介助戦争映画『こんな夜更けにバナナかよ』感想

《推定睡眠時間:0分》

かなり進行した筋ジストロフィーを患いつつも病院暮らしなんざまっぴらごめんと自前の大量ボランティアを手足に院外生活を送っていたハードコア障害者・鹿野靖明に取材したノンフィクションの映画化だからエンドロール後にリアル鹿野靖明の映像が出てくるが、意外やその姿、映画の中の大泉鹿野よりもキモくない。

通例ノンフィクション原作であるとか実録もの映画っていうとスクリーン映えするよう美男俳優使って微妙に美談化を狙ったりするものですから映画の中の主人公の方がリアル主人公より映えないっていうのはなかなか。
タイトルはバナナですけど骨のある感じですよねなんか。まぁリアル鹿野靖明も実際にボラ行って近くで見たらそんな綺麗めには見えなかったかもしれませんが。

どのような骨かといえば、原作ノンフィクションの著者・渡辺一史の個人ページに本について次のように書かれていた。

私が「障害者介助の現場」で目にしたものは、人と人とが支え合う “美談” でもなければ、善意と共感が渦巻く “感動ドラマ” でもなかった。
むしろ、そこは、幸・不幸のパイをめぐって、食うか食われるかのシビアな争いが繰り広げられる戦場であった。
(…)
ときに「弱者」であるはずの鹿野さんに押しつぶされるボランティアもいるなど、両者のやりとりは、鋭い対立や葛藤を生む。「愛」と「憎」がない交ぜになった濃密な人間関係がそこにはあった。
http://www.edia.jp/watanabe/watanabe/Banana.html

映画ではそこらへんオミットされていたが、この引用の前段にはボランティア志望者の「一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる」との言葉がある。

ようするに当たり前なのですが介護とか介助というのは綺麗事では済まないし、それはシモの世話がどうとか行為に対してだけ言われるのではなく、精神的なことや介護/介助者とその対象者の関係も含めてそうなのだ。

俺がこの映画がすげぇ良いなと思ったのはまあ観る側が引かないぐらいなビミョーなラインで踏みとどまってはいるのですが、その綺麗事では済まなさにちゃんと正面から切り込んでいて、準主役の学生ボランティアふたり、高畑充希と三浦春馬がキモイ大泉鹿野に翻弄されてメンタル壊れかけになるまでの過程を描く。

弱者と強者の関係が介護をする/される中で入れ替わったり、またある面では弱者と強者の関係にあっても別の面ではその逆の関係が成り立っていたり、たとえばここには昨今話題のパワハラもセクハラも出てくるが、それは大泉鹿野→ボランティアからの場合もあればボランティア→大泉鹿野の場合もあるのだ。

『愛しき実話』なる手前味噌で寒いサブタイがいかにも観る気を削ぐが、そうした表面的な穏やかさの下には苛烈な介護/介助のリアルがあるわけで、そのへん、結構な社会派力作感なのだった。

それにしても。障害者は社会を映し出す鏡だとかなんとかいう傲慢なリベラル決め台詞も世の中にはありますが、そんな物の分かった傍観者的な定型句を顔色一つ変えずに言ってのける輩には欺瞞だ偽善だと常に何様的立場から文句を言ってやりたくはありますが、セクハラもパワハラもということなので大泉鹿野から社会問題がバリ見えてくるという面は確かにあった。

お前それとこれとは一緒にできんだろとの非難はバッチ来いなのですが俺がこの映画を観ながら思い浮かべていたのは広河隆一の性暴力疑惑で、権力の非対称性がその当事者のジェンダーと絡む時に、無自覚的にこうしたことは起るんだろうなぁとかなる。
というのも報じられている広河隆一の弁解を信じるとすればこの人は被害者の人を向こうから自分に惚れてやってきたとかなんとか言っているわけで、自分の持つ権力と相手のそれの非対称性がもたらす効果の暴力性を理解していなかった。

これたぶん大泉鹿野もそうだと思うんですよね。って別に大泉鹿野が高畑充希に犯罪的なことをするとかではないのですが際どいラインは攻める。
瀕死状態での「おっぱい触らせて」発言とか、パーティ会場を借りての大規模快気祝いの席で付き合ってもいないのに一方的に結婚を申し込むとか。
広河隆一と大泉鹿野じゃあ権力の質が全然違うのだけれども、強制することなしに本人が望まないことを相手にさせるという意味で、特定の環境の中で権力を行使していることは違いがないわけですよ。

それに付随してまた別のことも頭に浮かび、なにかと言えば今や懐かしトピックに属しつつある乙武さんの不倫。
そうかー乙武さんもたぶんこういう風に女の人を口説いていったんだろうなーって思いましたよ。心理的マウントを取ってそりゃ断れないよねっていう状況に追い込んだり、あるいは尽くすことで自身の善性を確かめようとする健常者のある種のエゴを利用したり。

性欲の充足も含めて世の中がなんでもかんでも健常者に都合のいいように出来ている限り、障害者の性は性の搾取やセクシズムと無関係ではいられない。
まさしく「幸・不幸のパイをめぐって、食うか食われるかのシビアな争いが繰り広げられる戦場」という感じ。
でも、社会的弱者は常にそうすることでしか世間一般が当たり前に享受している自由を得られない、と言っておく必要はあるだろう。

これを映画館で観た人はその劇場のどこにどれだけどんな作りの車椅子席があるか一瞬でも確認してみたらいい。
たぶん、大抵は一番前の列のスクリーンを見上げていると首と腰が痛くなる位置に二つか一つで、そこにはドリンク兼ポップコーンホルダーもないし、介助者やパートナーが横で一緒に観れるような工夫もない。

だったら車椅子席以外の好きな席買ってバニラ・エアのタラップを自力でよじ登った車椅子の人みたいにすりゃいいだろ、と思われる向きにはお前じゃあ途中でオシッコ行きたくなったらどうすんだよと問いを投げておく。

オシッコなら最悪漏らしてもいいが大だった場合に困るのは本人だけじゃないからなということでその光景を想像しながら映画館のバリアフリー構造の必要性を再認識するが、当然ながらこういうのは映画館に限ったことではないわけで、何を隠そう俺は漏らサーなので去年こそ大を漏らすことはなかったが今年も残すところあと数日という一昨日、まさかのハーフ漏らしを経験してしまった。

最終的にパンツには付着していなかったからハーフなのだが駅でお腹が痛くなってトイレに向かう途中で液状のものが出る。もう固体とかではない。
潔癖なので普段は便座にトイレットペーパーを左右に二枚敷いて座るが、その過程すら省略せざるを得ないほどの緊迫状況であった。

いやそれはどうでもいいのですが映画の中に大泉鹿野がバーベキュー場でお腹を壊して車椅子OKトイレを探しているうちに出ちゃう場面があり、これは他人事ではないなと思ったのは俺もその時に大抵は空いている多目的トイレに走ることなく走って向かったのですが、その駅では通常トイレと多目的トイレの位置がかなり離れていて、トイレの案内表示に従って通常トイレに辿り着いた瞬間は三途の川が見えた。

幸いにも一個しかない男子トイレの個室は空いていたから川を渡ることはなかったものの、もし多目的トイレが通常のトイレの横に並んでいればこんな気苦労もなかったろうと糞を垂れ流しつつ憤る。いやむしろ通常トイレの代わりに多目的トイレ何個か作ってくれ、小は比較的なんとかなるから。

駅にエレベーターがあるのは障害者がしつこく要求したからですが今やみんな使ってるじゃないすか、的なことを劇中で大泉鹿野が言っていたが、そういう障害者の必需設備は大体の場合においてありゃあ健常者だって便利なんである。

ウンコの話を伸ばしすぎだろうと思う。別に『こんバナ』はウンコの映画ではない。まぁでもそういうことを色々考えさせられるというか、そこで描かれることを日常に引きつけて考えることを強制されるような圧の強さは感じましたね。
大泉鹿野はだいぶえげつない手段でボランティアを精神的に拘束するわけですが、まさにそのような体験を観る側もすることになる。『孤高の遠吠』の惹句に倣って強制参加型介助映画とでもいうか。そういう感じ。

キモくてウザい大泉洋、蓮っ葉な高畑充希、ポンコツ三浦春馬、爬虫類系看護師の韓英恵、すっかり裏地がモコモコの防寒着で角打ちしてそうなオッサンと化したことに感動させられる萩原聖人などなど役者よし。
浪花千栄子みたいのが出てきたなぁと思ったら綾戸智恵だったり、三浦春馬の父親役が佐藤浩市で最終的に三浦春馬がヤング佐藤浩市に見えたり、それから忘れてはいけない高畑充希のシャイニングな太ももと蓮っ葉言動のエロさ、と演技的見所いっぱいあった。

で、こういう人たちが大泉鹿野に振り回されて対立したり結束したりメンタルをやられたり希望をもらったりする。
リアルな介護/介助はする側もされる側も一様とはいかない。医師なり介助者なり両親なりそれぞれのポジションの正義というものがあるし、それぞれのポジションから正当な要求を投げ合うから清濁だっくだく、その上この場合は介助者が金で雇われたプロではなくボランティアなので状況は一層複雑になる。

うーん、カオス。題材からいってこのカオスをお定まりの美辞麗句で収まりよく解釈すべきではないだろうと思われるので涙涙のうぜぇ感動作かと思ったら血で血を洗うアクチュアルで社会派な介助戦争映画だった、とお茶を濁して感想終わる。
うそ本当は大泉鹿野のフリーマンっぷりが笑える介助戦争映画でしたから安心して観てない人は観てください(戦争映画は変わらない)

※2018/12/28 多少追記しました。

【ママー!これ買ってー!】


さようならCP [DVD]

色々講演とか呼ばれたりしていたので鹿野靖明には人権運動家としての側面もあるが、アグレッシブな障害者の権利運動といえば『さよならCP』。

↓原作とノベライズがあるので要注意

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)
こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 (文春文庫)

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