原作未読で『友罪』感想(破壊的なネタバレはないが基本見た人向け)

《推定睡眠時間:0分》

映画史上最も何々的な売り文句やレビューレトリックはひとつとして例外なく全部虚言か過言だと思っているが瑛太の歌う「摩訶不思議アドベンチャー」だけは映画史上最もと言っても少しも過言ではないし未来永劫このゼロ冒険感を超える「摩訶不思議アドベンチャー」は現れないと思うので映画史上最もドラゴンボールを掴めない「摩訶不思議アドベンチャー」です。
探さないよドラゴンボール。この世はでっかい宝島じゃないよ。世界で一等ユカイな奇跡起きないよ。そうさ今こそアドベンチャー行かないよ。これからもずっと行かないよ。人殺してるし。

あそこ、良かったな。不意を突かれて思わず泣いてしまうほど良い場面だったのでその後も場所を変え相手を変え繰り返し画面に現れる瑛太の「摩訶不思議アドベンチャー」ですが、物語の上では「摩訶不思議アドベンチャー」のおかげで色んな人が苦しむことになるのであんな無邪気な「摩訶不思議アドベンチャー」にさえ加害性を見い出してしまう恐るべき加害探そうぜムービーです、『友罪』。
ぼくは(観ている側に)被害への同調を促す善意の作劇よりも客を共犯者としてその加害性を指摘する悪意の作劇の方に惹かれるマゾなので堪えられないよこういうのは。

例によって原作未読。予告編では佐藤浩市が(『64』に続いて)被害者遺族に平身低頭謝罪をしていたので元少年Aこと瑛太の父親役なんだろうなぁと思っていたが全然違ったよっていうか全然関係なかった。
佐藤浩市は自動車事故で小学生を含む3人を殺した男の父親で、瑛太と生田斗真のはたらく郊外の町工場周辺を流しているタクシードライバーだったのですが、プロダクションノートを読むと原作では町工場の同僚とある。

なんでその変更が必要とされたか、といったらやっぱ各々の加害性を強調するためだったんじゃないすかね。強引な設定変更により佐藤浩市は瑛太とも生田斗真とも何の関係もなくなってしまった。
瑛太と良い仲になる夏帆も原作では工場勤務だったところをコルセン勤務に変更させられたらしいが、脛に傷を持つ人間どもの職場を介した横方向の紐帯が完全に断ち切られてしまったのだから、物語の中にカスみたいに残る登場人物の絆というのはもう自傷を含む加害の罪でしかない。

いいですね罪でのみ繋がる人々。自罰意識が結びつける自傷的な友情恋愛とかロマンティック。残酷でロマンティックな映画だと思ったよ。
泣ける社会派でも見るつもりで劇場に足を運んだ人がこの民話みたいな残酷ロマンをどう受け取るかは知りませんが。

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罪で繋がる人々、といえば瑛太の過去を知った寮の牢名主的暴力工員の言う「気が滅入るわ」がなんとも味わい深い忘れ難い台詞で…瑛太の「摩訶不思議アドベンチャー」と並ぶ俺の中での映画のハイライトだったんですけど、なんでそんなこと言うんだろうと思ったんですよ最初。
だってこの人のヤンキー的キャラからしたら「ふざけんじゃねぇよ」とか「騙しやがって」とか色々ありそうなもんじゃないですか。すぐ威嚇してくるし。殴ったりするし。

同じ職場で働いて同じ寮で暮らしてる人間が元少年Aと知って「気が滅入るわ」ってこいつにしたら大人しすぎるっていうか、もっと攻撃的な言葉を選びそうな感じなのにそうは言わないっていう。
それが引っかかっていて…でも加害の絆としてこの映画で描かれる人間関係を捉えると「気が滅入るわ」っていうのは腑に落ちる台詞なんですよね。

あれは、あの暴力工員も過去になんかあったんだろうなって思わせるわけですよ。自分が過去に罪を犯していて、瑛太はこいつの前では決してそんな素振りは見せない純粋な被害者だったから、その瑛太も自分と同じ罪人だったことの落胆、というのもあれば共感もあったかもしれないし、瑛太の過去が照射する自分の過去に対する悔恨もまたあったのではないか…と想像させて。

瑛太と暴力工員の仲が良いのか悪いのかわからない、笑いながらいつも互いに刃を向けているような歪な友人関係っていうのは一見不可解なんですけど、でもあれば罪を背負った人間同士の絆なんだろうっていうのがあって。
二人のそういう複雑な関係のニュアンスがあの「気が滅入るわ」には込められていたんじゃないかなぁって感じであそこ、だからすげぇ良かったですね。
あの諦観混じりの「気が滅入るわ」を生田斗真は決して言えないわけだから。そう言う代わりにひたすら苦悩の叫びを上げるっていうのは、生田斗真が自分の罪に向き合えてない(から、暴力工員よりも瑛太と距離がある)ってことなんだと思ったので。

似た題材の映画で『羊の木』というのもこの間やってましたけど作りとしては真逆に近いっていうか、『羊の木』の方はもっと理路整然としていて個々のキャラクターが独立してる感じがあるじゃないすか。
その独立したキャラクター一人一人の善か悪かの選択が一本の神話的な物語を編み上げていくわけですけど、『友罪』の方はキャラクター間の人格的境界がかなり曖昧で、深淵を覗き込む者も云々みたいな感じで各々のキャラクターが融合したり分離したり他者の姿を自己に転写したり…っていうその目的を欠いた関係と自意識の変化を追っていくから物語もキャラクターも漠然としていて安定しない。

だから逆に「摩訶不思議アドベンチャー」とか「気が滅入るわ」みたいな何気ない、束の間の安定と相互理解が輝いて見えるのかなぁとは思いましたね。
物語としては『友罪』より全然作り込まれた『羊の木』はそういう意味での輝きはなかったので、俺の中では。

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というような作劇を取る映画だから編集なんかおもしろい趣向で、時間や空間の連続性はあまり考慮されず、あるエピソードとイメージを共有する別のエピソードを繋いでいく形で映画が進む。
たとえばAという人の出産絡みのエピソードを全く関係のないBという人の出産に関する別のエピソードが引き継いだりするわけですがー、その接着剤として機能するのが例の加害性なのだからなんでもかんでも加害加害加害とたいへん気が滅入る。
どんな行為もどんな愛もどんな正義も例外なく特定の局面では加害性を帯びてしまう、その残酷な様相が着地点の見えぬままエンドレス数珠つなぎにされるわけである。

友だちは少年Aでした的なキャッチが強いが、という次第だから結局は少年Aがどうのという話ではなく人間みんな誰かの加害者じゃないすかしらばっくれないでくださいよみたいな身も蓋もない話になる。
とはいえ身も蓋もないが卑小なシニシズムには陥らない力強さがあったようにも思う。あの『ストレイヤーズ・クロニクル』にも登場した映画監督・瀬々敬久のシンボル的な世界樹の如し大樹が、空虚な鉄塔群が、巨大パラボラアンテナが、鍋島淳裕撮影のその画力が時間の曖昧なエピソード編集と相まってなにやら神話的な印象を刻むのだから、まったくあの『ストレイヤーズ・クロニクル』を撮った人間の作とは思え…やめようそうやって過去の行為で人を測るのは! これもまた加害の行為だ…。

レトリック感想は基本的に書けないので俳優の人の演技がどう素晴らしいか(あるいはどうダメか)というのはぼくの手に余ることではあるが、精神年齢10歳ぐらいのまま心を閉ざした自分を必死で演じて正面からは到底受け止めることのできない加害の過去をその被害者の相貌で覆い隠そうとしている「ように見える」瑛太の元少年Aっぷりは、それはちょっとやり過ぎだろうと感じる嘘くささも含めて書きながら少しウルっときてしまうぐらいにたいへん素晴らしかったのでそれだけは書いておく。

あの頃以前の子ども状態に逃避する瑛太とあの頃以降の大人気取りに逃避する生田斗真が時間も空間も飛び越えて「あの頃」で邂逅する光景はたいそう感動的だったが、それは現実とも願望ともつかない邂逅が、ではなくて邂逅のイメージの中でお互いがあの頃の罪と向き合おうとすることの感動なのだった。
そこがよかったから耳障りな生田斗真の度重なる絶叫(10回弱)もチャラになった。絶叫しかすることがないんか、とも思うが絶叫しかできない鬱屈キャラなのだと思えばいいじゃないですか! 誰に叫んでいるのか。

ちなみに少年A少年Aと言ってますがこの少年Aは少年Aモチーフの少年Aなので、児童殺害現場に五芒星を描いて生け贄の儀式をしたりだとかナイトストーカーことリチャード・ラミレスみたいなオリジナル要素入ってます(「ディズニーランドで会おうぜ!」とは言ってくれない)

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長いから見てないけど姉妹編みたいなもんでしょきっと。

↓原作


友罪 (集英社文庫)

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