現実に敗北するキラキラ映画『うるわしの宵の月』感想文

《推定睡眠時間:0分》

キラキラ映画において学園のアイドルたるイケメンに学内の女子生徒たちが群がりキャーキャーと黄色い声を上げ付き合ってくださいの告白特攻が尽きない(そしてイケメンはほぼ例外なくその状況に飽き飽きしており「俺、そういうの興味ねーから」と突っぱねる)というのはあまりにも定番の設定だがキラキラ映画の世界も日進月歩、この『うるわしの宵の月』でそのイケメン枠として女子生徒たちの熱視線を浴びるのはキラキラ映画史上初ではないかと思われる女子生徒である。

安斉星来演じるこの女子生徒は立ち振る舞いがザ・クールビューティー、バスケと空手に強いというスポーツウーマンにして悪いヤツがいれば物怖じせず立ち向かう勇気を持ち合わせている宝塚の男役のような人であるからして、もしも俺がこの人と同じ学校に通っていたら好きすぎて頭がおかしくなるので学校に行かなくなるだろうと思われるドリームパーソン、キラキラ映画のイケメン枠をやらされるのはジャニ系のアイドルなんかが多いので俺にはこいつのどのへんがイケメンなんかとピンと来ないことも多いが、この安斉星来ならイケメン枠も完全に納得である。

ところでこの学園には安斉星来の他にもう一人イケメン枠の生徒がいた。それがなにわ男子の道枝駿佑、こちらはキラキラ映画でお馴染みのイケメン枠という感じでこれといって特筆すべきところはないが、この二人のイケメン枠が偶然出会ってしまったことから……というのがこの映画のお話だが、ここでみなさんに悲報をお伝えしなければなるまい。まるで宝塚の男役のような主人公・安斉星来、実は周囲からそんな風に憧れの目で見られることに心労を感じており、心の底では男の子に女の子として可愛がってもらいたいと願っていたのだ。

これにはいささかの落胆が隠せない。カッコイイ女の人であることは完全に素晴らしいことだと俺としては思うのだが、この主人公は完全にカッコイイ女の人であるにもかかわらず、その余人をもって代えがたい魅力にまったく価値を感じていないのである。価値を感じていないどころかもう一人のイケメンとの出会いによって心の中の女の子に目覚めてしまい自分からそのカッコ良さを捨ててしまうのだ。ちょっと待っていただきたい。結局主人公女子が持ち前のカッコ良さを捨ててしまうのだったらなんでこの人をイケメン枠に設定したのか。その点が主人公女子がゆるふわ系であることが非常に多かった従来のキラキラ映画にはないこの作品の新しさだなとか喜んでいたのにこれではぬか喜びではないか。いやむしろマイナス喜びである。だってカッコイイ女子がイケメンの毒牙にかかってゴロニャンと牙を抜かれちゃうわけですから!

もっとも、こうしたガッカリ展開はキラキラ映画というジャンルの特性を考えれば意外でもなんでもないのかもしれない。狂ったように俺があちらこちらで壁などに向かって主張しているのはキラキラ映画はビルドゥングス・ロマン、すなわち主人公の人間的成長・成熟を描く修練的な物語を描くものだということである。この成長・成熟の運動において主人公に訪れるのは個性化であるよりは平準化と言っていいだろう。多くのキラキラ映画で主人公はどこかしら変わったところのある人物として設定されており、そのために他者、とくに異性と円滑なコミュニケーションが取れなかったりするのだが、そうした主人公がクラスメートやイケメンとの交遊を通してなんというか角が取れ、「普通のコミュニケーション」が取れるようになるというのがおそらく全てのキラキラ映画に共通するプロット類型である。

この『うるわしの宵の月』においては主人公の他者とのコミュニケーションを阻害する変わったところは「過剰なイケメン性」である。そうであるならキラキラ映画の論理に従ってこの個性は一般性へと彫琢される必要があるだろう。キラキラ映画というのは決まったプロットの上で戯れにバリアントを量産するという意味では越境的で形に囚われない進歩的なジャンルなのだが、逆方向から見れば、どんなに斬新なことをやったところで結局すべては主人公の成長物語=平準化過程へと回収されてしまうきわめて保守的なジャンルなのである。

俺はキラキラ映画のプロなのでぶっちゃけそんなことは映画を観るまでもなくわかっていた。しかし……しかしである! デビュー当時の上戸彩を彷彿とさせる安斉星来のクールビューティっぷりをこうも見せつけられてしまえば、やはりその個性は殺さないでくれと願わずにはいられない。子どもの頃にジブリの『魔女の宅急便』を見てキキが魔法を使えなくなってしまう展開にかなりショックを受け、大丈夫大丈夫最後はまた魔法が使えるようになってジジとも話せるようになるからと思っていたのにそうならなかったことでダブルショックを受けた俺であるが、そのときと同じように安斉星来に可愛い女の子なんかにならないでくれぇカッコイイ安斉星来のままでいてくれぇと映画を観ながら心の中で叫んでいた。

いや、よしんば可愛い女の子に目覚めるとしても相手がちゃんとしたイケメンならまぁ仕方が無い。だがこの映画の中でイケメン扱いされる道枝駿佑はあくまでも映画の中の設定だが親がめっちゃ金持ちでいつも身勝手で軽はずみに人を傷つけ女子生徒にクソミソにモテてそのために女をヤリ捨てすることが当たり前で自分の性的要求を女は誰も拒まないと思っているのでまだ交際はおろか友人にさえなっていないにも関わらず主人公が具合が悪くて保健室で寝ているところを勝手にベッドに入ってきて抱きしめるとかいう告訴されていないだけの完全なる不同意わいせつを働く外道である。そんなおめぇそんなおめぇよそんな男のためにお前の持ち前のカッコ良さを捨てて良いのかよ!? 絶対こいつあれだぞ絶対こいつ半年経ったら気分で捨てるぞお前を!

しかもこの映画にはもう一人準イケメン枠のキャラ(水沢林太郎)が出てくるのである。そっちの方はやや重くて粘着質っぽいところはあるものの一般家庭の子どもなので道枝駿佑と違って真面目にバイトしたりするし道枝駿佑と違って女性経験が浅いから主人公と接する時はいつも気を使って丁寧に敬語で話すし(道枝駿佑はずっと上から目線の無教養なタメ口だった)道枝駿佑と違って自分のことばかりでなくちゃんと安斉星来のことを心配できる人なのだ。だが安斉星来はぶっちゃけコイツなど眼中にはなかった……いやそれどころかすいませんあなたに好意を抱かれることは私にとって迷惑なんでもみたいな顔さえするのである。たしかに誰と付き合うかは星来の自由だとお父さんは思います。でもね、なぁ星来よ、お父さんお前に傷ついてほしくないし、なによりちゃんと星来の個性であるところのクールビューティを尊重してくれる人と付き合ってほしいよ! お父さん道枝駿佑じゃないと思います! もしもどちらか一方と付き合わなければ出られない部屋に星来が入っているとしたら選ぶのは水沢林太郎だと思いますよ!!!

これはかなしいキラキラ映画である。結局大抵の日本の女の人はカッコよく見られるよりも可愛く見られる方を自分から選びがちだし、真面目なちゃんとした人よりロクデナシ野郎の方がモテたりするという現実を存分に見せつけられるので、これはかなしい映画なのである……。ただし、カッコイイ安斉星来にカワイイ安斉星来、凜とした安斉星来にちょっと抜けている安斉星来、空手の構えを取る安斉星来にバスケをする安斉星来など、安斉星来の様々な表情を引き出しているという点で、安斉星来のアイドル映画としては高得点。

guest

0 Comments