普通に撮るからいいんだよ映画『淪落の人』感想文

投稿日: カテゴリー 居眠り映画館タグ , , , ,

《推定睡眠時間:0分》

前にコンビニバイトの面接行ったらオーナーが韓国のおばさんで、いくつかの定型質問に営業スマイルで適当に答えていると「わたしは韓国人ですけど、それは問題ないですか?」っていうのが急に飛んできて、あっはっはー全然問題ないっすよー! …とは一応、脊髄反射的に言ったものの、いやそれどう答えるのが正解なんだよって感じで内心おおいに当惑させられたことがあった。

想定してないからそういう質問、こっちは。別にオーナーがどこの国の人でもいいけどその是非を問われるっていうのは想定してないし、だいたいバイト面接なんだからそこで韓国の人は無理っすね~って答えるやつとかいないだろう。じゃあなんなのよ。なんなのよと考えて、まぁあのオーナーの人の質問の意図は知らないが、そういう質問が自己防衛的に自然と出てくる環境で生きてきた人ではあるのかな、というのはちょっと思った。そこに悪意はないし善意もないし、政治性も感情もなくて、だから良いとも悪いとも言いようがないような、単なる事実確認としての他性の表出が当然の環境というか。

向こうは雇う側なのに雇われる側に人種に関してお伺いを立てていて、その面では雇う側がマイノリティで雇われる側がまぁだいたいの場合マジョリティなわけでしょ。でも経済的な面で言ったら向こうは儲かってるか儲かってないかは知らないが少なくとも時給千円で雇われるバイトよりは余裕があるわけだ。ある面では雇われる方が権力の側に立っていて、別の面では雇う方が権力の側に立っていて…足元で格差とか差別が解きほぐしがたく絡み合ってる環境、折り重なった非対称性。それをただ突きつけられる方がわかりやすいヘイトなんかよりもよほどギョッとさせられるものがある。

ということを思い出したのは『淪落の人』がフィリピン人ヘルパー家政婦と下半身不随の意地悪ジジィの非対称バトル交流のお話だったからで、このヘルパー家政婦と路上で暮らしてるその仲間たちのすっかり染みついた従属の表情とか仕草がなかなか、クる。この、半ば無意識的に人種マジョリティに気に入られようとしてる感じね。本人は別に気にしてないし、それをされる側も当たり前のこととしてとくになにも思わないし、みたいな。人種に限ったことじゃないですよね。金持ちの前では貧乏人は卑しい貧乏人をしまりのない笑顔でも浮かべながら演じてしまうもので、そういう哀しさ、そういう臭いの充満する映画でしたよ、『淪落の人』。

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映画としてはぶっちゃけ平凡でよくある感じだとおもった。なんかミニシアター系の日本映画でもこういうのあるよな、偏屈身体障害者と人種マイノリティ介助者の組み合わせ的な。この偏屈が広東語のできないフィリピン人ヘルパーに指示を出すためにDVDで英語を勉強するくだりがあって、偏屈はその前に日本のAV観てたんでデッキにAV入ってた。それに気付かずにうっかり再生ボタンを押したらテレビからあえぎ声が出てきちゃって慌てて消音にしてチラッと洗濯中のヘルパーに目をやると素知らぬ顔で仕事をしている。あぁよかった、気付かれずに済んだか…と偏屈が胸をなで下ろして英語学習DVDを観ていると、ヘルパーが通りしな「旦那様は英語だけじゃなくて日本語も勉強なさってるんですねぇ」。絶対にミニシアター系の日本映画でこういう場面、観たことがある。

でもそれを演じるのが『エボラ・シンドローム』でひとでなしの最凶保菌者を演じて香港を恐怖のどん底に突き落とした(その黒歴史をあえて今掘り返す必要はあったのか…?)名優アンソニー・ウォンですからね。フィリピン人ヘルパー家政婦の逃亡防止にと就労開始日にパスポートを奪い取るなど今回ひさびさに鬼畜回帰であったが、むろんアンソニー・ウォンは鬼畜演技だけの人ではない。AVのあえぎ声を聞かれそうになったアンソニー・ウォンは『ザ・ミッション』で敵に襲撃された時よりも慌てていたし、聞かれていたことに気付いたアンソニー・ウォンは『インファナル・アフェア』で潜入捜査官の存在が組織にバレた時よりも渋い顔をしていた。

親友的なポジションのサム・リーと一緒にAVを観ている時のアンソニー・ウォンの表情には、人はこんなにも神妙にAVを観られるのかと驚かされたし、もしかしたら俺もAVを観ながらこんな顔をしているんじゃないか…と愕然とさせられもした。別にAVの映画ではないのだが、まぁ、それぐらい、アンソニー・ウォンの演技が見事だったということです。ベタなAVギャグでもアンソニー・ウォンは手を抜かない。どうせ誰も真面目になんか観やしないエログロバカボケ三級片の『エボラ・シンドローム』でもアンソニー・ウォンは鬼気迫る熱量で鬼畜を演じていた…それはもういいだろ!

演出とか脚本は平凡でもその平凡さがかえってよかったとも思った。ことさらに奇をてらわない方が刺さる題材ってあるじゃないですか。これそういうタイプの映画。アンソニー・ウォンは建築現場での事故で脊髄を損傷した人の設定なので足も動かないが手の運動も自由とはいかない。末端の方が不自由で食事にはスプーンを使うしマジックテープでそのスプーンを手に固定しないといけない。そういうのをとりたてて強調することなくただ撮っていく。

フィリピン人ヘルパー家政婦の地元市場での被差別経験であるとか、何人かでまとまって路上生活をしてるフィリピン人家政婦仲間の下層トークとかっていうのも「かわいそうなもの」としては演出しない。ただそこにある風景としてスナップ的に撮っていく。だから逆に、この家政婦仲間の「広東語を覚えると仕事を増やされるからバカのふりをしておきな」みたいな台詞にいちいち鋭利な響きが宿る。半ば無意識的に目をそらしてしまいがちだが、そういう現実をこっちも生きてるんだなーと突きつけられる感じになるわけです。

平凡な映画だから最後は若干メルヘンハッピーエンド。いいじゃないですか。これでいいですよ。変に社会派を気取ったりしない方がありのままの社会を映し出すという逆説もある。今までの出来事はすべてアンソニー・ウォンの孤独な夢だった、とも受け取れて、現実はきっとこんな風にはならないからせめて映画の中だけでも、という観客の願望がそこにうっすら反射して見えてしまうあたり、なかなかこの作り手は策士かもしれない。おもしろかった。

あと路上生活フィリピン人のひとりが出るシーン出るシーンでいちいち実家感のすごいTシャツを着ているのはグっとくるポイント。

【ママー!これ買ってー!】


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ここで『エボラ・シンドローム』のアフィリンクを貼るほど俺は鬼畜じゃないんですよ。『海洋天堂』はジェット・リーが一切のアクションを封じて難役に挑んだ名作障害系ヒューマンドラマ。

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