人生ままならない映画『幸福路のチー』感想文

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小学校に入った主人公のチーは台湾語を使用した生徒を厳しく叱責する教師を見て鬼のようだと感じる。歴史を知らないのでいつぐらいの話かよくわかっていないが中国国民党の一党独裁体制下。大陸との同化政策の一環で、この学校では台湾語を禁止して北京語を子供たちに教えている。北京語ができれば広大な大陸とのビジネス回路ができるので貧乏な親たちは喜んで習わせる。

香港動乱の初期の頃、ツイッターでフォローしていた中国関係の仕事をしているらしい親中国の人がいかにも歯切れ悪く「要するに、今起きていることは香港の人も(広東語ではなく)普通話を話せよ、という話なんです」とツイートしていたことを思い出した。仕事の関係上これが精一杯の暗喩的論評なのだろうが、それよりも興味を引かれるのはこの人が香港動乱を言語の対立として表現していたことだった。

狭い日本の狭い東京の狭い貧乏地域からあまり出ないので個人的に実感することはあまりないが、どんな言語を話すかということはアイデンティティに直結する問題なんだろう。ということは社会の側からすればその成員を社会に繋ぎ止める道具として言語はたいへん重要なポジションを占めるのだろうし、言語を共有しない人たち同士が一緒に仕事したりなんかするのは確かに結構たいへんそうである。言語は社会の基盤で、したがって政治なのであった。

『幸福路のチー』はざっくりチーの言語遍歴の映画といえそうなので出てくる言語をオール解さない学なし人間としてはなんだかとっても悔しい感じである。言葉がわかったらなぁ、もっと細かいところに面白さを見つけられただろうしなぁ、ことによってはシーンの意味までまるっと変わって見えてしまうかもしれないからなぁ。

チーは最初、これは日本語字幕では区別されないからわからないが物語に照らし合わせれば台湾語を話しているはずである。それから小学校に入って北京語を学ぶ。北京語はチーに勉学の道を開いた。そうして彼女は英語を学ぶのだった。
小学校で半ば無理矢理に北京語を教えられた時の違和感がずっと胸に残っていた。貧乏で保守的な両親や親戚が話す台湾語への密かな反発もずっとあった。いとこが教えてくれた英語は、そこから彼女を連れ出してくれる魔法の言葉に思えた。

それはチーの個人史であると同時に台湾現代史なんだろう。時代背景的に映画の中には出てこなかったが北京語の前には日本語があるわけだから、台湾の歴史はイコール言語の変遷なのだ。だから、そこには社会もあるし、政治もあるし、現代台湾に生きた個人の軌跡もあるんである。

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映画は祖母の訃報を聞いた成人チーがニューヨークから故郷の幸福路に帰ってくるところから始まる。かつてドリームチケットに見えた英語はチーに自由をもたらしただろうか。ニューヨークに住んで新聞の編集者かなんかの仕事をしてるぐらいなんだから傍目にはかなり自由でハッピーな気もするが、本人的にはそんなでもないらしい。

英語ができてニューヨークで働いているからといって大したキャリアになるわけでもなし、地元に帰れば英語名人でも現地では単なるアジア系の英語弱者、アメリカ人の夫と離婚カウンセリング(昨日も『マリッジ・ストーリー』で見たばかりだ)を受けに行けば言葉が難しくて細かい部分はよくわからない。
これがあのころ夢見た自由なのだろうか。そもそも自由ってなんなんだろうか。自由とか幸福とか。というわけでスクラップと廃品だらけだったあのころと違ってすっかり綺麗になった幸福路をブラブラしながらチーは過去を振り返るのだった。

よく台湾に昭和の日本を重ねる人がいるが、貧乏だから教師に「謝礼」が払えずテスト対策の特別授業を受けさせてもらえなかったチーたち仲良し貧乏三人組が『ガッチャマン』の歌を歌いながらボロビルの屋上で遊んでるところとか確かに涙が出そうなくらい昭和であった。『ガッチャマン』、台湾で放送してたんだ。あとちょっと『ちびまる子ちゃん』ぽくもある。驚きの郷愁力である。

『ちびまる子ちゃん』と違うのはチーの人生にはいつでも言語/政治の問題が入ってくることだった。ただそれは風景のようなもので、大陸へのあからさまな反感は端々から窺えるにしても、何かを声高に訴えたりはしない。切ないところである。言語/政治に関心があるかないかに関係なく、何を話すか、何を支持するか、態度を明確にすることを余儀なくされた人生だったし、それがまた中国国民党独裁下の台湾の日常だったんだろうと思わされる。

民主主義体制に移行してそのへんマシになって良かったねと言いたいところだったがチーが念願の英語を獲得しても自由も幸せも手に入れられなかったように台湾もそうではなかったらしい、というのが過去の幸福路と現在の幸福路を頭の中で行ったり来たりしながら眺めるチーの乾いた眼差しから見て取れる。
ゴミだらけだった川は今や親水公園に、猥雑な檳榔西施(ビンロウ売り)は排除されてかき氷屋に、タワマン建設なんかも進んじゃって街が住みやすくなったのは間違いないが両親の貧乏は変わらないし情緒も糞もない。

小学校で一緒だった金持ち市長の金持ち息子は今や次期市長候補。ありがたい民主主義も結局は地盤もカバンも持ってる世襲政治家をのさばらせたぐらいの効果しか幸福路にはもたらさなかった。

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台湾語、北京語、英語と、次々と言語を変えながら自分の本当の居場所を探してチーがたどり着いたのはそんな苦い現実なのだった。あぁやるせない。実にやるせないが、そのやるせなさを受け入れて覚悟を決めて生きてみようという物語なので、苦々しくも前向きな映画ではあった。

幼年期のチーが近くの工場のスモッグを嗅いでトリップ状態になるアレな場面を見てそういえば俺もそんなことをやっていたなと思い出す。何を作っているのかよくわからない町工場の隣に汚いガキどもが集まる下町アトラクションだらけの公園(今見たらきっと普通の公園だろう)があったのだが、その町工場のダクトから周期的に焼けたゴムのような臭気を放つガスが排出される。汚いガキどもはなぜかその臭いを嗅ぎに行く。嗅いでいると気持ち悪くなって楽しいのである。バカである。

物語の背景を成す台湾現代史は『幸福路のチー』という映画から切り離せないが、それを凌駕する普遍的な切なさを呼び起こす瞬間というのも『幸福路のチー』にはたくさんあった。どうやっても身にまとわりつく言語/政治の問題を超えるものとして、手に入らなかった理想の幸福を乗り越えるものとして映画が提示するのはその普遍的にして個人的な瞬間であったように思う。

当局の拷問を受けた反体制知識人のいとこの冒険譚を意味も分からず話す幼年チーの頭を、普段は鬼のように厳しい北京語の先生が憐れむように撫でる瞬間。バイオレントで逞しかった母親がいつの間にか痴呆症に片足を突っ込んでたことに気付く瞬間。可愛がっていたニワトリがすげなく祖母にぶっ殺されるのを目撃した瞬間。ビンロウを食む祖母に母親が軽蔑したような諦めたような眼差しを投げかける瞬間。地下鉄が止まって帰宅難民と化した人々の群れの中に、何気ない運命的な出会いを見つけた瞬間。

最後のも結局は破局に向かうので哀しい瞬間ばかりなのであるが大抵の場合思い出なんて哀しいのだからいいじゃないですか。思い出が哀しくないやつなんてむしろダメなんですよ。たのしい思い出しかないやつなんて人としてコンテンツ力がなさすぎます。いや、それはいいとして…。
この哀しい詩情がすばらしかった。愛嬌のないぶさいくなキャラクターと相まってとっても沁みる。ままならない人生を言語の変遷から描いたユニークで、ユーモラスで、切ない良い映画でしたよ、『幸福路のチー』。

※あと日本公開に当たってだと思うのですがクラウドファンディングをやってたらしく、スタッフロールに付いてるそのリストに本郷みつる監督の名前を見つけてなんとなくボーナスポイントを得た気分。

【ママー!これ買ってー!】


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激動のエッセイアニメ。これもやっぱり言語と随伴してアイデンティティの問題が出てくる。言語ってたいへん。

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