《推定睡眠時間:5分》
もういつのことだかすっかり忘れてしまっていた。2014年の雨傘革命から続く香港の学生蜂起の第二の波が2019年の逃亡犯条例反対デモで、以降も散発的にデモは続いたようだが新型コロナ禍という予想外の方向からの打撃を受けてどうも今は沈静化しているらしい。香港の学生蜂起は既に何度か中国本土では上映の許可されないドキュメンタリー映画になっているが、そうした学生蜂起ドキュメンタリーの一つがこの『日泰食堂』。香港の小さな島の食堂の人々の営みから変わりゆく香港社会をーなどという宣伝がされていたのでちょっと騙された気がするのだが、そういう映画ではまったくないとは言えないとしても、この映画の主役はあくまでも日泰食堂で働いているらしい学生蜂起に加わった学生であって、この人と日泰食堂周辺の人々の感覚のズレであるとか、どうも中国共産党の権力というのはデカすぎていくらデモをやってもあんま効果がないらしいとわかって運動から離脱していく姿を描くのがメイン。日泰食堂の人々の日々の営み(仕入れとか、売り上げとか、余暇とか、家族の話とか)にはあまり興味がないらしい映画であった。
印象的だったのはこの主人公の学生の人がずっとスマホを見ているところ。2010年代には世界のあちこちで市民蜂起が起こったがその際に大きな役割を果たしたのがスマートフォンとSNSであった。こうした新しいメディアは旧来のメディア環境ではできない新しい繋がりを組織するし、新しい繋がりという経験は人々に自分たちにも新しく大きな何かができそうだという意識を生じさせる。個人的には1968年に洋の東西を問わず同時多発的に勃発した学生叛乱も60年代に急激に普及したテレビの影響が大きいんじゃないかと思っているが、それはともかくスマホがあればいつどこでデモをやるとかリアルタイムで受信できるし、テレビや電話やメールでは不可能な速度と量で情報交換もできるのだから、それさえあれば権力を打倒することができるのだという楽観にまだ経験の浅い学生たちが傾くのも当然だろう。
スマホとSNSで権力を打倒できるかどうかはともかくとして、しかしスマホ蜂起にも当然ながら代償はあった。テレビや電話やメールでは不可能な速度と量で情報交換ができるということは、そのぶん受信側の人間にも相応の処理能力を要求する。大抵の場合、これは普通の人間には過大な要求なので、主人公も四六時中SNS(か、そのほかの情報共有サービス)にデモ関連の情報が流れてきて眠る暇もないと疲れ切った表情で語る。主人公がデモの場で他の参加者とほとんど交流を持とうとしないのもスマホ蜂起の功罪かもしれない。SNSの広く薄い繋がりは一つのデモに大量動員を可能とする一方、デモ参加者同士をたとえば政治結社や勉強会のような何らかの継続性ある地に足の着いた活動からはむしろ遠ざけてしまう可能性もあるんじゃないだろうか。これは現在の日本で行われているデモにも結構あてはまることだと思うが、組織による拘束がなくその日の気分で気軽に参加できることに魅力を感じてデモに参加している人が、自ら進んで組織に拘束されたがるというのはなかなか考えにくいことである。
武器でも持って国家中枢でも占拠してしまえばまだ体制に何かしらの変化を呑ませることもできるかもしれないが、武器もなく組織もなく戦略もないその場限りの人々の集まりが体制に何かを要求したところで、いくらその人々の数が多かろうと要求が通る見込みはあまりないだろう。組織を作ったら反政府分子扱いされて弾圧されるじゃんかと言われたらそれはたしかにそうなのだが、だからといって組織を作らないと継続的かつ効果的な政治運動はできないのだから、要するにスマホ蜂起というのは元々実現不可能な夢をあたかも可能であるかのように学生たちを錯覚させるものだったのかもしれない。それがスマホ蜂起のたぶん一番大きな代償だろう。熱狂的な夢に裏切られた学生たちがそれでも粘り強く社会を改善するための行動を続けていけるかといったら基本的には難しく、後に残るのはしょせん何をやっても無駄なんだという挫折感ばかりだろうと思われるので(68年の学生叛乱はそうだった)
とかいろいろ考えさせられないでもない映画ではあるが、それは題材の持つ力であって、この映画自体に何か深い洞察であるとか思いがけない視点があるというと、とくにない。だいたい2019年ぐらいから2022年ぐらいまで? を撮るのでコロナ禍も経由するが、コロナ禍が香港の人々にどんな影響を与えたかという観点があるのかなと思ったら何もなかったので拍子抜けしてしまった。外出制限もあるから思うように撮影ができなかったとかはあるかもしれないとしても、撮影が可能なときに日泰食堂の人々にインタビューをすることぐらいはできるのだから、それをやっていないというのは単に興味がなかったんだろう。関心はもっぱら学生蜂起にあるが、かといって学生蜂起について突っ込んだ取材もできていないのだから、いったい何を描きたい映画だったのかよくわからなくなってくる。
でもずっとスマホを見ていて自分と意見の異なる人とあまり対話をしようとしない主人公の姿は現代の学生蜂起のひとつの典型として興味深かったし、同じ空間に座しているのに片やスマホで絶えずデモ情報を浴びてい片や(中国共産党の公式見解を代弁する)テレビを見ながらデモに批判的、という主人公と日泰食堂の店主の政治的分断であるとか、それなりに面白いところはあったので、もう少し構成を緊密にするとか取材対象を掘り下げるとかしたらよかったのに、とか思ってしまうのだけれども。