映画『シライサン』小生感想文(ネタバレなし、悪口注意)

《推定睡眠時間:15分》

乙一はブログでの自称が小生だった人、というのが乙一監督作と知ってまず頭に浮かんだことだったのだが俺の記憶では「小生日記」だったそのブログはいくら検索しても出てこない。いつの間にか閉鎖されてしまったのだろうか。ブログ名を間違って記憶しているのだろうか。読みたければ『小生物語』の題で書籍化されているので別に構わないのだが、自称を小生とすることが面白いのはブログだからで、紙の本にしてしまったら面白さ半減なんじゃないかと小生おもうのですがどうでしょうか。ブログでも面白くないじゃないか、自称小生。

ああ、それにしても懐かしい映画だ。潔い。あまりに潔く『リング』のパクリ。オマージュのオブラートに包むのが今風なのかもしれないがオマージュなんて言葉が今ほど一般的ではなかった時代の空気をぞんぶんにまとった映画だったからあえてパクリと言ってあげたい。これは愛情です。乙一はブログでの自称が小生だけあって初期短編集『ZOO』に収められた『SEVEN ROOMS』は『CUBE』のパクリだったし(要出典)表題作の『ZOO』は殺人者の記憶喪失と記憶ループのネタをリンチの『ロスト・ハイウェイ』からパクって(要出典)タイトルと腐乱死体写真のネタはグリーナウェイの『ZOO』からパクった(要出典)作品でしたからね。きっとこんなマニアックな映画見るの同世代じゃ俺だけだよなとか思いながらビデオ屋で借りてきたカルトっぽい映画からこんなマニアックな映画俺ぐらいしか見てないだろうなとか思って素直にパクったんだろう(要出典)

思い出すなぁ。そうそう、寄稿者が誰だったかは忘れてしまったんですけど『ZOO』文庫版の激賞解説、「記号のような名前に驚いた」みたいなこと書いてあったんですよね。そこ!? って思うよね。単行本の刊行が2003年。そうかー、2003年の最先端だったんですねーこのネーミングセンスはー。ブログでの自称が小生の人だけあってやはり独特の言語感覚を持っていた。じゃ阿Qとかはどうなの阿Qとかは。それは作者じゃないから違うの? そういう問題? どういう問題でもないよ。

持ち上げていたなー、あの頃の文壇。乙一は作家デビューが高校生とかだからそれはもう持ち上げたよ。デビュー作の『夏と花火と私の死体』を死体が主人公だなんて驚いた(たぶん前述の解説の人)とか言っていたもの。死体が主人公の小説に驚く業界人とその後ブログでの自称が小生になるどっかのガキがそれを書いたというだけで驚いて持ち上げる業界人が世紀末日本に生きていたことにむしろ驚きを禁じ得ない。本当に驚いたのだとすればだが。

でもそういえば『ソウ』が公開された時に「こんなに残虐なことを描ける若手が存在することが恐ろしい」って趣旨の新聞映画評を俺は確かに読んだので、鎖国かよって感じですよね、世紀末前後のジャポン。そういう時代の寵児ってイメージがブログでの自称が小生だった乙一からはなかなか抜けない。世間的には抜けているのかもしれないが俺は抜けない。だからそうではない乙一、ツイッターでの自称は自分の乙一の作品に触れるのは、たとえそれが100パーセント未満90%以上『リング』でも新鮮な経験であった。

プロットはもう『リング』ですからあー『リング』だねぇリングリング、としか言えない。ちょっとだけプラスしたのは貞子に相当する呪女シライサン(挙動も貞子っぽい)の設定で、現れても目を離さなければ近づいてこないというだるまさんが転んだ性質を持っている。呪われてしまった主人公たちはなんとしてでも生き延びようとするので中盤からはジョジョ4部のチープ・トリック戦みたいなスタンドバトル感が出てくる。これはちょっと面白い。ジョジョ4部読んでたんじゃないかなブログでの自称が小生だった乙一。

しかし設定の面白さは諸刃の剣で、演出次第というところもあるにしても、怖いものを見続けるという時間を演出しなければいけないのだからやはりどうしても慣れが出てくる。Jホラーといえばこの人の存在抜きには語れない的な黒沢清は『エイリアン』のエイリアンと直面した宇宙船のクルーが蛇に睨まれたカエルのように動けなくなる時間が素晴らしいと言うが、それはクルーが硬直している間にも着々とエイリアンの死の手は迫ってくるからで、目前に死があるにも関わらずそれを回避できない無力感が蠱惑的な恐怖を生んでいるという論理である。

『シライサン』の場合は逆に見続けていれば生きていられるのでそうした恐怖は出てこないわけで、あーあったあった、ゼロ年代前半ぐらいにこういう眼球と黒目がやたらでかい和人形の恐怖画像がネットに出回って、画像だけだからそういえば名前は知らないのだが、掲示板で遊んでいる最中に初めてあれと遭遇した夜、あまりの恐ろしさに後ろを振り返ることができず、辺りが明るくなる朝まで何時間も掲示板に張り付いて、恐ろしさを人と共有することで少しでも精神的に楽になろうと手で目を覆いながら画像を保存、掲示板に貼って拡散を図ったことがあったなー…みたいなシライサンの顔面造形は素直に怖いものの、スタンドバトル展開に入るとちょっと和んだ感じになってしまうのだった。

っていうかそういう、やっぱあの頃の「こわいもの」の感覚で撮ってるんですよ。『リング』のビデオテープとか『回路』のインターネットとか、比較的新しいメディアが帯びるちょっとした呪術性や得体の知れなさ、禍々しさ…でもそれに相当するメディアがここにはないからシライサンの見た目怖いなぁっていうつまらない怖さしかなかったんじゃないかと思うな。スマホカメラで動画撮り続けているうちはシライサン寄ってこないから印籠のごとくずっとスマホかざす、とかそういう一捻りあってもよかったのにね。あったところで怖くはならないんですけど。

あとシライサンとシライサン被害者(眼球が破裂してる)に遭遇した人の絶叫がすごかった。うわああああああああああ、とか、きゃあああああああああ! とかは想定の範囲内ですが、いいいいいいやああああああああ! とか普通に言うもんだからそれはないだろ2020年、って思ったよね。ブログでの自称が小生だった人が監督だからそこらへんは監督カラーかと納得させようとしたが、とはいえせっかくの怖い? シーンも噴飯に反転してしまうから…いやあえて狙ってるのかな恐怖と紙一重のギャグみたいなの。ブログでの自称が小生だった人ならそれもあり得そうではある。

映画初監督かと思ったら乙一自主映画を何本も撮ってるそうで、商業映画はたぶん初でもメガホンを取るのはそこそこ慣れてるらしい。そう言われればブログでの自称が小生だった人とは思えないくらい手堅い、手堅すぎて予算100万円台の現場を急遽押しつけられてとにかく納期に間に合わせることを最優先にシナリオの辻褄を合わせるためだけに撮っていったB級職人のやっつけ仕事感すら漂ってしまう画作りや演出っぷりにも納得である。それが映画的に面白いかどうかは別として、映画が好きだけど映画監督にはなれなかった、もしくはならなかった人が別業種で成功を収めた後に映画を初めて監督なんかしたら普通はもっと変なことをやろうとする。

でもそういうところは『シライサン』にほとんどない。温泉街の『ブレードランナー』的スモークであるとか、物語の端々に差し挟まれるアオリのアングルで収めた木々の実景ショットには謎の拘りを感じたが、だからなんだの一言で終わってしまう。ブログでの自称が小生だった人が撮っているのにこんなに欲がないとは思わなかった。逆に、貴重なケースかもしれない。

飯豊まりえの恐慌過呼吸演技、感情移入してしまうという意味ではなく見ていてつらかったが、全体的に演技に関しては俳優に投げてるような感じもあったので、染谷将太は染谷将太を演じているし、木村知貴は酒屋で酒飲んでる。諏訪太朗はあの頃のJホラー感を出すための起用なんじゃないすかねたぶん。いつものアレ下さい的な。しかし俳優陣豪華だなー。家で料理したり本読んだりしてるだけとはいえ谷村美月も出てるしね。やはりブログでの自称が小生だった人はネームバリューと人脈が違います。

なんか悪口ばかりになっている気もしますがそこそこおもしろかったです。あと途中ちょっとだけ出てくるUAみたいな眉の力強い縄文顔の女優の人、すごく良いとおもいます。

【ママー!これ買ってー!】


のぞきめ

こちらも同じ「目」ものホラーだったので思わずリンクを貼ってしまったがへっぽこ感も同じくらいなので決して勧めはしない。でもシナリオは短い中にも起伏に富んでいて『のぞきめ』の方が面白かったんじゃないすかね。本業小説家がなんでシナリオの面白さで映画屋に負けるんだよ(『のぞきめ』も原作があるとはいえ)

↓小説版


小説 シライサン (角川文庫)

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