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2025年1月のトランプ大統領就任式典直前のトランプ夫人メラニアに密着したドキュメンタリーという触れ込みなのだがメラニアがパームビーチにある豪邸から出てきてリムジンに乗り込むタイトルバックからしてなんだかすごい。ハイヒールでガン決めして歩くメラニアの足元と豪邸の空撮のカットバックに次いでメラニアの後ろ姿のビハインドショット、そしてアメリカ名物『ターミネーター』のシュワちゃんみたいなバカでかサングラスでガッチリ固めたメラニアのお顔という編集で、このもうむせかえるような猛烈なセレブ感!
『プラダを着た悪魔』かよとか思うのだがその後は更に凄くニューヨークのトランプタワーにメラニアが入るとそこは壁も床も調度品もすべてが金ピカという信じがたい悪趣味ルーム、こんなの完全に昭和のギャグマンガに出てくるお金持ちハウスなので昭和のあの貧困なる想像力が生み出したお金持ち世界がこの現代に実在したことに感動してしまったし、どうしてトランプはアメリカで人気なのだろうという疑問の一つの答えがわかったような気もしてなんかスッキリした。
トランプが見せる「イメージ」はとにかくわかりやすいのである。現実のお金持ちの多くはお金持ちだからと自宅を金ぴかハウスにすることはないと思うのだが、トランプはお金持ちであることをアピールするために部屋を金ぴかにするし、それを見た俺のような貧乏低学歴人間は「すごいお金持ちだ!」とか思うのだ。実際、メラニアがその金ぴかルームでファーストレディの仕事としていの一番に行うのは就任式典で着こなすドレスの選定と調整であり、それはいかにトランプ&メラニアがイメージというものを重視しているかを雄弁に物語るし、この映画はメラニア自身が製作に入ったセルフプロモーション映画のようなものなのだが、わざわざ多額のお金をかけてセルフプロモーション映画を作るということ自体が、トランプ&メラニアがイメージの人であることの証左だろうと思われる。
とそんなわけで批判的な視座を持って観ればこれは実に示唆に富む面白い映画だった。たとえばメラニアとトランプの関係性。これはメラニアのプロモーション映画なので映画の大半はメラニアの単独行動、トランプは途中からあくまでも脇役として出てくるという感じなのだが、トランプとメラニアが二人でいる場面でこの二人は夫婦らしい行動、たとえばちょっとした日常会話を交わすとか、お互いを労るとか、そういう親密さを感じさせる行動をほとんど取らない。その距離感はほとんどビジネスライクとさえ言えるもので、そこからはトランプというブランドを上手く使って自己実現を図るメラニアの案外したたかな一面が見えるような気がしないでもない。
そのトランプの姿もなかなか面白いもので、みなさんはドナルド・トランプといえばいったいどんなイメージを抱くであろうか、やはりニュースのサムネとかでそういう感じの写真がよく使われるので、支持する人も支持しない人もなんとなくメイクアメリカグレートアゲインな暴君のようなものをイメージするのではないだろうか。ところがこの映画に出てくるトランプは一言で言えば高齢者であった。いつも猫背で重い体を引きずるようにのそのそ歩き表情は枯れて頭髪はボサボサでハゲかかっている、っていや別に外見を揶揄したいわけではないく、何が言いたいかと言えばニュースのサムネとか演説動画に出てくるような悪の覇者的なトランプはここにはおらず、いるのは単なる高齢者。演説の練習には疲労が見えるしちょっとした会議をすればほとんど発言ができず、ずっと虚ろな目をしているから話を聞いているのか聞いていないのかわからない。この姿のどこにメイクアメリカグレートアゲインがあるというのか?
後半に出てくる当選祝賀パーティにはトランプ二期において閣外参謀となるイーロン・マスクやAmazon創業者ジェフ・ベゾスの姿が見える。トランプのすっかり枯れた姿を見た後にこんな顔ぶれを見せられれば一つのストーリーを観る側としては描かずにはいられない。ようするにトランプとは傀儡なのである。生のトランプは一国を率いるだけの知識もビジョンも思慮もなければ熱意さえもあるようにはほとんど見えないのだが、テレビタレントとして長年活動した経験からかイメージ戦略には長けていて、自分を力強く頼りがいのある大物であるかのように見せることにはどうやら成功しているらしい。そしてどうも、そのイメージやブランド(のみ)をマスクやベゾスといった狡猾な経営者であるとか、共和党の指導部であるとか(米共和党は党支持率が低迷していたオバマ政権下でトランプを担いで党勢を回復したのである)、そしてメラニアもまた、利用しているようなのだ。
そう考えれば昨今のアメリカ国内の政情不安の理由もわりあい簡単にわかるのではないだろうか。つまりそれはトランプが強大なパワーを持つ悪の帝王だからではなく、むしろ逆に、良かれ悪しかれ統治能力がないために生じている事態であり、単にトランプが才能の無い政治のアマチュアであるという、本当は誰もがわかっていたはずなのに、支持派も反対派もトランプのイメージ戦略に踊らされて見えなくなっていた事実を、改めて証明するだけのことなのである。
ドキュメンタリー映画はたまにこういうことがあるから面白い。映像そのものの持つ力が作り手や出演者の意図を超えて思いがけず真実の一端のようなものを垣間見せてしまう。この映画は監督が『ラッシュアワー』の娯楽職人ブレッド・ラトナーなのでドキュメンタリーというよりはハリウッド娯楽映画のような演出や編集になっていて、これ台本付けて演技させてるだろというシーンも散見されるそのフィクション映画的な手法は怒る人は猛烈に怒るかもしれないのだが、それによって結果的にトランプ&メラニアの虚構性が、そしてまたセレブ信仰というアメリカの病理のひとつが強く印象付けられるわけで、それはもっと実直な作りのドキュメンタリーであれば見出すことが難しいものだったんじゃないだろうか。
ところで、この映画はマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」などの名曲がBGMとして贅沢に散りばめられているのだが(マイケルとか一曲使うだけで何億とか取るんだぞ!)、絵に描いたようなセレブ感満載のトランプ&メラニアのパーティのシーンで流れるのはティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」で、ほかはすべて原曲のはずなのだがこれだけはなぜかインストバージョン。「誰もが世界を我が物にしたがっている」という歌詞にイメージ悪化を懸念したメラニア側が難色を示したのかも知れないし、逆にティアーズ側がイメージ悪化を恐れて使用を許可しなかったのかもしれないし、単に編集の都合とかでそうなっただけなのかもしれないのだが、なんだか意味深でちょっとおもしろいところである。
意味深でちょっとおもしろいといえば、メラニアが一番好きだと語るのが「ビリー・ジーン」というのも、この曲の歌詞を思えばなかなかニヤニヤさせられるのではないだろうか。「ママはいつも言ってたよ、恋する相手には気をつけろって。ウソも真実になってしまうから」。
※やたらと愛想の良いバイデン前大統領、就任式典でめっちゃイヤそうな顔をしているカマラ・ハリスなども見所なので、共和党またはトランプ支持者の人よりも民主党支持者の人に観て欲しい映画かもしれない(観ないと思うが……)