僕の名前で僕を呼んで映画『異端の鳥』感想文

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《推定睡眠時間:0分》

カラーで撮れるのにあえてモノクロを選択する理由は映画監督によってまちまちでしょうがどのような効果を狙うにしてもカラーの選択肢が存在するという状況がカラー以前の時代のモノクロ映画とは決定的に異なる意味を現代のモノクロ映画に与えていて、どう撮っても作為性が前に出るということなのだが、その結果観客と映像の間に壁が出来て、まるでそれこそが映画(あるいは映画館)の存在意義であるかのように祭り上げられている「没入感」とかいう退行的な概念を、現代モノクロ映画は退ける。

そういうわけで全編モノクロのこの映画もリアリズムのタッチで撮られているがモノクロなのでなんだか寓話感出る。そのタッチが描き出す光景はきわめて無残悲惨凄惨なものであったがモノクロなのでわりと他人事である。疎開先で不幸にもひとりぼっちになってしまった憐れなユダヤ少年の親を求めてウン千里的なド辺境地獄巡りは美しい構図もあって残酷なおとぎ話としてどこかユーモアさえ帯びるのであった。

原題は『THE PAINTED BIRD』でこれが何を意味するかというのは第四章ぐらいでわかる。唯一の保護者であった祖母に死なれてしまいついでに家も焼けちゃったので放浪の旅に出た主人公のユダヤ少年くんはあちらこちらで拾われては(文字通りの意味で)使い捨て労働力にされたり(文字通りの意味で)生け贄にされたり(文字通りの意味で)性奴隷にされたりするのであるが、その拾い主の一人で比較的少年くんに理解のあった猟師は他に大した娯楽もないので捕まえた鳥を白く塗って群れに放す遊びをする。

よかったね群れに帰ることができて、と少年くんがなんとなく安堵した瞬間、群れの鳥たちが白く塗られた鳥を全力排除する衝撃展開、せっかく自由になった白い鳥はあっさりスタボロ死体になって墜落するのであった。バタッ。
含意は明確である。同じ種類の鳥でも誰かに白く塗られただけで仲間からマイノリティ認定されて超バッシングを受けるのだから人間だってだいたい同じようなものに違いない。同じ人間でもユダヤ人とか黒人とかなんらかの他と区別できる属性を付ければ金ないとか職ないとか娯楽がないとかでムカついてる大勢の人間たちにとってはこいつは叩いてよしの合図となって一斉排除が始まるのである。

お前らの仕事がないのは誰のせいだ!(ユダヤ人のせいです!)
お前らの生活が苦しいのは誰のせいだ!(在日のせいです!)
お前らの税金を無駄遣いしているのは誰だ!(鼻持ちならない学者たちです!)

タイムリーな映画ですな。

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タイムリーに見えるのは扱う内容がホロコーストと独ソ戦とかいう具体的かつ歴史的なものであってもそれだけ表現の寓話性が高いということでもあるし、あとやっぱ普遍的なものがありますよねこういうの。人間心理としてっていうか田舎ってこうだよな~みたいな。

もう本当にこの映画に出てくる田舎、娯楽がないんですよ。だいたい農村とかですけど基本は酒とセックス。この二本柱で押し通そうとしてますから歪みがすごい。ちょっとセックスできなくなったとかだけでも欲求不満が爆発して弱い者いじめに走ったりするし人が死ぬ。代わりにゲームやるとかそういう選択肢がないってこんなに怖いことなんだって思いましたよ。

田舎のパチンコ屋とかぶっちゃけバカにしてましたけどこの映画観て考え変わったね。あれ慈善事業です。セックスと酒とかいう暴力と親和性が高い娯楽ではない安全な娯楽を安価で人々に提供してるわけですから。まぁ金を吸い取るだけ吸い取って結局は酒とセックスと暴力しかやることがない人間を作り出したりもしているのだからあんまり変わらないとも言えるが…やっぱ最強はテレビゲームだね。最近のアメリカ映画に出てくる貧困家庭の若者みんなFPSとかばっかやってますけどああいうの平和でいいと思います。

と話は逸れたが塗られた鳥の「塗られた」というのはユダヤ人の肌に掘られた囚人番号を指す。少年くんはホロコーストには巻き込まれずに済んだが放浪の末に犯罪行為を余儀なくされて結果、ソ連で少年院的なところに放り込まれて囚人番号を与えられてしまう。名前を奪われ尊厳を奪われただの動く番号としてガス室で処理される運命から逃げた先でも結局は動く番号にされるこの皮肉。

したがって哀れな迫害少年くんの残酷おとぎ話は彼が自分の名前を獲得できるか否かに収斂していく。少年くんを拾った誰もが彼を名前で呼ばない。単なる労働力だったり戦闘要員だったり生け贄だったりだったりに名前はいらない。少年くんを拾う集団や組織はすべて個人の名前を必要としないものだ。教会とか、軍隊とか。

各章のタイトルはごく一部を除いて少年くんを拾う人物の名前になっている。名前を持つ者と持たない者の権力差。あるいは名前を持つ者は他の人間を支配するために名前を奪うのである。旅の中で少年くんは何度か無言の絆のようなものに出会う。それは多少なりとも心温まるものであったかもしれないが、しかし名前で結ばれた固い絆でもないので、結局少年くんはそこに安住の地を見出すことができない。他の誰でも自分の代わりが務まるポジションにたまたま今は自分が収まっているだけだと少年くんは気付くのである。

だから少年くんの旅は自分を名前で呼んでくれる人を捜すための旅だったとも言えるし、名前と共に自我も奪われた少年くんが自分の名前を取り戻すための旅だったとも言える。ぼくの名前でぼくを呼んで、である。人がたくさん死んでおもしろい映画でしたね、うん。あと自分で自分に名前を付けることのできるテレビゲームはやっぱり偉大。

【ママー!これ買ってー!】


小学館の図鑑NEO〔新版〕鳥

世の中にはいろんな種類の鳥がいますしみんな違った名前を持っているのです。鳥の名前を知ろう。

↓原作


ペインティッド・バード (東欧の想像力)

2 Comments
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さるこ
2020年10月17日 7:38 PM

こんにちは。  
カラーで撮れるのにモノクロで撮ったり、モノクロで撮られたものをカラーにしちゃったり、映画って面白いですね。確かに観る者との距離感が変わる。
本作は、モノクロでよかった。カラーなら正視できない…

でも、ルリビタキは、ハイビジョンで羽根の一枚一枚まで見たいですね。
かわりに↓これ、本作見ながら思い出しました。
https://www.google.co.jp/amp/s/eiga.com/amp/movie/81913/