君よ令和の河を渉れ映画『れいわ一揆』感想文

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《推定睡眠時間:0分》

『れいわ一揆』と言いつつ主な被写体は2019年の参院選でれいわ新選組から比例出馬した安冨歩で、選挙活動を追う映画なのでれいわ新選組の動向も背景としてあるにはあるのだが、大局を俯瞰するドキュメンタリーというよりは安冨歩個人に寄り添ったもうすこしプライベートなドキュメンタリーであった。…などという説明は監督の原一男が個人より大局を優先することなんかないに決まってるんだから白々しいのだが。

いやぁ~しかし色々発見があって面白かったですね~。まず安冨歩さんですけれどもまずこの人からして知らないので発見。なんかエキセントリックな人らしいよ~みたいな雑イメージだけはあったのですが、何を主張しているのか知らないし人柄なんか当然知らん。で映画観てあぁこういう人なのって感じです。俺の中ではもっと戦闘的な人だったのですが全然平和な人でした。そうねなんか子供を守れを合い言葉にイリイチの脱学校論みたいのを訴えたい人らしい。馬とか連れてね。

俺は脱学校なんかしたら良い家庭の子供と悪い家庭の子供が分断されちゃって同時に悪い家庭で多くの時間を過ごす子供が本当に救われなくなってしまうので、一旦子供の自由を奪う代わりに生まれの不平等を多少なりとも解消する装置として学校は必要悪のようなものなんじゃないかなぁ~と思いますが、まぁそれはそれとして、脱学校を訴えるということは安冨歩は解放の思想を持つ人ということです。で、その選挙活動もぶっちゃけ当選するとかしないとかよりも、一種の自己表現として、場の解放を実践するものでありました。

キャラ的にも思想的にも(とくに暴力についての考え方で)重なるところなんかミリ単位でもあり得ないように思えますがそういう意味では安冨歩も神軍平等兵・奥崎謙三のソウルブラザーズ&シスターズです。犬も歩けば棒に当たると言いますが馬と歩けば東京では警備員の人とかに当たります。安冨歩は馬とミニ楽団を連れて遊説するので東京では通行の邪魔になるからとかいって奥崎謙三と同じように真面目な警備員の人に追い出されたりするわけですねぇ。そりゃそうだろうがッ! と、思われる人も多かろうとは思いますが…。

いや、まぁ、そりゃあ、俺だって東京のクソ狭い道で馬なんか連れてたら危ないし糞とか垂れるし迷惑だよって思いますよ。思いますがしかし、でもそれって道が狭いのがそもそも悪いみたいな考え方だってできるんじゃないですか? だって道が広くてそこらへんにお馬さんとか豚さんとかたくさんいたら可愛い、楽しい、ストレス解消。ということはもしかしてお馬さんを連れて歩く怪人を叱ったり叩き出したりするよりお馬さんが通れるように道を広くした方がお馬さんを自分では連れて歩かない人にとってもお得なんじゃないだろうか?

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安冨歩の選挙活動というのはこういう問いをあちこちで浮かび上がらせていく物腰は柔らかでも極めてラディカルなパフォーマンスなわけです。全共闘、安冨歩は全共闘世代では当然ないけどこれはなんだかとても全共闘世代っぽいパフォーマンス! なるほどこう考えれば原一男が安冨歩の選挙活動にカメラを向けた理由もなんとなくわかったような感じである。奥崎謙三だって選挙出てたしな。

いやしかし、もう、これだけでダメっていう人はいるんだろうな。ラディカルに考えることができない人は確かにいる。記号のネットワークの中にいないと不安でしかたがない人で、隅々まで意味が充満したその空間に無意味の裂け目が生じると暴力を行使してでも封じようとする。自分の生きるこの世界に「あったかもしれないこと」であるとか、「そうではないかもしれないもの」が存在することはあってはならない、そう考える人はいる。ひとたびそれを認めたら今の自分の足場がぐらぐらと揺らいでもう以前のイノセントな意味の世界には戻れなくなってしまいますからね。

安冨歩が日本を「立場主義社会」とその選挙活動の中で評していたのはこのような人を念頭に置いてのことだろう。それは右翼とか左翼とか保守とかリベラルとかそういう対立軸とは別の次元の話で、たとえばネット右翼のオルタナティブな歴史への耽溺は歴史の決定不能性(と、その上に成り立つ政治的合意の記録としての「歴史」)を否定し揺るぎのない「本当の歴史」を打ち立てようとする態度の表れと言えるし、「アベ政治を許さない」のスローガンを掲げる人にとって安倍元首相は数々の疑獄事件の主犯格たる極悪人であり、彼こそ日本を再び戦争に導くであろう、とこのように理解されているようですが、この人たちもまた安倍元首相は極悪人である以外にあり得ないというような単一の意味で満たされた世界を欲望しているわけです(と俺には見えるのだ)

いやぁ、逆に、疲れません? 俺は疲れるんですよそっちの方が。犬だと思ったら猫だった、男かと思ったら女だった、子供かと思ったらイウォーク族だった、それぐらい意味の境界のゆるい世界の方が楽なんじゃないですかね。ルールは絶対に守られなければならないし一度決められたルールの意味は絶対だから改めて問うまでもない、いやむしろ問うんじゃない。こんな世の中疲れます。おかしいルールがあったら普通におかしいって言えばいいじゃない。重要なのは「おかしいルールだから」そのルールの正当性が問われるのではなく「おかしいルールに見えたから」問われるということです。

あらかじめ決められた答えや問いかけがあるわけじゃなくて、たとえば東京都心に馬を連れて行ったら警備員の人が慌ててやって来てなんとなくの感じで通行の邪魔だから馬どけて下さいって言ってくる、するとその場その状況の中でルールに対する問いが生まれて、あるいはルール自体もまた即席で生まれるんです。馬連れて東京練り歩く人なんかほぼいないわけですからね。で、稀なことかもしれないが、じゃあどんなルールが適切なのかを巡って対話だって生まれるかもしれない。

状況の中で市民自らが依って立つ常識を一度投げ捨てて何が正しいか考える。これこそ民主主義というものではあるまいか。しかしそうしたある意味たいへん真っ当な問題提起をする人が意味の裂け目を恐れる人たちからなんかやべぇ奴ポジションに入れられちゃって、そればかりか敵視されるという現代日本のガッカリ状況がやんわりとではあるが、その選挙戦を追った結果カメラに入っちゃっているのだからなかなか切ない『れいわ一揆』であった。

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さて馬を連れた安冨歩の選挙活動はユニークで耳目をそれなりに引くものであったが「場」を作るという意味ではれいわ新選組党首・山本太郎に敵わない。原一男いわく「タイトルはれいわ新選組の一揆という意味ではなく令和に生きるみなさん一人一人の一揆の意」とのことですが(それは苦しいんじゃないだろうか…)ゆーてもれいわ新選組の映画ですかられいわ新選組の街頭集会とか出てきますし山本太郎も出てきます。

れいわ新選組はもとより山本太郎の演説をちゃんと聞くのも見るのも実はこれが初めて。ちょっと前に山本太郎の街宣に出くわした時は急いでいたのでぼくに権力を下さいと言っている部分しか聞けなかったが、その時の印象としてはやはり俳優言葉の説得力が異常なほど抜群、権力をくださいなどと言われれば一瞬ギョッとしてしまうが、その言葉が帯びる独裁者的なイメージもあえて戦略的に取り入れている感じで、「強い言葉を選んでいるけど本当は優しいのだろう」と思わせるところがある。

まぁ実際に優しい人なのだろうとは思うが、危ういなぁとはやはり思った。最近なにかと悪者扱いされがちなポピュリズムも原則論でいえば民主主義の大原則、無条件で首肯できなくとも排除すべきではないとは思うが、ちょっとポピュリズムに寄りすぎなんじゃないのというところが俺が街宣を聞いた時のトリックスター山本太郎にはあり、その問題は政治家があまりにポピュリズムに寄ってしまうと支持者は権力だけではなく思考まで政治家に預託してしまい自分で考えようとしなくなる、要するに衆愚政治の温床になるということだし、民衆のための政治が民衆の熱狂によって反転し皮肉なことにも政治家と民衆の支配/被支配の関係を固定するに一役買ってしまう、というところにある。

そういうわけで演説の上手さに関心はしたもののそれ以上の良さはその時には感じなかったのだが、映画で見る山本太郎とれいわ新選組の選挙パフォーマンス、かなり圧倒的であった。もう、なんかね、哄笑と挑発と革命気分が熱狂的なダンスと和太鼓ビートの中で渾然一体となってですね、れいわ新選組はその街頭集会をれいわ祭と名付けていたが、たしかにこれは祭りそのもの、いやむしろ高度に様式化されて観光資源になったりしている各地の大祭りなんかよりも遙かに祭りっぽかったんじゃないだろうか、とさえ思ってしまった。

その革命的光景をライブ感アリアリで捉えるカメラも高揚を後押しするアジテーショナルなテロップもノリノリ、しかも合間にユーモアを挟むことを忘れない。楽しんで編集したのがわかるが、軽さというのもれいわ新選組の武器の一つなわけだから(候補者たちが語る公認決定エピソードにはエエーってなる)この無責任で軽い映像もれいわ新選組の選挙活動と見事にマッチ、とくに前半は素晴らしく迫力と勢いのある映画になっていたので休憩時間にあやうく山田太郎のツイートにいいねしてしまうところであった。お前らどっちか名前変えろ紛らわしい。

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でもなんで俺、そんな楽しそうなの知らなかったんでしょうね。ふだんメインで使ってるSNSはツイッターでフォローしてる人の中にはれいわ新選組を支持する人も何人かいるし、確かその人たちは去年の参院選の際には応援ツイートをしていたはずである。加えて俺はツイ廃なのでタイムラインに流れて来た話題は大体把握している。
それで思ったのは、たしか去年の参院選の時に「山本太郎の集会はこんなに人が集まってるのにテレビが報じない!」っていう旨の支持者ツイートをタイムラインで何度も見て、どちらかと言えばそれでちょっとれいわ新選組への興味減った。

ジャーナリストの神保哲生は開票日に各選挙事務所回って一番熱があったのはれいわ新選組だったって言ってましたけど、れいわ新選組の支持者の人って立候補者を当選させようって気持ちがすごいんすよね。いやそれ当たり前なんですけど、でもそれがれいわ新選組の集会の面白さが意外と(?)外野に伝わらなかった一因なのかなっていうか、どうしても当選してもらいたいから「こんな楽しい政治もあるよ!」っていう楽しさの共有じゃなくて「テレビはれいわを報道しろ!」っていう怒りのアピールが強くなって、党の本質的なところを支持者も蔑ろにしてしまったみたいな、そういうのもあるんじゃないかと思ったり。

あるいはもう少し悲観的な見方をすると、結局ライブはライブ会場で見るからライブなのであって、家で配信ライブを見ても音楽に集中できるっていう点では良いかもしれないですけど、ライブの醍醐味みたいなのはそこにはないですよね。れいわ新選組も安冨歩も場を異化する選挙活動をやってたわけですけど、それって結局その場に偶然居合わせたりするからショック効果があるわけで、ぶっちゃけその場から外には広がらないと思うんです。で、それがれいわ新選組が熱狂的なコア支持層を抱える一方で、あんなに面白いことをやってるのに知名度が広がらなかった理由なんじゃないですかね。

それはたぶんれいわ新選組っていう政党というよりは現象(俺はこの現象が結党時の立憲民主党にもあったと思っているのだが)の限界であって、れいわ新選組といえば今年は映画にも出てくる大西つねきの「命の選別」発言が問題になって後に大西つねきは除籍処分になりましたが、場の紐帯というのも脆いもので、祭りの熱狂が過ぎれば一緒に盛り上がった面々の差異が露わになってくるし、その差異が亀裂になる場合もある。

三島由紀夫は東大全共闘と直接対峙した際に君たちは空間の持続をどう考えているのかと問うたけれども、同じ問いはここでも有効なんじゃないですかね。プロ政治家ではなく大した肩書きも収入も学歴もないような完全なる一般人を候補者として公認し(映画の中で最も劇的で感動的な変化を示したのは元ホームレスの派遣労働者おばさんだった)それぞれの分野での大衆の声を代弁する政治スタアにしたれいわ新選組は民主主義の本来あるべき姿を政治ボケした日本人の目に強烈に焼き付けたと思うし、重度身体障害者の国会議員を二人生みだしたことは平成日本政治史のいちばん輝かしい一ページであろうぐらい言ってもいいと思うが、それは現象の結果であって、政党としてのれいわ新選組(選挙時は政党要件を満たしていなかったので政治団体だったのが示唆的である)が成したことと言ってしまうと個人的には違和感がある。

結党時のれいわ新選組に希望を感じていたと率直に語る原一男は現在のれいわ新選組に対してはこれまた率直に失望を表明しているが、それは原一男が場の人であり、状況の人であり、そうしたものの中で生まれる立場も主義も超えたある種アナーキーな人間の紐帯を追い求める人だからではないかと思う。安富歩が遊説の最後の地に選んだのは故郷の街(堺とかだっただろうか)であったが、そこで安富歩はかつての面影を残さない変わり果てた風景を見て、演説しながら泣き出してしまう。れいわ旋風がひとまず過ぎた今見るとなにか示唆的というか、重層的な意味を帯びたシーンだなという気がしてしまう。

※劇中のれいわ新選組の集会には舩後靖彦と木村英子の応援に重度身体障害者の人もやってくるが、発声のできない人は介助者の手を借りて何法というのか知らないが文字盤と瞬きやなんか使った会話法で発言する。そのため言葉をひとつ発するにも結構な時間がかかるのだが、その時間をあえて編集で切らずだいたいノーカットで見せるところが良心的で、同時に重度身体障害者の人はこういう風に話すのかと面白いところでもあった。無神経なようでいて(無神経だと思うが)個人個人の時間を無理矢理マジョリティたる健常者の時間に合わせようとしない人道的配慮は『さよならCP』の監督だなぁという感じである。観てませんけどね『さよならCP』。

※※あと馬かわいいので安富さんの脱学校論には賛同しませんが東京にも馬の居場所をっていうのは大賛成な感じでした。馬そこらへんにいてくれ。

※※※ちなみにれいわ新選組には今後も瓦解したりしないで頑張ってほしいと思っているのだが、それはもっと酷いポピュリズム政党に「場」を求めるくらいなられいわに求めて下さいよみたいな、なんかそういう政治の必要悪とか安全弁的な感じです。

【ママー!これ買ってー!】


君よ憤怒の河を渉れ

東京都心に馬を放つ映画(※安富さんは放ってません)といえば『君憤』ですよ。安富歩は遊説で北海道の美瑛に行きましたが『君憤』も高倉健が北海道に行きますからね。実質姉妹編では?

2 Comments
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りゅぬぁってゃ
2020年9月25日 12:37 PM

撮影終了後に、監督と山本太郎が揉めたって記事がありました。

原一男作品は「撮影後の回想録がある意味本編」って作品も多い印象です。
https://hbol.jp/228369