英国女王は大変映画『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』感想文

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『ヴィクトリア女王 最期の秘密』『女王陛下のお気に入り』そして『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』と代こそ違えど英国女王映画が立て続けに公開されているわけですが一体洋画配給業界になにが起っているのだろうか。
来てるのか? 英国女王ブーム。いやでも俺3本とも観に行ってますけどどれも客入り普通だったと思うんすけどねぇ…。

もっともらしいようなもっともらしくないような理由をこじつけるとすればその背景にはMeTooに端を発する現代の女性権利運動があるのかもしれない。
折しも『キャプテン・マーベル』も公開中。本当は男どもを凌駕するスーパーパワーを持っているのだが男社会の男ルールのせいで不当に低い扱いを受けている、というのがキャプテン・マーベルのキャラ設定ですが、そこだけ取り出せば『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』もだいたいやっていることは同じである。

時は16世紀。色々あって(※歴史はまったくわからないので詳しくは詳しい人に聞いてください)おフランスより故国スコットランドに帰還した王室的エリートのメアリーは色々あって(※詳しくは詳しい人に…)スコットランド女王の座を最速ゲット。
さすがおフランスで色々やったエリート帰国子女。だが能力のある女はバカばっかの男社会で疎まれるに決まっているので早速、保守的な側近系のオッサンに反旗を翻される。

保守的というがこのオッサンはプロテスタント万歳な人だから当時的には革新派。フランス式カトリックのメアリーがむしろ宗教保守なのでなんだかねじれているが、たぶんこの構図は現今の欧州政治事情のメタファーみたいな感じなんでしょな。
極右勢力の伸張がどうこうとかよく言われるが、こういう人らは既定路線に対する根本的な異議申し立てが人気の秘訣なのだから、主張の中身は原理主義的であったりザ・保守っぽくてもその政治的ポジションが支持者にとって意味するものは革新でしょうみたいな。

で、そういう頭の固いオッサンを優秀なメアリーはバシバシ切って国の分断を埋めるべく孤独の中で権力基盤を固めようとするので、燎原の火の如く無能な人たちの反感拡大。
その背後にはやはりというかイングランド女王エリザベス1世の影があり、複合的な事情でメアリーを快く思わないエリザベス1世は密かに(失脚してくれないかなぁ…)とか思っているのであった。

直接会ったりとかは全然しないがこうして水面下で静かに火花を散らすふたりの女王。あぁなんでこんなことになったんだろう。男だ。男社会だから悪い。男社会でなければこんな風にいがみ合う必要はなかったのに…まぁそれはその通りだとは思いますが。

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とある映画評論家というか映画活動家の人がこの映画(と『グリーンブック』)に触れてヒストリカル・コレクトネスよりもポリティカル・コレクトネスが現代映画では大事なんだろうと書いていた。
それは皮肉なのだったが、時代層をあまり考慮しない多人種配役や同性愛が政争の具にされるあたりを見るに、どうもこれは意識的にヒストリカル・コレクトネスよりもポリティカル・コレクトネスを打ち出してきたんじゃなかろうかという気がしてくる。

実際これは現代の感覚の映画であって、衣装とかライティングとかは過剰にそれっぽく作ってあるが過剰ゆえにリアリズムというよりはヴァーチャル、そりゃあ16世紀のスコットランドなんて行ったことありませんからあれですが、女王ふたりの性格も野蛮なる16世紀にしては繊細すぎまた現代的に洗練されすぎているように思える。

たぶんプロテスト万歳の煽動オッサンの件も含め、ここで描かれているのは歴史的に正しい時代の像ではなく現代の風刺画としての時代なんだろう。
出資国が英米というのもさもありなんというか、今のアメリカこういう映画すげー作るもんなーみたいな感じである。
宗教原理主義の煽動オッサンとかアメリカたくさんいますからね。いや別に俺が直接見たわけじゃないですけどやっぱプロテスタントの国だから。そこらへんねぇ、考えてないわけないですよ、アメリカ向け映画の作り手が。

そういう意味ではおもしろい映画だったとおもう。そのなんていうか、個々の人物描写とか状況演出とかはかなり浅く、とくに煽動オッサンなんか煽動しかプログラムされてない無能ロボットみたいな描かれ方で、全体で一枚の絵を描くためにすべてのシーンが同じ方向に動員された結果ぜんぜん平板で生気を欠く、という観がある。ようするに映画としてあんま盛り上がらない。薄味。

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でもこれが出てきた時代背景とかこの物語が達成しようとしている(と俺は思うのですが)政治的目標を考えてみるとそれこそ『キャプテン・マーベル』とも繋がるところが出てきたりして、脳を刺激。
件の煽動オッサンに女指導者が男指導者と比べていかに劣っているか丁寧に台詞で言わせたり、気持ちはわかるがそのシナリオはちょっと安直すぎるだろう比喩とか知らんのか比喩とか省略とか、みたいなことは思ったりするわけですが、まぁ映画というのは内容だけで楽しむものじゃないですから。

著名な女性舞台芸術監督の映画初監督作っていうのも込みで、そんなに出来が良い映画だとは思わないのですが興味ぶかく見れましたね。

2019/3/18 追記:
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』『女王陛下のお気に入り』『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』に共通するのは今まで男史観で描かれてきた歴史を女の視点から描き直すという点で、そのへん比較して見てみるとなかなか面白く、たとえば乾いた異性間のセックスとエロティックな同性間のセックス(またはその香り)の対比というものが『女王陛下のお気に入り』と『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』にはある。

『女王陛下のお気に入り』は女王を取り巻くふたりの女が方や欲望の解放を担当し方や規律の遵守を担当し、と女王を核とする男社会の大枠の中に女化する女と男化する女の相克を置くジェンダー的な入れ子構造になっていたが、そこまで前景化しなくとも同様の構造は『ヴィクトリア女王 最期の秘密』にも『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』にも見られるもので、女でありながら男であり男でありながら女であり、男たちの主でありながら男たちの掟に拘束される女王の両義性がどの作品でもその悲劇の基調を成していた。

このことからすると現代映画はヒストリカル・コレクトネスよりポリティカル・コレクトネス、というのは現代映画は単一性より複数性、と言い換えることができるかもしれない。
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』が描くのは近年新たに明らかになったらしいインド人従者のエピソードだったが、女の視点から歴史の像を描き直す3本の女王映画は、オルタナティブな歴史観を提示すると同時に歴史の像がいかようにも描かれうることをつまびらかにするようなところがある。

いかにもポスト・トゥルースの時代の映画だなぁと一蹴する人もいそうな気はする『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』ですが、そもそも今までの歴史映画だって誰かの目を通して描かれ意味づけられ意図的であろうがなかろうが多かろうが少なかろうが政治化されていたのだから、とその超越性や単一性の装いに対する批評を映画自体が帯びているっていうの、単一性の世界の幻想が排外主義のゆりかごになってたりする今の世の中では意義のあるところじゃないすかねぇ。

【ママー!これ買ってー!】


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さるこ

こんにちは。
時代劇を見てたけど、反映しているのは現代なのですねえ…
同性愛者が小道具のように使われていて、なんだかなぁと思いましたが…
しかし、あれです、甲冑がかっこよくて目を奪われました。メアリーのそれなんて、日本の戦国武士みたいです。