今の日本がホラーブームにあることはおそらくある程度ホラー映画なり動画なり小説なりを好む人なら共通理解としてあると思われますが、ネット動画とかネット怪談はぜんぜんわかんないからとりあえず映画に限定してみれば、近年は清水崇、中田秀夫、中村義洋、白石晃士といった概ね1990年代以降の日本のホラー映画を支えてきた監督たちの新作ホラーがほとんど間を置かずシネコンに供給されている(もっぱらミニシアターでの興行になるが現代日本幽霊映画のブレインたる高橋洋もコンスタントに新作を発表中)わけだから、2年くらい前には批評誌の『ユリイカ』でもJホラー特集号なんてのをやってるし、今がそういう時代なのは間違いない。フェイクドキュメンタリーホラーシリーズのTXQ FICTIONなんかも新作が発表されるたびにネットが大賑わいだし、原作ファンからは不評らしいがこの本によると『変な家』の映画版は日本ホラー史上最大の興行収入を記録したらしい(インフレ調整すれば最大ではないかもしれないが)
俺は心霊写真とかは怖いだけだから見たくないがホラー映画は好きなのでこういう状況にニコニコなわけですが、そんなところにSFでお馴染みハヤカワから「再燃する国産ホラーブーム。その歴史と本質を新たな視点で説き明かす画期的論考」の惹句と共にやってきた本がこれ『Jホラーの核心 女性、フェイク、呪いのビデオ』、たしか夏頃にはこんな本が出るぞという告知を見てホラー映画スキーとしてはついにJホラーの研究書が出るのか! と無邪気によろこんだ気がする。何事も詳しく調べないのが俺の流儀(世間では怠惰とも言うそうですが)なので発売日がわからずなんか秋頃に出るらしいと都市伝説のような漠然加減で待って数ヶ月、ついに先日発売されたのでさっそく買って読んでみた。
感想。うーん。たくさんの幽霊映画・動画の解説をしてくれているので『邪願霊』に始まる日本の現代幽霊映画のカタログとしては面白く読める本だと思う。ただ年甲斐もなく「再燃する国産ホラーブーム。その歴史と本質を新たな視点で説き明かす画期的論考」とかいう大袈裟な惹句にまんまと引っかかってかなり本格的なものを期待してしまっていたので(てか新書じゃなくて鈍器系の本だと思ってた)、正直なところ物足りなさの方が面白さよりも強かった。
いろいろ思うところはあるのだがやっぱりあれだな単純に研究が足りない気がする。というのもこの本ではJホラーを『邪願霊』以降の日本の幽霊映画・動画・小説などに限定してしまっているのだが、そもそもの話Jホラーって幽霊映画だけを指すものなの? みたいなのがまずあり、たとえばこれはあくまでも一つの例なのだが、ためしに「J HORROR」でGoogle検索するとどっかの映画好きの作ったIMDbのJホラーランキングがヒットして、それを見ると1位は『バトル・ロワイアル』で2位は『オーディション』で3位は『リング』、ともう、『リング』はともかく1位2位には昭和ギャグマンガばりにズッコケそうな感じになる。
ここから言えるのはJホラーという言葉が必ずしも幽霊映画に限定して用いられてはいないということじゃないだろうか。それを調べるには国会図書館のサイトとかでJホラーのワード検索をしてヒットした雑誌記事なんかを片っ端から読んでいけばいいのだが、なぜそれが必要かというと、まずこれから自分が研究するJホラーという概念は具体的に何を指すものとして世の中に流通しているのか、してきたのか、という概念の定義付けから始めないと、研究の下地が整わない。概念の内容を明らかにしないまま自分が「これがJホラー」と感じるものを恣意的に並べていくと、それは当然客観的な研究にはならず、ある命題を念頭に置いている場合には、その命題に沿うように作品を並べてしまう恐れがある。それは学術的な研究ではなくディレッタントの趣味の域を出ないよね。
「再燃する国産ホラーブーム。その歴史と本質を新たな視点で説き明かす画期的論考」という惹句から俺が想像したのはそういう地道な検証や広範なリサーチに基づく論考だった。歴史、というならば、序文で著者も非直線的で重層的な歴史がJホラーにはあるというようなことを書いていたので、たとえば匿名のスナッフビデオが送りつけられてきたことから物語が始まる1988年の『死霊の罠』は呪いのビデオものの前身と言えないかとか、スタッフが入手した実際のスナッフビデオという設定の1985年作『ギニーピッグ』は1988年の『邪願霊』に先んじたフェイク・ドキュメンタリーとして共通性があるんじゃないかとか、テレビ映画版『リング』と映画版『らせん』を監督した飯田譲治は『キプロクス』や『NIGHT HEAD』などSF・オカルト畑で頭角を現した人だから、そうした非幽霊ホラーの想像力が流れ込んだのがJホラーなのではないかとか(『リング』原作の鈴木光司もSFホラーの作家であった)、映画のジャンルに限っただけでも1990年代以降の幽霊映画には多様な背景が想像できて、それぞれ個別に論立てができると思うが、そういうことはこの本ではされておらず、Jホラーの源流は『邪願霊』の一言で片付けてしまっている。
これでは非直線的でも重層的でもないし、単に世間的にざっくりそう言われているJホラーの歴史をなぞっているに過ぎないように見えてしまう。『女優霊』と『リング』の脚本を執筆した高橋洋はアーサー・マッケンの薫陶を受けていることはそれなりに知られていることだと思うし、『死霊の罠』の脚本を書いた石井隆は当時デヴィッド・クローネンバーグに傾倒しており『死霊の罠』にもその影響が見える、『CURE』や『回路』の黒沢清は英国幽霊映画への偏愛を公言し『回転』の幽霊描写を絶賛しているので、海外のホラーがJホラーに与えた影響は無視できるものではないと思うのだが、見落としがあったらごめんですけどこの本にはマッケンもクローネンバーグも『回転』のジャック・クレイトンも名前さえ出てこなかった。こうした歴史への目配りの弱さは、Jホラーの本質(があるとして)を論じるならば、歴史を俯瞰したときにそこから抽出されるものが本質であろうから、そのまま論証の弱さともなってしまうんじゃないかと思う。
いやまぁいろんな幽霊映画が載ってるのでカタログとしては楽しく読みましたけど、Jホラーの画期的論考というなら、紙幅の都合とか担当編集の人の方針とかいろいろあるでしょうが、もう少し研究の裾野を広げても良かったかもしれない。といってもそんなものはハヤカワの広報さんが勝手に言っていることでなにも著者が言ったわけでもないだろうが……やめよう学術本の誇大宣伝!
店頭で見ると薄くて文字も大きかったのでスルーしてしまいました
同じハヤカワ新書でも「ネット怪談の民俗学」は面白かったんですが…