小説の方の『フランケンシュタイン』を読んだ(多少ネタバレあり)

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『フランケンシュタイン』の著者メアリー・シェリーの半生を描いた『メアリーの総て』をこないだ観たので、じゃあその『フランケンシュタイン』をこの冬の自主課題図書にしよう、ということで買ってきて先刻読了。
訳は色々出ておりますが怪奇な表紙がイカす新潮文庫版・芹澤恵さんの訳をチョイス。格調高い美文調でたいへんよろしかったです。ちょっと紀行文学っぽい趣もありますからね。紀行には美文。

たぶん他の訳も大体は底本が同じなんだと思いますが、この新潮版はメアリー・シェリー名義でちょこちょこ文章に手を加えつつ1831年に刊行された第3版のペンギン・クラシックス版というのが元になってるらしい。
巻頭には第3版に付されたメアリー・シェリーのまえがきと、1818年に匿名出版された初版に載った夫パーシー・シェリーの序文付き。

匿名出版に至るまでが『メアリーの総て』では描かれていたので、観てからこのまえがきと序文を読むとちょっと映画の印象も変わっておもしろい。
エル・ファニング演じる映画の中のメアリー・シェリーは心の内奥に並々ならぬ創作衝動を抱えつつもあまり表には出さない内省的な文学少女のイメージだったから、このまえがきは既に作家として独り立ちした後に書かれたものとはいえ、ほんのりとユーモアさえ感じさせる饒舌な語りで意外な感じ。

パーシーの序文も匿名出版ではあるが彼とごく近しい人物によって本が書かれたであろうということが容易に察せられるような内容になっていて、『メアリーの総て』は悲劇的な色彩が濃いものだったが、陽気とは言わずとももう少し物語の背景に余裕が見えなくもない。
訳者あとがきによると『フランケンシュタイン』成立の背景は国書刊行会から出版された臼田昭訳『フランケンシュタイン』に詳しいらしいので、絶版っぽいから面倒ではあるがそっちも読んでみるとまた映画を違った角度から観れるかもしれない。
ちなみにこの版には訳出の機会が少ないシェリーの短編のうち『変身』と『寿限無の寿限無』(?)も収められているとのこと。

前置きがダラダラと長くなりましたが読んでの感想、フランケンシュタインいい加減にしろの一言に尽きる。
いや尽きませんが、しかしコイツが本当にどうしようもない身勝手な金持ちのボンボンだものだから本の半分ぐらいまではふむふむと頷きながら話を聞いていたが(フランケンシュタイン、フランケンシュタインの怪物、北極探検家の3人の独白で展開していく)、残りの半分はもうハリセンが手元に何個あっても叩き足りない感じでしたね…。

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『メアリーの総て』のパーシー・シェリーはろくでもない男だったが、あれはこのフランケンシュタインのろくでもなさを投影してたんだろうな。
とにかくろくでもない。科学的な欲望を満たすために死体漁ってツギハギ人造人間を造ろうとするまでは良い。結構なこと。
ところがいざ実験が成功するとフランケンシュタイン怖くなって逃げてしまう。後に残された怪物は自身が何者かもわからぬままたった一人で世に放り出されて早くも不憫全開。

この怪物は外見こそ醜悪だったが身体能力が鬼だし学習能力も意欲も十二分に備え、ついでに社会貢献の意志も満々のスーパーナイスガイ。
引きこもって孤独を募らせているうちにメンタルの方も秋葉原の加藤のような怪物になってしまうが、フランケンシュタインがちゃんと世話をしていればそんな風にはなっていなかったに違いない。

名実ともに怪物と化してなお怪物は怪物になりきれない。ということで怪物は伴侶を作って欲しいとフランケンシュタインに懇願する。孤独で辛いんだ、伴侶さえいれば僻地に隠棲して人間には二度と関わらないから…怪物のくせにめっちゃ健気である。
これに対するフランケンシュタインの仕打ちが酷い。一旦は要求に応じるがいざフランケンシュタインの花嫁を造ろうとした段階で心変わり、怪物が今か今かと誕生を心待ちにしているその目の前で花嫁の素材を破壊してしまう。怪物口あんぐりで超びっくりする。そりゃそうだろう。

もっともフランケンシュタインが花嫁制作を断念したのも単なる気まぐれではなかった。フランケンシュタインは考えた。いや、花嫁造っても花嫁にだって意志があるから怪物の花嫁になりたくないって言うかもしれないし、それに怪物は伴侶がいれば僻地に引きこもって人間と接触しないって言ってるけど嘘かもしんないし、もし二人に子どもが出来ちゃったら怪物の身体能力は鬼だから人類全体の危機に繋がるかもしれない…そうだ! 俺は人類のために花嫁制作を断念すべきなんだ!(実験道具ガシャーン)

花嫁の意志問題は分かるが人類がどうのと言うに至ってはお前自分のケツは自分で拭けよなに人類のためにとか薄っぺらい大義名分持ち出して自分の愚行を正当化してんだよふざけんなよです。
それを言うんだったらそもそも怪物を造るなよだし造っちゃった怪物にはもっと誠実に向き合って説得をしろ。怪物ブチ切れるに決まってるだろそんな不実はお前。子供か。

引きこもった小屋から人間たちの生活を覗き見しながらこじらせ童貞化、その仲間入りの挫折に耐えきれず凶行に及ぶ怪物のコミュ障っぷりも相当なものですが、この創造主にしてこの怪物ありということでフランケンシュタインの幼児的コミュ障っぷりも酷い。
二人のコミュ障が互いに不幸の責任を擦りつけ合い呪い合い傷つけ合い…というドロドロ話とするとなかなか現代にも通じるのでそのへん、『メアリーの総て』の作り手が着目したところなのかもしれない。まぁ『メアリーの総て』のメアリー・シェリーには怪物と違って瑕疵はないのですが。

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古典はやはり読んでおくものだと思ったのは『フランケンシュタイン』、ゴシックありSFありミステリーあり恋愛あり紀行ありのミクスチャーっぷりで単体でも飽きずに読めて面白かったのですが、後世の作品に影響与えてるんだろうなぁというところが散見される。
たとえば、これは枠物語のスタイルを取っているのでお話は北極航海に邁進する若きイギリス人探検家の手紙から始まって(余談ですがこの人もコミュ障です)フランケンシュタインの回想へと進んでいく。

このへんラブクラフトの『狂気の山脈にて』にかなりストレートな影響を与えてんじゃないかと思いますね。
日誌や回想の形での一人称語りというのはラブクラフトの小説の基本的な構造だし、ラブクラフトはラブクラフトで“フランケンシュタイン”テーマの『死体蘇生者ハーバード・ウェスト』があるし。

それから「これは!」と思ったのは『ブレードランナー』のレプリカントたち、特にその頭目バッティとフランケンシュタインの怪物の類似性で、怪物のフランケンシュタインに対する次の台詞なんかを読んでいるとブラッドベリー・ビル屋上でのバッティの語りや、バッティと創造主タイレルの対話が否応なしに頭に浮かぶ。

生きていくことは苦悩の積み重ねでしかないが、それでもこの生命はおれにとって尊いものだ(…)おれの方が身の丈も勝るし、腕も足もしなやかに動く。だが、おまえに逆らうような真似はしたくない。この身はおまえに創られたもの。おまえはおれにとって主人であり王でもある。そんな相手には素直に従順でありたい、おまえのほうで果たすべき役目さえ果たしてくれるなら。

おれはもうすぐ死ぬ。今、感じていることも感じなくなる。この灼熱の苦しみも消えてなくなる。おれは喜び勇んで葬送の薪の山に登り、劫火の苦しみに歓喜の声をあげるのだ。やがてその大きな焚火の火は消えて、おれの灰は風に運ばれ、海に散る。

『フランケンシュタイン』は原題を『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』というそうですが、ありふれたモチーフとはいえ『ブレードランナー』のリドリー・スコットが『エイリアン』の前日譚のタイトルに『プロメテウス』を選んだのも、もしかするとそこに根があるのかもしれない。
『ブレードランナー』はミルトンの『失楽園』を下敷きにしているとよく言われますが、『フランケンシュタイン』の方も『失楽園』を引用していたりするので間に噛ませればなんとなくミルトンからリドスコまで一本筋が通る感じ。

…という感じで、訳者あとがきにも書かれておりますが、色んな見方、楽しみ方ができる多面的な小説だったので、なるほど今でも読み継がれるだけあるなぁと思いましたね。そんな『フランケンシュタイン』でした。

【ママー!これ買ってー!】


フランケンシュタイン (新潮文庫)

とりあえず読んだやつなのでリンクを貼っておきますが訳者いろいろ装丁いろいろなので、まだ読んでなくてこれから読みたい人は本屋で手に取って自分に合いそうなの選んだらいいかもしれない。

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