《推定睡眠時間:0分》
観ながら思っていたのはゲームっぽいなということだった。映画は宇宙船内から始まる。どうやらその乗組員たちはコールドスリープ的なものに入っていたらしいのだが(ということは相当地球から遠いところに来ているのだろう)その一人から生命維持装置が引き抜かれて強制起床、この人が主人公のライアン・ゴズリングなのだがコールドスリープの副作用なのか記憶障害の状態にありここがどこかも自分が何者かもわからない。その答えは案外早く明らかになってしまうのだが、アイテムや資料や設備をひとつひとつ調べるたびに少しずつ状況が掴めてきて記憶も戻ってくる船内探索パートはADVのようである。最近『バイオハザード レクイエム』をずっとやっていたのでとくにそう感じたしあと船内に人間は主人公一人だけで他の乗組員はなぜか死んでたのでゾンビとか怖いエイリアンが暗がりとか曲がり角の向こうから出てきやしないかと変にドキドキしてしまった。そういう映画ではないので怖いのが苦手な人も心配しないでいいです。
原作本は読んでいないのだがどうやらそちらの方は主人公が何かしら課題にぶつかってそのたびに科学知識をフル活用して活路を開いていく連続ドラマ的な造りになっているようでますますゲーム的だ。この映画版はあまりそうした趣向はなく主人公と宇宙生物ロッキーのコミュニケーションを軸に据えたいわゆるファースト・コンタクトものになっていたわけだが、映画が始まる前にはラジオドラマの要領で小説を朗読してくれる原作本のAudible版の広告が流れていたし、SNSを見るとAudibleで原作本を読んだというか聴いたという人もチラホラいるので、映画はともかく原作本は謎の提示→答えの論理的推理→解決という流れがスムーズで、読んだり聴いたりしていてたぶん気持ちいい作品なんだろう。
それで思ったのはこれはSFというよりも、いや別にジャンル論に踏み込むつもりはないのでこれがSFじゃないとか言いませんし思いませんけど、この作品の何が面白いのかというその核心部分はたぶんSF的な驚きとかイメージではなくて、アメリカ娯楽作品のひとつのベースといえるエンジニア冒険物語の部分なのだろうということだった。たとえばエドガー・アラン・ポーの『メエルシュトレエムに呑まれて』は船乗りが巨大な渦巻きに巻き込まれてしまって絶体絶命という状況の中、科学知識を冷静に総動員して論理的に脱出策を導き出すというお話であるし、地球滅亡の危機に民間の石油作業員(なぜ?)が立ち上がって巨大隕石に特攻をかける『アルマゲドン』も後半はゴリ押しが目立つとはいえやはり創意工夫で危機を乗り越えるエンジニア冒険物語の系譜だろう、『キャスト・アウェイ』なんかも無人島に漂流したシステムエンジニアが知性と理性のパワーで無人島をサバイブする物語であった(その主人公トム・ハンクスは寂しさを紛らわすためにバレーボールに顔を描いて親友とするので、このへんもしかすると『ヘイル・メアリー』の異星人との交流のイメージソースかもしれない)。
『バイオハザード レクイエム』もちょっと難しい謎が解けたときには気持ちよかったので行き詰まり状況を思考一本で突破するというのは人間にとってわりと普遍的なグッと来ることなんだろうな。それはいいけど個人的にSFに求めるものはそういうものではなくて、なんというかなざっくりセンス・オブ・ワンダーとか言いますけど、広い意味で他者の世界を感じさせる発想というか、自分の世界にないものに触れる感覚、それによって自分の世界が変形するような感覚……みたいなものを感じさせてくれるのがSFの面白さだと思ってるので、たとえばロボットバトルものとかはジャンル的にはSFであってもあんま興味ないし、『スター・ウォーズ』みたいなスペース・オペラもそれはそれで冒険活劇として楽しくはあっても、SFならではの興趣というのは感じない。
だから本質的にはエンジニア冒険物語と思われる『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も俺はぶっちゃけあんま面白くなかったなぁ。これは映画の出来が悪いとかそういう話じゃなくてこういう話は別にSFに求めてないので、ということ。原作を読んでもたぶん無味乾燥に感じてつまんないと思う。いや、でもそれはそれとして映画の出来は悪かったですよ。だってずっと説明しかしてないんだもん。説明のための台詞、説明のための映像、説明のための音楽。それを156分ぐらいかけてメリハリなくダラダラとすっとやってるだけ。もっとなんか見せ場っぽいところとか独創的なところとかあってもよくない? 型どおりのエモーションとか型どおりの地球の危機というたぶんオモシロ要素的なものも一応あるけど、そんな型どおりのものに今更感動できるほど俺はピュアではないので、演出も面白くなければ原作を映画向けに再構築できてない(と思われる)脚本も面白くなかった。あえて言えばいかにもアメリカ的なムードが味わえるというところはこの映画の良さなのかもしれないが、早くハリウッドとアメリカに崩壊してほしい俺にとってそれはなんらメリットとはならないのであった。
SFの読み始めが安部公房と星新一とフィリップ・K・ディックという俺にとってSFは変な道具や変な人々や変な世界を見せてくれるオモチャ箱のようなものだったのだが、最近知ったことにはどうもSFというのは難しい用語とか難しい科学が出てくる難しいものだという感じで苦手意識を持っている人が世の中にはわりといたりするらしい。たぶんそういう人たちにとって本質的にはエンジニア冒険物語たる『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は良い意味でSFっぽくなくてすんなり受け入れられるもので、それがこの本と映画がやたら売れている理由なのかもしれない。変なものや予想外のものが何も出てこない『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はとても見やすいエンタメだし、Audible版も人気らしいというのもその内容面のリーダビリティに依るところが大きいんじゃないかと思ったりするが、まぁ、俺に向けられた映画ではなかったということです。