父の遺産もあるし結構悠々自適な生活を送っていたのであった(息子も就職して家を出た)。ところがそこに失踪した光石研が帰ってくる。予期せぬ出来事に真理子のメンタル疲労は再び蓄積、平穏な日々に静かに波紋が広がっていくのであった…。

この真理子略してこのまり見てておいウチの母親かよ!? って思ったね。高いんだよ解像度、新宗教やる主婦の。うわ~こういう感じだったわ~思い出すわ~。ウチの母親は創価学会なんですけど本当こういう感じで、全体的にそうだからどこがどうって言いにくいぐらい「そう」なんだよ。息子がさ、なんか耳の聞こえにくい恋人連れてきてさ、それで職場で「差別するつもりはないけどほら遺伝とかするじゃない」みたいなこと同僚に言うんだよ。あるわ~そういうの~。ウチの母親も表面的にはご近所の知的障害キッズのママと仲良くしていたが特別支援学級がプールの授業やった後に俺たちがプールの授業やるぞと言ったら「でも汚いじゃない? あの子たちオシッコとか漏らすんじゃない…」とか言ってたもの~。

それは宗教とか関係なくお前の母親が裏表のある排他的な性格なんだろと思われる向きもあるかもしれないがこういう性格の人は現世利益、更に言えば自分利益をひたすら追求するニューエイジ系の新宗教なんかはたいへん向いている。とにかくいつも自分は被害者だと思い込む。だから「あなたは悪くない」と言ってくれる宗教には自然と靡く。努力などはしたくない、自分の生活を変えたくはない。だからこの高い水買えば幸せになれるぞみたいな薄っぺらいスイート文句にあっさり引っかかる。

その後宗教まみれになるわけだから自分の生活を変えたくないのに宗教をやるとは矛盾してないかと言う人もあるかもしれない。しかしね、最初は半信半疑なわけですよ。裏表があるから表面上笑って水を買いながら心の中では「本当は信じてないけど付き合いだし買ってやるか」とか自分に言い聞かせてるんだな。本人は変わってるつもりないわけ。だけどそうやって水を買って、会合に出席して、信者のみんなと一緒に偽善慈善イベントなんかやってると、いつの間にかすっかりその宗教の世界観にハマってるんだよね。気付かないの本人はそれに。そういうね、主婦の宗教のハマり方のリアリティがかなりレベル高かった。笑っちゃったよあるある満載で。

まぁでもあるあるだけの映画じゃない。尖った映画と書いたのは、これ各シーンがすごい中途半端なところで終わるんです。そこで何か問題が提起されたり事件が起きたりしても解決しないまま次のシーンに行っちゃってそのままその問題は忘却される。だからずっとなんだろうこれなんなんだろうって引っかかったままでどうも居心地が悪い。たぶんこれって真理子の心理を表現してるんじゃないだろうか。この人って何か問題があってもそれに正面から取り組もうとしない。そこから目をそらして他力本願でいつか勝手に問題が解決されるのを待つ性格。で、この映画はそんな真理子がたとえばハリウッド映画のようにその物語を通して成長することは、ない。この人は最後まで目をそらし続ける。

だから本来であれば大事件であるはずのある人物の死もこの映画の中ではまるでそんなことはそもそもなかったかのようにサラリと流されてしまう。その後に真理子が見せる表情、仕草。笑っちゃうけどゾッとする。ラストシーンを真理子の解放だと見る人もおそらくいるだろう、というかそっちの方が圧倒的に多数派だと思うのだが、俺にはそうは見えなかった。そこにはツラさや痛みもあるかもしれないがその一方で大きな人間的成長の機会でもあるような人生の様々な出来事を真理子は直視することができない。それでもごくささやかな出来事については目を向けて、それが真理子に少しだけあやしげ宗教に対する疑念を生じさせるが、疑念は疑念のままで問題解決までには至らない。宗教に対する疑念の先にはそれまでの宗教生活の精算が待ち構えているだろう。「わたし、いったい今まで何してたわけ?」。

真理子が意を決してそんな現実と向き合えるようには思えない。だってこれまでそんなことはしてこなかったのだし。だからあのラストシーンはたぶん、解放ではなくてもうどうしていいかわからない、縋ってきた宗教にも今や縋れなくなってしまった、という真理子の虚脱状態が表れたものなんじゃないだろうか。そう考えると結構笑えるところも多い映画なのだが実は怖い映画、残酷な映画だ。ローテンションで共感に満ちた主婦悲喜劇と見せかけておいて、人生の落とし穴に本人も気付かぬまま堕ちてって気付いた時にはもう這い上がれない深さに達していた…という現実をまざまざと見せる映画。

いやぁ、これは力作ですよ。単に露悪的なだけで現実の厳しさにはぜんぜん達していない作家系のミニシアター向け邦画なんかより(これもミニシアター映画だが)よほどシビアに現実を捉えていると思う。そしてそれをユーモアで偽装して巧みに表現していると思う。筒井真理子の宗教あるある主婦も見事だが光石研の妻との距離の取り方というか鈍感さというか興味のなさというかもまたリアルで俺そっちにもウチの父親かよ!? って思っちゃったね。えー、荻上直子さんロハスロハスと今までナメててマジすいませんでした…ロハスだとは思いますが…。

【ママー!これ買ってー!】


かもめ食堂 [DVD]

もしかして『かもめ食堂』も本当は怖い映画だったりするんだろうか…。

Subscribe
Notify of
guest

4 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
さるこ
さるこ
2023年6月6日 12:50 PM

こんにちは。
ともかく私、筒井真理子推しなのです!舞台から見てますので…。そして『川っペリムコリッタ』からのムロツヨシ、ですよ!ぜひご覧くださいませ!
荻上監督のロハス系(と思われる)作品には、スタッフが同じとか役者が被ってるとかの類似品がいくつかありますが、やっぱ脚本が違うかな。

さるこ
さるこ
Reply to  さわだ
2023年6月7日 12:37 PM

光石研さんにカマキリ説法を説くヒトですね!そして『どうする家康』のイケズな秀吉へと続くのであった。