女を土俵に上がらせろ映画『菊とギロチン』感想文

《推定睡眠時間:15分》

彼は默つてる。
彼は俺を見て、ニヤリ、ニタリと苦笑してゐる。
太い白眼の底一ぱいに、黒い熱涙を漂はして時々、海光のキラメキを放つて俺の顔を射る。

『何んだか長生きの出來さうにない輪劃の顔だなあ』

『それや――君――君だつて――さう見えるぜ』

『それで結構、三十までは生き度くないんだから』

富岡誠『杉よ! 眼の男よ!』(青空文庫)

縄文から現代まで通して日本史がまったくわからない。毎年毎年その時期が近づく度に覚えようとする終戦日も未だに覚えられないのだから筋金入りで、とにかくいついつだれだれがどこどこで何をしたかあるいは何が起こったか、というのがセットではもうまったく記憶できないし、だいたいまず興味が持てない。
『百年の孤独』を家系図と年表を作らないと読めない人がいるというが俺の場合はそんなもの作ろうとしたら逆に読めなくなってしまうのであって、百年単位で誤差のあるスーパーざっくり歴史の上にストーリーを置いた方がかえってスゥと書かれた出来事が脳に入ってくるんである。登場人物の名前とかは基本的にどうでもよい(区別さえできればいいので星新一の命名法とか理想である)

という歴史記憶の能否とは全然別にこのギロチン社というアナーキスト同人は存在自体をそもそも知らない。はずだったが、東出昌大演じるギロチン社の中濱鐵(=富岡誠)が詠む上の大杉栄追悼ポエムはなぜか聞き覚えがある。
それも当然でついこのあいだ観た『パンク侍、斬られて候』の冒頭、主人公のニヒリスティックなハッタリ侍・掛十之進(綾野剛)をナレーションの永瀬正敏は(原作の町田康はというべきでしょうが)大杉追悼ポエムのパロディとして描写していたのだった。「ニタリ、ではなく、ニヤリ」(またはその逆)

『菊とギロチン』もナレーションが永瀬正敏なのだから妙なところで繋がるというかなんというか、アナキズム業界もあんがい狭い。
狭いといえば麻原彰晃が逃げ込んでカナリヤに発見されたサティアンの隠し部屋ですが(なんだその論理飛躍は!)えらいタイミングで死刑執行されたなと思ったのは『パンク侍』がオウム真理教についての映画でもあったからで、どう見てもどう見ても黙して語らぬ狂人カルト代表(二代目)浅野忠信は獄中の麻原彰晃のイメージが入ってんである(律儀にポア的な殺人隠語も出てくる)

その点で興味深いのは『パンク侍』のあのカルト、腹ふり教が単純にオウムのメタファーというのではなくて、ダンスとかパンクとかドラッグとかフェスとかグラフィティとか諸々ひっくるめたカウンターカルチャーの抽象というか、カウンターカルチャーのグラデーションの一角にオウム、みたいな形で描かれていたことじゃあなかろうかと思うがなんの話でしたっけ? あぁ、そうだ、『菊とギロチン』の感想でした…。

しかし「眼の男」とくるか。それはまた麻原の見えない片目を連想させて…いやそういうのはどうでもいいとして、それはどうでもいいとして、大杉栄を媒介に『パンク侍』と引きつけて『菊とギロチン』を見るとなかなかおもしろいもので、大杉栄の熱烈アジテーションにヤラれて革命的ななにかを扇動しているがその実いかに格好良いポエムを詠めるかぐらいしか考えていないように見えるちゃらんぽらんの中濱鐵(実際はもう少しちゃんとしているのではないかと思われるが映画なので…)と、その中濱鐵を目の敵にしている空虚な天皇陛下万歳を唱えるだけであんま実のありそうなことはしていない在郷軍人会の相似、という構図が『パンク侍』に見られたカウンターカルチャーへの冷めた視線と通ずるところがある。

女相撲&アナキスト集団VS国家とかそういう対立軸の話じゃないんすよねだから。いや観る前はそういう映画なんだろうなぁって思ってたんですなんとなくのイメージで。
でもそうじゃなくて在郷軍人会&アナキスト集団VS女相撲って感じでしたよ観たら。目の前の現実を変えるために日々土俵の上で闘っている女の人たちの行く手を目に見えない遠い敵を追って理想の中で戯れている男どもが邪魔するっていう。在郷軍人はともかく中濱鐵はそんな気はないんですけど結果的にそうなっちゃうっていう。

おもしろいすよね。これもまた『パンク侍』とちょっと接するところで…崇拝のあるいは憎悪の具体的な対象を失ったそこいらの男どもが自分たちの存在を正当化するために紊乱だいや革命だとなにやら立派そうなことを言いながら小競り合いを演じていて、そんなやつらの思惑とはまったく無関係に時代はよからぬ方向に流れていって(歴史のわからない人の曖昧表現)、そんなこととも無関係に女力士たちはフィジカルな闘いの日々を送っているわけです。

これをどう捉えたらよいだろう。ひとまず現代を照射するとかフェミニズムがどうとか言っておけばそれっぽい物の分かった感想になるから言っておくがいやそんなことよりも!(松竹版『八つ墓村』における渥美清のトーンで)
東出昌大の中濱鐵の薄っぺらさとか、中濱鐵と行動を共にする古田大次郎=寛一郎のいかにも脆そうな生真面目っぷりとか、また出てんのかよ渋川清彦とか、ポロリなどない真剣勝負の女相撲とか、その稽古風景とか、飯の食いっぷりとか、そういうの見てたらわりと3時間サっと過ぎましたから劇伴もほとんどない硬派系の装いではあるが結構、俗っぽい見世物的おもしろのパッチワークでたのしいかったです。
(だいたい実在人物の個人史を堂々とねじ曲げて一本の空想叙事詩に編み込んでしまうのだから見世物的でないわけがないのだ)

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映画黎明期には最大手映画会社だったがその後映画の世界的興隆と反比例して斜陽の時期に入ってしまったパテ社を立て直すべく経営に乗り出したのがベルナール・ナタンという人物だそうですが、後年アウシュビッツに送られるこの怪しくも悲劇的な人物と19世紀アメリカにスピリチュアルブームを巻き起こしたフォックス四姉妹(をモチーフとした)が映画マジックの中で遭遇する現実にはあり得なかったがこいつら組み合わせたら面白そうだよな的シリーズ。

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