端どころか外から観る『アルプススタンドのはしの方』感想文(悪口注意)

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《推定睡眠時間:0分》

原作は全国高等学校演劇大会で最優秀賞を取った高校戯曲だそうで、こんな世間ズレした八方美人のウェルメイド戯曲を高校生の分際で書くなんて…まぁ人のことは人のことですからとやかく申し上げませんが俺の感覚だとなんてつまらないんだと思ってしまうね。高校生ならもっと世間に楯突く前衛劇でもやればいいのに! でも公式サイトで誰がこんなの書きやがったんだと確認したら原作者、演劇部の顧問でした。どーりでどーりで。うまいこと世間に迎合しているわけだ。

所属校の野球部が甲子園に出るっていうんでぶっちゃけそんなに興味があるわけではないがとりあえずアルプススタンドの端の方で適当に観戦してる窓際系高校生4人がメイン登場人物、アルプススタンドの端はこの人たちの置かれた境遇を象徴しているわけですが、俺だったらそもそもそんなの観に行くこともなく映画とか観に行ってると思うので「あるある~そうなんだよな~」みたいなのは基本的にない。

この舞台設定でどういう人に向けられた物語なのかはよくわかる。興味の無い集まりでもみんな行ってるしっていうんで一応行くような人。その人は巨大な悩みがあるわけではないけれどなんとなく人生に壁を感じたりしていて、ちょっとのキッカケで壁を少しだけ乗り越えられたりする。要するに、そこらへんの普通の人。アルプススタンドのお話なので吹奏楽部の応援ソングはひっきりなしだが、その音の先にあるべきグラウンドをカメラは一瞬たりとも映さない。

応援されているのはだから、この映画の中ではグラウンドの選手たちではなくアルプススタンドの端の方に座ってる普通の人たちなわけです。誰かを一生懸命応援することは直接応援されてはいない別を誰かを応援することにもなる。あるいは自分が一生懸命誰かを応援することは自分自身への応援になるのだ。泣けるね。沁みるね。とはいえ俺は別に誰にも応援されたくないし誰を応援したくもないので、そんなこと言われてもなみたいな感じになる。

自分を応援したかったら自分で自分を応援したらいいのに。俺はいつも自分を天才だ天才だと褒めてますよ。自分で褒めないといけないぐらい才能がないのは知っていますからね。別にそこに第三者を噛ませる必要なんてないんじゃないすかね。だいたい自分を応援するために誰かを応援するっていう自分本位の他者観が嫌。他人に応援されたくない人だって世の中にはいるんです。そういうことを考えないからな応援人種は。持ちつ持たれつ、応援して応援されて…それが人間じゃないか! みたいなさ。

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でもそれが世の中の大多数だってことぐらい俺もそこそこ生きてきた中で嫌というほど思い知らされてますからね。はいはいわかりましたわかりました、間違ってるのは俺でしたすいませ~ん。だから俺だったらアルプススタンドの端の方にすら行かないんです。その束縛的な輪に加わりたくないんです。もうね、なんで観に行ったのかっていう話になるよね、そこまで根本的に否定してしまうと。あと俺野球観ないし。ルール知らないし。スタンド暑いから嫌だし。お~いお茶がピックアップアイテムになってますが俺カフェイン摂れないからお~いお茶飲めないしね。

みんな好きでしょ? みたいなのがあるんだわ、こういうチョイスには結局。傲慢だ傲慢だ、嗚呼マジョリティの傲慢だ。われわれ軟弱反動冷笑分子としてはマイノリティ性の皮を被ったマジョリティの傲慢を告発しなければならない。しょせん君たちの考えるマジョリティなんかこんなものだろう。まったく。他者への想像力が絶滅した絆ジャパンらしい話だ。高校演劇で奨励されるのもわかりますわな。どうせ映画なんだから最後に甲子園なんか爆破しちゃえばよかったのに(あれ甲子園なの?)

それにしても「えっ?」進行のダイアローグが本当に耳障りだ。これはこの映画の脚本かもしくは原作が悪いというよりは現代日本映画のとくに学園ジャンルで頻繁に使われる手法なので何が悪いと言えば時代が悪いとしか言いようがないが、もうそろそろ時代、変えませんか。なんなのあれ。誰が面白いの。えー、「えっ?」進行とは! たとえばこうです。

A「ところでさ、俺んちの親父、万引きしたんだよ」
B「えっ?」
A「常習犯だったらしい」
B「そう…大変だね。でも、確かにAくんのお父さん、万引きしてそうな顔してる」
A「えっ?」
B「言われない? 万引き顔って」
A「万引き顔かぁ…そういやお前はキャトルミューティレーション顔だよな」
B「えっ?」

…とこのように「えっ?」進行とはAという登場人物に言わせたいこととBという登場人物に言わせたいことをそれぞれ単独で成立するセリフとして書き出し、奇跡のマジックワード「えっ?」でAのセリフとBのセリフの間を埋めることで、本来は笑い飯の漫才のように会話として成立していないような会話でもなんとなくリアルに成立しているように思わせる会話進行を指す。「えっ?」を間に挟めばいつまでもどこまでも会話を続けられるので脚本家が書きたいセリフをなんの制約もなくダラダラと書き続けられるという大発明である。

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こんなのおもしろいですか? まぁ脚本書いてる人は面白いかもしれないけど…この上滑り感、嫌だなぁ。対話が生まれないんですよ「えっ?」進行には。すごい非生産的で非有機的で非主体的な予定調和の会話形式だと思うな。もちろん「えっ?」は単なる会話のジョイントではない。そう発するキャラクターの心ここにあらずな心理を表現するものでもありましょうが、そんな純度の高い心ここにあらずが早々あるかい。店の片隅に置かれて誰にも話しかけられないペッパーくんじゃないんだから。

つまり「えっ?」は、複数人の会話においては独白と独白の連鎖を維持するパーツであるし、個人の心理の表現としては雑念ゼロの雑念というべきものになるが、これらはいずれも波乱を孕む対話の拒絶であるとか複層的で流動的な関係性の否定を意味するのだ。対話の中では話者の性格や主張が相互浸透することで一貫性のない言葉の場が生まれるし、それを通して話者は対話に入る前のプロフィールやキャラクターの予測不能な変化を余儀なくされる。喧嘩の後にヤンキー二人が夕陽を眺めて友情を…なんて展開は喧嘩をする前のヤンキーには想像のできないもので、そうした新たな関係性・新たな自分を生み出す場が言葉の喧嘩としての対話なのだ。

そう思えば「えっ?」進行のこの異常な持て囃されっぷりもなんとなくわからないでもない。みんな変わりたくないすからね。俺がいちばん変わりたくないが俺以外の日本国民全員も負けず劣らず変わりたくないので対話とか嫌いだし、そもそもそんな訓練なんか受けてないからできないんですよ。だから「えっ?」なんです。「お前の話なんか聞いてねぇよ」のモノローグ的本音と「お前の話に思わず声を上げちゃうぐらいにはお前の話に耳傾けてますよ」のダイアローグ的建前の間にあるのが「えっ?」。世の中に適当に合わせつつ自分を守るための端の方の人たちの保身術なんですよ。

画面に映るのはスタンド側だけで試合の行われている(そして端の方の人たちに応援されたり論評されたりしている)グラウンドは一瞬たりとも画面に映らない思い切った作劇はたとえ予算的な事情もあるだろうとしても、邦画「えっ?」シリーズの最新作として面白い趣向だと思った。「えっ?」の人たちは自分と相手を同時に見るような対話的世界には住んでいないから、本来セットであるはずの二つの光景が、同時進行であるはずの二つの場が完全に分離されてその一方しか映らないというのは、なにか「えっ?」への批判のように俺には見えたのだ。

だからいちばんキャラクターとして面白かったのも好きになれたのも、中途半端に性格の悪い暇があればドンキ行ってそうな真面目落第ヤンキー未満の吹奏楽部員だった。あいつは「えっ?」なんて言わずその代わりに「はぁ?」を連発していたので。これからは「はぁ?」で行け、日本映画学園ジャンル。

【ママー!これ買ってー!】


京都銘菓 生八つ橋 夕子 ニッキ、抹茶詰め合わせ 10個入

『アルプススタンドのはしの方』、略してアルはしということで八つ橋が食べたくなりましたね。全然食べたくないよ俺八つ橋嫌いだもん。嫌いなものばっかり!

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