哀しい気分でピース映画『僕が宇宙に行った理由』感想文

《推定睡眠時間:3分》

こういう映画はありがたい。映画館遅刻常習犯の俺は場内に入った時には既に映画が始まっていて悔しい思いをすることも少なくないのだが、この映画ならば多少遅れたところで別に損した気分にはならない。上映時間90分に満たない小さな映画なのであまりないかもしれないが、途中でおしっこに行きたくなったりお腹が痛くなったりしても心配ない。トイレに行っている間になにかたいへん重要な見逃せないシーンがあるかもと考える必要がないからだ。もちろんトイレに行っている間に殺人宇宙粘菌などがISS滞在中の前澤社長を捕食するなどのシーンがあったならそれは大いに悔やまれるが、そんなシーンは残念ながら出てこないので安心してトイレに行って欲しい。

ネット洋服販売サイトZOZOTOWN創業者・前澤友作が宇宙旅行に行く。その一部始終をカメラに収めたのがこの映画『僕が宇宙に行った理由』である。みなさんがこうした映画に対して何を思うかは私にはわかりませんが、私としてはこう思います。どうでもいい。いやマジでどうでもいいだろこれ…本当にどうでもいいだろこれ!

いやー、俺がこの映画の存在を知ったのは映倫の審査済み映画リストを覗いている時だったのですが、目を疑ったね。それは映画として成立するのかっていう。いや、だって、本職の宇宙飛行士が宇宙に行って帰って来るまでのドキュメンタリーだったらそれは面白そうじゃないですか。でも前澤社長でしょ。趣味で行くわけでしょ。意味がわからないよね。たしかに民間人のISS滞在というのは記録に残す価値のあることかもしれませんけれども、それをさ、映画として公開するっていう…これどこの需要だよ感ハンパないよ。テレビの深夜ドキュメンタリーとかならまだわかるけど2000円の映画になる意味は全然わからないよな。

それはあくまでも映倫サイトでこの映画の存在を知った時の印象であって実際に映画を観てみればなるほどこれは2000円払って観る価値があるなと思える貴重な映像などもあるかもしれない。俺は公平な人間なので溜まってたポイントを使って無料で映画館のチケットを取った時にはほんのわずかではあるがそんな考えも脳裏をかすめた。しかし、そんなものは案の定存在しないのであった。なんというかこれは…前澤社長と社長が宇宙旅行に行かせてもらったスペース・アドベンチャーズ社の宣伝以外の要素があまりにも無い。俺は無料で観たが2000円払ってこの90分の広告を観た人はいったい何を思ったのだろうか。

でもね、ドキュメンタリーって面白いなって思いました。作っている方はとにかく宣伝以外の何も考えていない。もしかしたら宣伝ということも考えていないのかもしれなくて、ただ前澤社長の宇宙旅行をせっかくだからキラキラ楽しく撮ろう! とかそれぐらいの感覚だったのかもしれないし、あるいはそれを通して全国の主に子供たちに夢って素晴らしいよと思ってもらおうという善意さえあったのかもしれない。そのようにして撮られ編集された映像が結果的に単なる宣伝にしかならないことがわからないくらい、ドキュメンタリーとか映画の素養や関心がなかったのかもしれない。

それでもその空虚の中からは確実に立ち上がってくるものがある。それは一言で言えば、哀しさだった。お客さんとはいえ宇宙旅行は海外旅行とは訳が違うので訓練も必要だし万一何かがあったときのための宇宙船知識も必要。それで前澤社長も講習を受けるんですが、その感想をカメラマン兼ディレクターに聞かれて社長「学校で公式とか習うときって、何に使うのって思って身が入らないけど、これは生死がかかってるから身が入るよね」なんてことを言う。俺それでこの人は悪い人ではないんだろうけど、物事を深く考える人ではまったくないんだろうなって思ったんです。サイン、コサイン、タンジェントなんて習ってもそりゃ確かに普段自分では使わないかもしれないですけど、その何に使うかわからない公式がなかったら社長あなた宇宙行けないんですよ、宇宙旅行に関わるほぼ全ての面で何に使うかわからない公式が使われているんですよ…っていうことがね、この人わかんないんだよ。

それで前澤社長、ISS滞在中に何人かでNO WARってスプレーで書かれたTシャツ着て写真撮るんです。これはずっと前から折に触れてやってたパフォーマンスだそうで、その動機を映画の中の前澤社長は9.11に衝撃を受けたからと語っていた(社長はなぜ9.11が起きたか知っているだろうか?)。社長のISS滞在は2021年12月でその二ヶ月後に今も続くロシアのウクライナ侵攻が始まる。その約10ヶ月前から映画は始まり画面には出発日までのカウントダウンがちょくちょく出るが、ISSへはソユーズで行くので訓練や講習はロシア国内を中心に行われ、これがなんだかウクライナ侵攻へのカウントダウンと見えて妙な緊張感を帯びていた。

それはさておきNO WARメッセージである。映画の終盤では前澤社長の地球帰還後にロシアがウクライナに侵攻したことに触れ、前澤社長およびこの映画の作り手としては地球でも宇宙でもNO WARと言い続けることは大事だねとか、宇宙には国境はないしISSはロシアとアメリカを中心に各国が仲良く協力して運営しているのだから、地上で戦争を起こす偉い政治家たちもそれを見習ってほしいなとか、そういうポジティブでピースフルなメッセージを観客に伝えようとしていると思われるのだが、画面から受ける印象は少なくとも俺の場合だいぶ異なっていた。

アメリカの会社に頼ってロシアのロケットで宇宙に連れて行ってもらった前澤社長がISSでNO WARのTシャツを着る。その二ヶ月後にはロシアがウクライナに侵攻して、約2年後にはアメリカ全面支援のもとイスラエルがガザ地区に侵攻した。どちらも未だ解決の糸口がまったく見えない中でスクリーンの中の前澤社長が着るNO WARはあまりにも虚しく映る。当然なのだが、前澤社長は単なるアメリカとロシアのお客さんだったわけである。そして今もその宣伝に意図してかせずか映画公開という形で協力する、とても都合の良いお客さんなんである。

『僕が宇宙に行った理由』の作り手と前澤社長はおそらくそうしたことを自覚していない。それが哀しかった。ビジネスで成功できる人間というのは大なり小なり深い思考は意識的にシャットアウトしているもので、そうすることで目先のビジネスに精神を集中することができる。だからこれは前澤社長とその取り巻きがどうのという話ではなく、ビジネスというゲームが巧い人間はみんなそうだと思うのだが、わからないのだ。戦争が悪いという表面的なことはわかる。けれども戦争のメカニズムや、戦争状況の中で自分の行為がどのような効果を持つか、何をすべきかといったことはわからない、考えることができない。

俺は前澤社長の億万分の1もお金を稼げていない人間なのだが、そう思うと前澤社長が哀れに思えてしまう。夢を諦めないでと前澤社長は言う。自分みたいな普通のオッサンも憧れの宇宙旅行に行けたのだから、と。その言葉はガザの避難民に対しても言えるだろうか。ウクライナ東部の前線兵士たちに言えるだろうか。俺はそう思うと景気の良い言葉がつい喉に詰まってしまうのだが、たぶん、前澤社長はそういうことは考えることができない。子供たちの夢を応援するのなら、インターネットでランダムに100万円を配るよりも、あしなが育英会のような団体に寄付したほうがよほど夢の応援になるように俺には思える。世の中には夢を見る余裕さえ持てない子供たちが掃いて捨てるほどいる。けれども、そのようなことを前澤社長は考えることができない。

映画の最後、マンハッタンのグラウンド・ゼロで宇宙旅行後、そしてウクライナ侵攻後の心境の変化を前澤社長は語る。曰く、宇宙みたいな大きなことじゃなくて目の前の小さなことを大事にしないといけないのかなと思った、あと犬飼いたい、とのこと。そのときの前澤社長の表情はどこか宙に浮いたようである。あたかも自分がアメリカとロシアの金払いの良いお客でしかなく、ISSでのNO WARに自己満足以上の効果などないことや、お金を稼ぐ以外には何もできない己の無力に直感では触れているのだが、それを意識的に思考することができずに、困惑しているかのようだ。

宇宙旅行ドキュメンタリーとしては取るに足らない『僕が宇宙に行った理由』だが、ビジネスの世界に最適化された一人の現代人の症例記録として観れば興味深いものがある。ドキュメンタリー映画はこんな風にして、作り手の狙いを超えたものを捉えてしまうことがあるのだから、面白いジャンルだなと思う。

※あとこれ各種映画レビューサイトとかで異様に点数が高いのですが、こんなもん前澤社長ファンしか普通は観に行かないので得点が偏るのはわかるとしても、やはり高すぎるように感じ、ひょっとしたら高得点レビューをネットに書いてれば社長がお金を配るときに当選する確率が上がるかもみたいな心理も働いているのかなとか思った。なぜ政治家がお金は当然として一見すると大したものには見えない物品でもプレゼントしたら法律違反になるのか、この映画とこの映画のレビューを見ればよくわかるので、そういう点ではとてもお勉強になるよい映画だと思います。

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カモン
カモン
2024年1月4日 9:11 AM

いやこれ前澤社長に読ませたいけどたとえ読んだところで
ふーん
くらいですんじゃうんだろうねえ
まあ書かれてるとおり沈思黙考できる人間があんな位置には立てないわなあ…
でも前澤社長にはひとつ確実で強力なバネがあると思う
それは身長
彼はあの身長をバネにここまでやってきたしこれからもやっていくのだと思う
そういうほんの目先のとこは頭に(おそらく常に)ある人間なんだよ
哀しいなあとは思うけどまあそれもこれもカネがくらましてくれるからピースなんじゃないかねえ

カモン
カモン
Reply to  さわだ
2024年1月5日 3:39 AM

前澤社長の身長もそのあたりだったはず!
それにしても我々は当たり前のように前澤社長と呼んでいるというか『社長 まで含めて正式名みたいになってるけどあの人いまも社長なの?笑

カモン
カモン
Reply to  さわだ
2024年1月5日 10:56 PM

だね!