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SFファンならみんな言ってるだろうから俺ごときが言うまでもなかろと思っていたがなんか少なくともネットを見る限りではあまり言われていなかったようなので書いておくとこの映画の原作であるスティーヴン・キング(リチャード・バックマン名義)の『バトルランナー』という小説はロバート・シェクリイの『危険の報酬』という短編の二次創作みたいなもので、貧乏な素人がテレビの危険なゲーム番組に挑んでクリアできれば大金獲得という終わった近未来で主人公がその最高峰である殺人おにごっこ番組に参加するというプロットはほとんどそのまんま『危険の報酬』、キングは『ゼイリブ』の原作であるレイ・ネルソンの『朝の八時』の二次創作として喫煙者だけが隠れて進行するエイリアン侵略の事実に気付くという筋立ての『十時の人々』という短編も書いているので、こういうことは少なくとも初期には結構頻繁にやっていた。
1987年のシュワちゃん版(という名のまったく内容の異なる怪作)に続く『バトルランナー』二度目の映画化となる今回の『ランニング・マン』はその『危険の報酬』に『バトルランナー』よりも近いと言えば近かった。というのも原作版『バトルランナー』は激しいアクションとかバイオレンスに特徴があったと記憶しているのだが、原作最大の見所である破滅的なラストシーンが諸般の事情により(観ればわかる)カットされ、年齢制限を付けないためかバイオレンス描写もほぼほぼないので、その結果残酷テレビショーで殺人おにごっこというプロットが前に出て『危険の報酬』の映画化のようになったんである。
そう見えてしまったのでこれはちょっと甘い映画だなぁとか思ってしまった。『危険の報酬』はかなり面白い短編なのだが、この作品の実に気が利いたところは視聴者が味方であるという点にあった。これといった特殊スキルなど持たない凡人の主人公はすぐにフル武装した追っ手軍団に追い詰められてしまうのだが、この人にはまぁ今だったらスマホだな、携帯テレビ端末が支給されていて、ピンチのたびに視聴者がその建物を自分は知ってるがどこどこに逃げ道があるからそこへ向かうんだ! とかピンチ脱出の機会を与えてくれる。
『ランニング・マン』の方は主人公の居場所を番組に通報すればその人には報奨金が出るので視聴者は全員敵だし番組側も主人公はこんな極悪人なんだとウソをついて煽るわけで、それと比べて『危険の報酬』は昔の小説だから牧歌的だなぁみんな優しいなぁとか思うかもしれない。しかし! そこが罠なのですな。たしかに『危険の報酬』の視聴者は主人公を助けてくれるのだが、それはあくまでもテレビの中のヒーロー=主人公が映画みたいにスリル満点で大活躍するサマが観たいからに過ぎないのであって、視聴者のそうした欲望を叶えるために主人公は実はあえて生殺し状態で番組側に生かされていたことがのちのち判明する。視聴者は主人公を助けているようでいて、むしろ逆に主人公の命をまったく無責任に弄んでいたわけだ。
最終的に『危険の報酬』の主人公は追っ手から逃げ切って大金を獲得するのだが、それは同時に彼が今後も視聴者の好奇心によって籠の中の鳥のように踊らされ続けることを意味する。それを知ってか知らずか極限の恐怖を体験した主人公はせっかくゲームをクリアしたのに精神崩壊してしまうというブラックなオチで、まぁ具体的には申しませんが、それと比べれば『ランニング・マン』のラストの多少やっつけ感すら感じられる展開は、現実認識が甘いぶんだけ面白味がないんじゃないだろうか。なんのかんの言いつつ正義は勝つ! のハリウッド的勧善懲悪。まるでスーパーヒーロー映画のエピソードゼロか『ロボコップ』みたいな感じだが、『危険の報酬』の痛烈な皮肉も『バトルランナー』の破滅的なバイオレンスもないというのは、だったらわざわざこの原作で映像化しなきゃいいのにみたいな話なのだ。
といっても監督がエドガー・ライトなので『ロボコップ』や『ブレードランナー』を主なイメージソースとして(冒頭の直談判シーンはとてもブレラン)1980年のアメリカSF映画の意匠を散りばめつつ毒々しいユーモアでポップに悪夢の未来世界を開示していく序盤は映像的に楽しかった。ただそれが展開に生かされることはとくになかったし、オチも含めてなのだがこれはシナリオがやっぱ上手くないんじゃないすかねぇ、『危険の報酬』みたいに逃走期間は一週間とかにしちゃえば良かったのに一ヶ月と無駄に長いので緊張感が持続せず、後出し情報と後出しキャラだけがどんどん増えて物語が散漫になっていく。良く言えばロードムービー風の改作とも言えるけれども、ロードムービーの影の主役であるところの風景の魅力が序盤の未来都市以降はまるで見られないので、うーん。
あとこれは個人的な好みの話なんですけどこの映画って女は全員バカで無能で男はみんな勇敢で賢いので男たちが戦って怒りと暴力でもって間違った世の中を正すのだ的なマッチョ思想が透けて見えるので、えーもうそういうのよくなーい? そういうのがアメリカのダメなところじゃなーい? っていうのはかなり思うところで。それ、これだけじゃなくてこのあいだの『ワン・バトル・アフター・アナザー』もいろいろ誤魔化しつつも本質的にはそういう映画だったんで、ちょっと嫌気が差してる感じではありますねぇ。