《推定睡眠時間:20分》
トランプ現アメリカ大統領夫人メラニアのセルフプロモーション映画『メラニア』を観たときになんだか『プラダを着た悪魔』みたいだなぁと思ったもので、それは広告的な映像スタイルにも根ざしているが、メラニアはファッションに異常に気を配り仕事ができすぎちゃうスーパーウーマンとして描写されていたので、それが『プラ魔』のアナ・ウィンターもといナンバー1ファッション誌ランウェイ編集長ミランダ(メリル・ストリープ)を思わせたからなのであった。メラニアはきっと『プラ魔』は観ているだろうし好きだろうが、興味深いのは『プラ魔』が好きなのはメラニアだけではなく、そこで描かれるセレブの世界にアメリカの多くの人々は魅了されているとしか思えないことで、パリス・ヒルトンやキム・カーダシアンといったスーパーお金持ちのボンボンがテレビ番組のスターとなってその一挙手一投足にみんな注目という文化があるのは世界でもアメリカぐらいなもの、そりゃ日本にも叶姉妹というセレブタレントが存在するがあれはどちらかといえばセレブパロディの芸風なのであって、イギリスの王室ゴシップもこれと近いとはいえアメリカほど露骨ではない。こうしたアメリカ特有のセレブ信仰文化の土壌があってこそメラニアは自分をセレブとして宣伝するのだし、そしてまたトランプもセレブタレントとしての知名度が大統領選において大きな武器となったというのが通説ではなかろうか。
こうした一握りのスーパーお金持ちに対する庶民の羨望や自己投影は民主主義の真逆に位置する、あえて言えば王政復古願望のようなものだろうが、そういえば今年に入ってアメリカで盛り上がった反トランプデモのスローガンが「NO KINGS」だったなのであった。まったくおかしなものですよ。アメリカは王政の罪を知らない無垢な新天地として誕生して、ある種ヨーロッパのデモクラシーの実験場として運営されてきた国なのに、その国が今では少なくとも西側世界では一番王様を欲望する国になってしまった。ハリウッド映画ほど王様を繰り返し繰り返し憧れの的として描き続ける映画業界は他のどこの国にもきっとないだろう。ディズニーは一貫して「プリンセス」を描き続け、『スター・ウォーズ』は言うならば庶民にない権力=フォースを持った階級としての王族に関する物語と言えるし(最近はいろいろ派生してきているが)、『ローマの休日』は王女さまのお忍び冒険を描いてオードリー・ヘプバーンをアメリカの王女さまにしてしまったのであった。
『プラダを着た悪魔2』もまたそんなアメリカの王政待望映画の系譜に連なる作品であることがたとえばこんなシーンからわかる。かつてファッション業界に絶大な影響を及ぼしていたミランダ率いるランウェイ誌であったが昨今は雑誌不況だってんで部数減に悩まされ予算は減る一方、雑誌の存続をかけてミランダとアンディ(アン・ハサウェイ)ほか従者たち(スタンリー・トゥッチの忠実にして賢明な家臣っぷりはハマりすぎ)はイタリアのコレクションへと飛ぶことになるのであるが、予算がないのでミランダが乗せられたのはなんとエコノミークラス、「失礼、シャンパンをお願い」「すいませんエコノミーではシャンパンないんです」なんてやりとりを乗務員と交わしていると横からザ・気の良い貧乏人がニコニコしながら「スナックならあるよ」と教えてくれてミランダは無の顔になるのであった。わはは、おもしろーい。他にもこれまでは自分でコートを壁にかけたことなどないミランダが法務部の圧力を受けて自分で壁にコートをかけるようになったのを久々に社を訪れたアンディが目撃して驚愕する、とかミランダの浮世離れっぷりがあちこちでネタにされてて笑える。
こうした笑いはしかし批判的なものではまったくない。一言でいえばこの映画は没落する女王のミランダを誰もが愛し慕い、そしてどうにかミランダを女王の座に留まらせ続けようとするお話なのである。いや、誰もがということはなくて、実は以前ミランダのもとで働いていて現在は独立してファッションブランドを立ち上げたエミリー(エミリー・ブラント)は雑誌買収による下剋上を狙っているのだが、とはいえその権力闘争もまた王の物語の典型的な形態だろう。前作にあったヤングウーマンのサスセスストーリー的な興趣は役者の加齢に合わせて消えてしまい、ミランダだけでなくアンディもエミリーも立派に社会的地位のある人なので、今回は雲の上の人たちの浮世離れした生活を眺める映画となった。要するにこの映画はミランダほかセレブを王族に見立てて王様ってスバラシイね大好き! とやっているわけだ。超スーパーセレブ役で出てくるルーシー・リューもゲスト出演かと思いきや物語の中で重要な役割を果たしたりするしな。
考えてみればファッションというのは生活を潤すことはあるかもしれないが生活に必須のものではない。もし今月の生活費が10万しかないとしたらその人は新しい服を買うのを諦め、どころか今持っている服を生活に必要な分だけ残して売り払って、持っているお金で食べ物を買うだろう(たまにそれができなくて犯罪者になる人もいる)。ファッションに凝るというのはお金に余裕があるということなわけで、ファッションにすべてを注ぎ込める人ともなれば資本主義世界の王様なのである。だからファッション業界のカリスマを描いた『プラ魔』が王様の物語になるのは考えてみれば当たり前のことであった。
ヨーロッパの王様たちが残した美術品コレクションは今も人々の目を楽しませているように、『プラ魔2』も色とりどり形おりおりの美麗ファッションが次々と登場してしかもそれをアン・ハサウェイのようなモデル体型さんが華麗に着こなしまくってくれるのだから目に楽しい、特別ゲストにレディ・ガガも駆けつけて例のすごいファッションで一曲披露してくれるのだから耳にも楽しというわけで、気軽に楽しめる映画ではあるのだが、そこに透けて見えるアメリカという国の王政復古願望に着目すれば、なにやら今のアメリカの政治やら経済やらなんやらかんやらも一貫したパースペクティブで読み解けそうな気もしなくもなく、その意味でこれはなんだか現代アメリカの分析試料のような面白味のある映画だったかもしれない。