《推定睡眠時間:50分》
ポスターの圧がなんだかすごい映画なのだがあの日本版ポスターに映ってるすごい顔の人は神降ろしの儀式の祭司、年に一度くらいインドのどこそこの村では祭司に神様を下ろしてお米などを振る舞うことで喜んでもらい村を守ってもらったり託宣をもらったりなんかするらしい。お話は19世紀に遡る。そのころこの地域の王様はお金も権力もみんなあるのになぜか不安感に駆られており(うつ病だったのかもしれない)、ブッダよろしく心の平穏を探すための旅に出る。その途中の森で王様は信じがたいものを目撃する。ぽっこり突き出したお腹をぶるぶる震わせながら王様を見つめる半裸中年男性である。この映像を観たときには一体何が起こってるのかわからず動揺してしまったが、実はこのぶるぶる半裸中年男性はそのとき神を下ろしていたのだ。ぶるぶる半裸中年男性の肉体を通して神がなんか言う。すると王様はこれだと直感した。この神こそ自分が探し求めていたものだったのだ!
ぜひとも連れて帰りたいところだがこの神は小さな村を守っているのだといい、村人たちはそんなレンタルビデオじゃあるまいし貸し出しなんて出来ませんよとまぁ当然そういうことになる。ではと王様太っ腹、広大な自らの王国の領土の一部を村人たちに差し出すことにした。土地をあげますから代わりに神様うちに下さい。それが19世紀の昔話。時代が下って現代、今も神降ろしの儀式は王様の末裔たちが村人と一緒に執り行っているのだが、時は2022年(公開年)なのでケッ、なぁにが神降ろしの儀式だい、バカバカしい。そんな迷信にいつまで囚われているのか……と現代っ子の王様の末裔は信仰心ゼロ。するとだんだん腹が立ってくる。こんなバカバカしい迷信のために俺たちの先祖は大事な土地=金を手放してしまった。神なんかもういらないし村人に返すからその代わり王様のものだった土地をこっちに渡してくれないか?
こうして幕を開けるのは土地と神を巡るサスペンス群像劇。なにせ仕事帰りだったし前の方の席でスクリーンを見上げていたから疲れて寝てばかりいて話の流れが掴みにくかったが(終盤に入って説明役のおじいさんがこれまでの出来事をダイジェストして教えてくれたので大いに助かった)、人智を超えた存在を軸として様々な人物の思惑が交錯するサスペンス群像劇ということでインド田舎版の『ツイン・ピークス』とでも言えばいいのか、様々な人々の思惑が交錯し利害対立が深刻化する中で現代の諸相は失われていって、やがて暴力が支配原理となる前近代の野蛮状態に地域ごと退行していくその光景は『ジャッリカットゥ 牛の怒り』もちょっとだけ彷彿とさせ、なるほどポスターのインパクトに偽りなく変な映画であった。
変といっても『ジャッリカットゥ』のようにアート映画志向ではなく、とくに終盤はしっかりインド的アクションになったりするが(あと歌も満載)、このアクションが興味深い、ガンジャで酩酊した一人のおじさんが神を下ろして戦うのだが、その振り付けはアクション映画のそれではなく儀式の際に行われる民族舞踊なんである。インドネシアのバリ島では神話上の悪鬼ランダを神獣バロンが討伐する物語を舞踊で表現する儀式が行われていたというが、おそらくこうした舞踊による神話の反復は世界に広く見られるもので、それによってその地域の人々は世界の秩序を維持ないし回復しようとするわけである。トラブルは王様の末裔が神の存在を否定することから始まった。そんな無駄な上に無知な慣習はさっさと廃止して理性と科学と資本主義の世界にさっさと移行しましょうよ、という態度を取る末裔がここでは神話上の悪鬼と重なる。村人たちは神の舞踊を通して悪鬼を退治を見、近代化によって失われた世界の秩序を回復するのだ。
ヒーロー役の人がヴィシュヌ神の化身として表象されるのはインド映画のド定番だが、そのことに民俗学的なというか近代批判的なというかなんかそういう意味を持たせた物語構造を取っているあたりが『カーンターラ』の変さの源かもしれない。いや、多くは日本に入って来ないだけで神の化身としてのヒーローが都会的な悪人をやっつけるというヒンドゥー・ナショナリズムに基づく物語を持つ映画はインドでは珍しくないものだと思うのだが(『RRR』はその最新バージョンだろう)、『カーンターラ』の場合は土着の神の信仰というこう言ってよければ後進性を先進的な王様の末裔が否定したことで、逆にそれまで階級格差はあっても保たれていた秩序が崩れて利害と暴力が剥き出しとなる文明の逆行現象が起きてしまい、その際限の無い世界の退行を止めるためにこそ神の顕現という「野蛮なもの」が求められるわけで、先進性が世界の野蛮化を促進して未開性が世界の野蛮化を食い止めるという逆説が独特で面白い。
案外世の中そんなものなのかもしれず、たとえば現代の戦争は、動因はいろいろあるとしても結局のところ領土とか石油とか安全保障とかもっぱら現世的な利益の追求によって起こるものだろうが、そうだとすれば、神話や魔術や妖怪に彩られた後進文明に生きる無知蒙昧で野蛮な人々(と、先進的な人々は見なすかもしれない)よりも、そうした空想の産物を排した合理的で先進的な文明に生きる人々の方が、結果として世界に野蛮をもたらしていると言えるのかもしれない。そう考えれば『カーンターラ』は文明論の映画でもあるし、信仰の効用の考察でもあって、インド映画見るぞという気分でこれをお出しされてみなさんがどんな顔になるのかはよくわからないが、面白い映画だったと思います。