睡眠学習映画『クナシリ』感想文

《推定睡眠時間:30分》

領土に対する関心が極限まで薄いのでクナシリ=国後島が歴史的にも地理的にも日本にとってどういうポジションなのか全然知らないのでまぁ映像旅行兼社会科見学として観てみるかと足を運んだところ睡眠鑑賞のプロである俺にとっては何年に一度あるかないかということなのだがなんと途中で眠りに入りそのまま覚醒することなく上映終了を迎え場内の明かりが点いて目覚める「お客さん終点ですよ」状態になってしまった。

北方領土エリカちゃんにジャンピング頭突きを食らいそうな所業だがしかしこの睡眠にも意味がないとは言えず(まぁ言うことはたやすいが!)なんかね、映画の中のクナシリ=国後島も忘却の彼方にまどろむように沈んでいく感じだったんだよ。いま一応ロシアが領有権を主張してるからロシアの人が住んでるわけじゃないですか。でもそこでの生活って過疎地そのもので住民に話を聞けば「ここは良いところだなぁ!」みたいな感じはないし当局の関心もただそこに人を置いておくこと以外には何もないように思える。

映画は島の人なのか島に調査とかで来てる人なのか知らないがロシアのオッサンが地面とか軽く掘って「ほら、ここ、ここ。ここ昔は日本の神社があったんだよ。まだ基礎が残ってるんだな」とかやって島のなんもないところをクルーに案内するところから始まるが、その光景はなんだか失われた文明の遺跡調査のように見えて、一方で住民は昔はよく近所の日本人から醤油借りたりなんかしましたよとかいう劇的に超日常なありふれ昔話を話す。このアンバランスが面白い。

島の生活の由来を忘れないようにするために島では地元の高校生たちが参加する占領再現イベントというのが毎年行われているらしい。高校生が参加するからその親たちが中心かと思うが大人の住民たちもイベントを眺めているのだが、まるで運動会のようで形骸化も甚だしい。それはもう歴史上の出来事で、かつてこんなことがあったらしい、という物語の中でしか想像することができないものだろう。

ロシアの人は善意も悪意も率直なので(※偏見です)島の住民たちも当局への不満も日本へのドライな見解もどっちもストレートに話してくれる。「排他的経済水域が欲しいだけでしょ。日本人はここに住む気ないよ」。まぁ住みたい人がいるかいないかはともかくとして、日本国の関心があくまでも島の領有権にあり、島の生活にないことはエリカちゃんもよく知っていることだろうっピ。

島の人々はこうして静かに忘れられていく。日本とロシアが欲しがるクナシリ=国後島は地図上にだけ存在する幻の島のようなもので、行ってみたら存在しなかった、と言われてもあり得そうな話にさえ思えてしまう。島案内人のオッサンが海パン一丁になって「入れるかな…どうだ…どうだ…ああ~」温泉にでも浸かるように海岸沿いの水たまりに入っていく場面を見れば、とはいえこんな風に忘れられていくのもそう悪いものではないのかもしれない。

【ママー!これ買ってー!】


港町

観察作家・想田和弘の過疎地ドキュメンタリー。『クナシリ』と頭の中で繋がったのはこの映画だった。

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