現代映画を理解するためのニューエイジ覚え書き

とにかくもう現代はニューエイジ映画の花盛りでニューエイジ・ブームの第一波は1987年のハーモニック・コンヴァージェンスを機に萎んでその後90年代に入ると世紀末に向けて再びサブカルチャーとより強固に結びつきながら盛り上がりを見せてこれがニューエイジ・ブームの第二波、でゼロ年代に入るとまた萎むんですが流れが変わったのは俺の見立てではSNSの登場でマジョリティとマイノリティが平等に声を上げることができて個人個人がダイレクトに地球規模で繋がることができるSNSはニューエイジャーにはおあつらえ向きの場であるから水を得た魚のように(アクエリアスって言いますしね)第一波第二波を遙かにしのぐ勢いで今の第三波ニューエイジ・ブームがある、その勢いはといえばハリウッド超大作があれもこれもニューエイジばかりという程なのだ。っていうわけで現代映画を読み解くに俺主観では必須ツールと言っていいニューエイジについて備忘録的に少しここに描いておこう。

ニューエイジの定義

と皆さんご存じ的にとりあえず書き始めてしまいましたがニューエイジとはなんぞやという人もそれなりに多いのではないかと思う。ニューエイジとは何か! ここでポンと一言で言い表せる言葉があればいいのだが持ち合わせがないしニューエイジ関係の本を読んでもニューエイジの定義は様々でわりあい混沌としている。ふたつ例を挙げよう。

①自己変容あるいは霊性的覚醒の体験による自己実現
②宇宙や自然の聖性、またはそれと本来的自己の一体性の認識
③感性・神秘性の尊重
④自己変容は癒やしと環境の変化をもたらす
⑤死後の生への関心
⑥旧来の宗教や近代合理主義から霊性/科学の統合へ
⑦エコロジーや女性原理の尊重
島薗進『精神世界のゆくえ 宗教・近代・霊性』

①人間の栄光のため
②権威…自己やもろもろの霊
③オカルト的な霊感や導き
④人の手による結果
⑤非現実的であり楽天的
⑥最終的希望…自己実現化された人間
尾形守『ニューエイジムーブメントの危険』

以上ふたつの引用はニューエイジ研究本からのもので、前者はこれに加えて更に細かくニューエイジの諸要素を抽出分類しているのだが、ここでは面倒くさいのでニューエイジ文化全般にまぁまぁ当てはまる要素としてAグループに分類されている七要素のみを引用した。後者は著者がニューエイジへの敵愾心を隠さない伝道者の人なのでニューエイジ文化をサタンどもの誘惑とか書いていて笑ってしまうのだが、そのキリスト者としての偏りからニューエイジの特徴が見えてきて面白い。

いや、そんなことはいいのだが、こんな箇条書きでニューエイジが何かわかる人なんているのだろうか。上の引用はいずれもニューエイジを研究対象とする人の手によるものだから、今度は我こそニューエイジでござい的なニューエイジを趣味とする人のニューエイジ定義を見てみよう。

ニューエイジというタームは、それがカバーしている領域があまりにも広く一言で捉えることなど不可能だが、しかし誤解の少ない表現で言い表すなら、それは「癒やし」という言葉の意味していることが最も近いように思う。
北山耕平 編『ニューエイジ大曼陀羅』

いや今度は逆にシンプルすぎてわかりにくい! ニューエイジャーの感覚ではニューエイジって癒やしだよねと言われればだよねーだよねー的な感じなのかもしれないが部外者にはそれはちょっと…というわけで、これがニューエイジだという決定的なものはなく色んな本を読んでも色んな書き手が結構自分主観で色々書いているので、俺も俺の主観でもってニューエイジを勝手に噛み砕いてしまおうと思う。

ニューエイジ5つの主義と2つの論理

超ざっくり言うならニューエイジはある傾向性をもった諸文化の集まりだが、ニューエイジに分類される諸文化の間には一見なんの繋がりもなく時に相反するように見えることもあるので、ニューエイジを具体的な境界を持った文化領域として捉えると理解に苦しむことになる。むしろ逆転の発想で(?)「主流ではない文化」の中にニューエイジ属性を持つ文化が他の文化とくっついたり離れたりを繰り返しながら偏在しているとイメージした方がわかりやすいんじゃないかと思う。つまりニューエイジとはオルタナティブである…が、それが今やマーベル映画の思想にまでなっているのでこうなるとオルタナティブではない。まったくややこしいニューエイジである。ややこしいのでとにかく直感と偏見でニューエイジ文化の特徴を抜き出してしまおう。

個人主義

ニューエイジは宗教のようでいて宗教とは異なる文化である、とはニューエイジ研究本を読んでいるとよく出くわす一文。オウム真理教や幸福の科学は明確にニューエイジ文化を養分にしている新宗教だが、それにも関わらずなぜ宗教と呼ばないかといえば宗教的なネットワークを嫌うこの個人主義があるからだ。

ニューエイジの起源はこれもまた色々と複雑な歴史があってちょっとここではまとめきれないので、ひとまずは60年代のヒッピームーブメントの中で育まれ70年代以降ヒッピームーブメントの退潮に伴って顕在化した、と結構適当に書くに留めておこう。ニューエイジ諸文化の多くはヒッピー文化を引きずったものだ。で、ヒッピー/カウンターカルチャーなので、ニューエイジは「私」というものをすごく大事にする。

ヒッピーと違うのはこの「私」が体制に対する抗議として強調されるものではないことだ。ヒッピーの個人主義は体制や時代の流れに対して個人の立場から「NO!」を突きつけるための思想と言えるが、消費社会に適応したニューエイジの個人主義はどちらかと言えば「YES!」を表現するためにあり、「私が選ぶ」ことはニューエイジ諸文化の中核要素になっている。ニューエイジ文化といえばチャネリング。以下はチャネラーの人が宇宙人から聴き取った超人類史の中の一文で、いかにニューエイジが個人主義を重視しているかがよくわかる。

魂にとっての挑戦は、自分に自由意志があることを思い出すことである。自由意志の行使こそが、神聖な記憶をよみがえらせる鍵なのだ。
リサ・ロイヤル&キース・プリースト『プリズム・オブ・リラ』星名一美 訳

グル主義

普通はグル主義なんて書かずにグルイズムとか言うがここではスタイルを揃えたかったのでグル主義にした。まぁどうせちゃんとした学術用語でもないでしょうし…知らんけど。まだオウム犯罪が大っぴらになっていない時期にオウムを擁護してあげたのも関わらずむしろ擁護したことで信者に殺されそうになった可哀相な宗教学者の島田裕巳がグルイズムのタームでオウム信者の心理を説明したことからグルイズムの語は(少なくとも日本では)ほとんど例外なくオウムとセットでしか使われないが、グル(導師)への絶対的な帰依はニューエイジ趣味者の心理を説明するものでもある。

個人主義なのにグルイズムといえば早くもだいぶ矛盾しているようだが、ニューエイジ趣味者はグルを選ぶのは絶対に自分で行い、選んだグルは絶対に拒否したりしない、という二重基準を設けている。グルといえば大袈裟だがグルを自分で選ぼうとするニューエイジ趣味者にとっては極論どんな人でもグルになり得る。たとえばヨガ講師はグルである。ヨガ教室に通う生徒はそこにいる間は講師の言うことには疑い一つ挟まず従う。こんまりはグルである。こんまりをグルに選んだニューエイジ趣味者はときめきを感じない物は辛くても捨てようとする。こんまりが間違っている可能性は考えないし、疑問が生じたならそれはグル選びが間違っていたということで、そのニューエイジ趣味者は別のグルに乗り換える。

これがニューエイジのグル主義で、ニューエイジ思想を物語仕立てにしたベストセラー啓発書『聖なる予言』は人類を進化に導くマヤ文明の写本を追う主人公が行く先々で自分がグルと判断した人に出会い、自我を殺してグルの言うことをそのまま受け止めることで一つずつ写本の知恵を授けられるというストーリーになっている。

全体論

ニューエイジの全体論は一元論と姉妹関係のようになっていて、たとえば善と悪を同じ人間の異なる側面として把握する。善と悪のそれぞれに別の起源があるわけじゃなくて同じものから発生しているという考え方。これをもっと巨視的に見れば地球のように非常に多くの要素を含みそれらの利害関係が至るところで対立しているものも全ての要素は根は一つということになり、どんな悪人も悪行も他の要素との関係の中で必要不可欠なものとして肯定され、一つの始原への回帰という形でユートピアのビジョンが生まれる。もっと身近に見るならホリスティック医療とかマクロビオティックがそれで、心身の健康を保って人生を楽しく生きるには自分の心身をトータルで見ようとかそういう考え方になる。

全体論はニューエイジ諸文化の中ではとくにユング心理学やトランスパーソナル心理学といったニューエイジ心理学やエコロジーの分野に際立って見られるが、それ以外の分野でも広範に見られるもので、フィクションの世界では欧米的な善悪二元論を乗り越える思想として近年脚光を浴びている(俺が関心あるのココ)

経験論

なんでも自分で選ぶスタンスのニューエイジ趣味者が善悪や真偽の基準をどこに置くかというと自分の経験で、海野弘の『世紀末シンドロームニューエイジの光と闇』ではニューエイジ趣味者をカタログ狂としているが、何が正しいのか自分の経験にしか頼れない以上はニューエイジ趣味者が次から次へと様々な知識や体験やグルに手を染めるのは当然と言える。日本におけるニューエイジは精神世界の名でも知られるが、本屋の精神世界コーナーに行けば実に多くの体験本や事典のたぐいが目に入るので一見は百聞にしかず、精神世界と縁のない人はとりあえず本屋の精神世界コーナーに行ってみて欲しい。いやもうすごいよ、玉石混淆魑魅魍魎海千山千知識の宝庫。

経験論はニューエイジの人間的な温かみの源泉と言え、理論よりも実践、学ぶよりも体験、決まった正解を選ぶよりも数多の間違いをしよう! というわけで要するに庶民的な物の見方である。ここにはカウンターカルチャーの残り香も強く感じ取れるが生活者の知恵という面も同じくらいあるわけで、自分の生活に必要なある情報に対する公的なフォローがない場合に、個人の経験を伝える口コミというメディアは博打的だとしても役に立つ。金運クリスタルや代替医療といったニューエイジ消費物の広告にはほとんど例外なく「個人の体験」が付くのもニューエイジの流儀なのかもしれない。

体系(組織)を作らないニューエイジ文化は言ってみれば口コミで発展・維持される文化だが、口コミは個人の経験は活き活きと伝えることができるとしても理論や学を伝えるのには適さない。したがって経験論はニューエイジを陰謀論に接続する。自分の目で見た「真実」を客観的な「事実」よりも上に置くことは物事の進歩進展には必要な局面もあるが、大抵の目で見た真実はお決まりの事実を覆す価値のないカスである。なんちゃらダイエットという超簡単な新ダイエット法がブームになって「私はこれで痩せました!」という体験談が集まればじゃあ自分もという気になるだろうとしても、それで実際に痩せることができる人は少ないだろう。その真新しい真実のダイエット法は飯を適量にして運動を沢山すれば痩せるという使い古されたダイエット法の事実に勝てなかったのだ。

とはいえ、それで納得する人ならニューエイジ趣味なんかやらないので、ニューエイジ趣味者の経験主義はちょっと頭の痛い問題である。Qアノンはニューエイジの土壌の上に育った現象と捉えることもできるし、エコロジーや代替医療といったニューエイジ文化と比較的近い距離にあるのが世を騒がせたワクチン陰謀論なので。

反動主義

超能力や宇宙人はニューエイジの花形文化といえるが、そこまで露骨でなくともオーラとかパワースポットとかも立派なオカルトであり、癒やしの体験を与えるこれらはスピリチュアルの名で呼ばれるニューエイジ文化である。この点に着目すればニューエイジを島薗進が提唱するように「新霊性運動」と呼ぶことも妥当に思えるが、一方でニューエイジャーの側がニューエイジ文化を紹介する『ニューエイジ大曼陀羅』を読めばおいしいお茶の淹れ方とか核融合発電がニューエイジのトピックとしてそこそこの紙幅が割かれていて、これらを「霊性」の範疇に含めるのはさすがに無理があるだろう。

じゃあニューエイジの中でおいしいお茶の淹れ方と核融合発電を結びつけるものは何かというと、主流文化や政治勢力や様々な分野での多数派に対する反動っていうのがしっくりくるんじゃないだろうか。『ニューエイジ大曼陀羅』はバブル期の終わりに出版された本で、バブル的な物質主義であるとか拝金主義であるとか今が楽しければそれでよし的な視野狭窄に対するカウンターとしておいしいお茶の淹れ方と核融合とUFOは同じニューエイジの枠内で語られるわけである。

ニューエイジの反動主義はまたしばしばニューエイジの主要構成要素に数えられる「女性性の尊重(もしくはフェミニズム)」の根にあるものでもある。ユング心理学が大きな影響を与えたニューエイジでは神秘的なものは感情的なものと共に生物学的な女性に配分され、これが包容力とか受動性とかと一緒になって女性原理を構成するが、こうした要素はユング心理学ともども(男性中心の)西洋の近代合理主義に対するカウンターとして機能する。それが本質的にフェミニズム運動とは相容れないことはユング心理学が女性原理と男性原理という形で性役割を定式化した上でその和合を説くことからわかるが、それでもニューエイジの女性尊重はフェミニズム運動にも一定の影響を与えたかもしれない。

MeToo告発以降盛り上がりを見せているフェミニズムだが、あくまでも俺の超私見なのだがMeToo以前のフェミニズム運動と接点を持たない人もSNSを中心に参入してきている印象があり、そのためSNSでのフェミニズムはリアル世界でのフェミニズム運動とはまた異なる一種独特の様相を呈している。それはたとえば何の事件だかは忘れてしまったが性暴力事件の判決が不当だったとかなんかで、そのことに怒ったフェミニストを自称するツイッターアカウントたちがエビの絵文字をアカウント名の横に付け始めた小さなネット運動などがひとつの例で、これは「私がエビデンス」という意味でのエビなのだが、その個人主義と経験主義、いわゆるアルファツイッタラーなんて呼ばれるオピニオンリーダーが何かツイートすると無批判的にそれを受け入れて拡散する行動様式は、従来のフェミニズムというよりもニューエイジに近いものがある。

日本のニューエイジにはあまり見られないものだがアメリカでのニューエイジは『ニューエイジについてのキリスト教的考察』なんて本も出ているくらいでアメリカの主流文化たるキリスト教に対するアンチの姿勢が強くある。教会の側がニューエイジを敵視する理由は主に三点、ひとつはニューエイジが神を信じずに神に類する別の存在(宇宙人とか魔女とか)の実在を想定する点、もうひとつはキリスト者ではない人物をグルとして崇める点、最後のひとつはニューエイジの女性原理である。地母神信仰とも結びついた女性原理は父なる神という考え方を根本から否定してしまうわけだ。

このニューエイジ的女性原理は日本では主にアニメに取り入れられ、現在まで続くことになるのだが、その象徴的な『セーラームーン』に『キャプテン・マーベル』を演じたブリー・ラーソンが親しんでいたという事実と、ラーソンが幻覚キノコによる人類の霊性進化を説く『素晴らしき、キノコの世界』というドキュメンタリー映画のナレーションを務めていたことを突き合わせれば、反動主義と分かちがたく結びついたニューエイジ・フェミニズムの輪郭が浮かび上がってくるのではないだろうか。

※余談といえば余談だが個人的には女性原理・男性原理という考え方はできるだけ早く廃れて欲しいと思っているので、当の女性の側がそれを身につけようとするニューエイジ・フェミニズムにはうーんそれどうなんですかねーと思ってる。

楽観主義

ニューエイジの源流の一つにニューソートというものがあり、これはスウェーデンボルグやメスメリズムの流れを汲むアメリカのキリスト教異端だが、後に自己啓発を生むことになるニューソートは人間の意志と思考の持つ力に着目し、今日ではニューエイジの枠内に留まらず一般的に用いられている「ポジティブ・シンキング」の概念を生み出した。今のポジティブ・シンキングは前向きに生きようぐらいの含意しかないと思われるがニューソートのポジティブ・シンキングはオカルト療法であり、どんな病気でも必ず治ると強く念じ前向きに生きようとすれば治ってしまう、というもの。この本来の意味でのポジティブ・シンキングは日本では光明思想の名で新宗教団体・生長の家が取り入れ、その影響下にある幸福の科学や創価学会といった新宗教団体が今も用いている。

ニューエイジ的なポジティブ・シンキングは主に瞑想と自己啓発の分野に見られる性格改造術だが、これらの術ないし技としてのポジティブ・シンキングを実践していないニューエイジャーでも前向き思考を持たない人間はいない、と断言してもよいであろうと思えるのは読んで字の如く新しい世界を待望するニューエイジャーは後ろ向きになりようがないからだ。というより、後ろ向き思考を無理矢理前向きにするための文化がニューエイジなのであり、それが先に引用したニューエイジ本の「ニューエイジは癒やし」という定義に繋がってくる。この本の副題は「一足お先に未来の生き方」なのである。

こうした楽観主義はニューエイジの求心力と推進力の両方を兼ねる。たとえば自分に自信がなかったり世の中が嫌になったりしている人にニューエイジは今よりもずっとマシなこれからの世界の希望のカタログを提供する。それはミニマリズムかもしれないし瞑想かもしれないしチャネリングかもしれないが、まぁそれが何かはどうでもよくて、とにかく「これを信じて実践すればいとも簡単にあなたの人生はもっと良くなる」と感じさせることが重要。その楽観主義は複雑怪奇にして悲観だらけの世の中に疲れた人を癒やすだろう、癒やされた人はとりあえず自分に合いそうなニューエイジ文化(グル)を選んで実践してみるだろう、そしてそのことでどんな珍奇なニューエイジ文化も確かな実体を獲得し、身も蓋もなく言ってしまえばインチキストーンをインチキとわかっていてもそれをとりあえず信じたことで自分が癒やされたり前向きになれたと感じる人が100人集まれば、それはインチキではなくなってしまうのである。そしてその100人は本気で「これを信じて実践すればいとも簡単にあなたの人生はもっと良くなる」と言うようになるのだ。

ニューエイジの楽観主義には未来の楽観の他に人間の楽観も含まれる。これを欠けばグルを信じることはできないし、経験を信じることもできない。

進歩主義

ニューエイジのバイブルの一つと言われる『100匹目の猿』という「寓話」がある。なんでも日本のなになに島というところにニホンザルの群れがいて、その中の一匹がエサは洗って食べた方が良いらしいことに気がついた。この行動は群れの中で伝播していってついにエサを洗う100匹目のニホンザルが現れたところ、なんとこの島のニホンザルとは交流を持たない別の島のニホンザルたちもエサを洗って食うようになったのだという。100匹目のエサ洗いニホンザルの登場によってニホンザルは種全体が進化したのだ…。

この「寓話」が言わんとしているのは種の行動様式には見えない閾値があるということで、ある行動を種全体の何%かが実践するようになると種全体がその行動を取るようになるということである。まったく信じがたい話だが、あくまでも「寓話」としてならそれなりに頷けそうではある。今日ニューエイジ文化に触れる人間はそもそもこの寓話自体を知らないと思うが100匹目の猿を半ば無意識的な行動指針にしているケースは決して珍しいことではない。とくにヴィーガニズムやニューエイジ・フェミニズムなどの分野で顕著だが、100匹目の猿は必ず現れるという楽観的未来予想がその進歩主義的行動の精神的な原動力となっている。つまり自分たちがこう行動規範を示せばそのうち人類全体が同じ行動を取るようになるに違いないっていう確信があるわけ、らしい。

ニューエイジは量子力学の最新仮説とか核融合発電(というのは昔の話で最近は再生可能エネルギーが人気)みたいな未来に完成するかもしれない科学は積極的に取り入れるが、それは科学として取り入れているのではなくそれらがまとう未来のイメージを取り入れているのであって、このへんニューエイジとSFの繋がるところ。少なくとも初期のサイバーパンクは明確にニューエイジの一分野に位置付けることができるだろう。

明日はとにかく今日より良くなる。ニューエイジ文化の未来の約束は外れるものも多いがかつてはオルタナティブなニューエイジ文化に過ぎなかったものが今日ではむしろメジャー文化というものもあるわけで、次なる流行りネタを常に探している市場やSNSにとってニューエイジはネタの宝庫、ニューエイジ文化を抜いた先進国の姿など想像もできないのだから、その意味でニューエイジは確かに新たな時代をガンガン作っているのである。いつまで経っても現実にならない未来もニューエイジャーはまだ実現していない未来として、むしろ実現していない未来だからこそ信じるに足るってなもんで喜んで身を投じる。こうして見るとニューエイジャーというのは資本主義社会の構成員としてこの上なく体制に都合の良い人たちである。

で結局ニューエイジってなんなんですか?

上で挙げたニューエイジ要素を全てとは言わなくともほぼほぼ持ってる文化群。UFOとか瞑想とかチャネリングとか霊視とかタロットとか占星術とかディープ・エコロジーとか動物愛護とか…まぁ色々ありすぎるのでググって? って感じですけど、こういうのは古いニューエイジ文化っていうかクラシックなニューエイジ文化で、今も細々とオルタナティブな領域に存続しているものもあれば主流文化に格上げされたり吸収されたりしたものもある(タロットとかそんな感じでしょ)。

で、ニューエイジをやる人っていうのはとにかく個人主義が強いから好きなニューエイジ文化はあってもそれをやり続けなければならないニューエイジ文化っていうのは無くて、むしろ興味のあるものが出てきたらどんどんそっちに鞍替えする。だから本屋さんの精神世界コーナーとかはいつも真新しい本がたくさんある。なので、クラシカルなニューエイジ文化が備えていたニューエイジ要素を継承したそれとは別の新しいニューエイジ文化というのもあって、その連続性から今のオルタナティブな文化や運動を捉えることって必要なんじゃないのって俺は思ってて、これ悪意があるわけでも同一視するわけでもないんですけど、Qアノンとかワクチン陰謀論はニューエイジ文化に入れた方が理解がしやすいと思うし、現実の活動基盤を持たないか極めて薄弱なSNS上でのフェミニズムはニューエイジ・フェミニズムとして従来のフェミニズムとは別の流れに属するものとしても良いと思ってる(このへん先にも書きましたが)

ニューエイジっていう枠組みを使うことでバラバラに見える世の中の文化現象とか政治運動がある程度のまとまりをもった歴史的流れとして見えてくるんじゃないかなとかそういうのがあって、それで、元々ここでなにを書こうとしてたかって最近話題になったあんな映画こんな映画はニューエイジの映画なんですよというようなことを書こうとしたんですがそのためにニューエイジの定義付けをしていたところでほぼ一万字ということで紙幅の方はブログですから残念なことに書いても書いても尽きてはくれないのですが俺の気力は尽きました。

また日を改めてこれが現代ニューエイジ映画だ! のコーナーを書くような気がしないでもないのでとりあえず今日はもう寝ます。ニューエイジの本も睡眠は大切と書いてます。みなさんもよく寝て良き明日を迎えましょう。

ニューエイジ映画あれこれ

2022/5/15追記:
書こう書こうと思っているうちにそこそこ時間が経ってしまいこのままでは永遠に「これが現代ニューエイジ映画だ!」のコーナーが書けない(書かない)気がしたので、覚え書き程度になりますが俺が現代ニューエイジ映画と判断したものをいくつか列挙。何に使えるのかわかりませんが使いたい人はご活用ください。

最初に挙げておきたいのは上の方でも触れてますけどやっぱりマーベル映画。これは最初の方の作品はそういう感じでもなかったんですけど『アベンジャーズ』が始まったぐらいからニューエイジ的なテーマとか題材を扱い始めて現代ニューエイジ映画のメルクマールって言っていい(かもしれない)『エターナルズ』に結実する。『エターナルズ』がどうニューエイジかというと、見た目にわかりやすいところではエターナルズの一人が森の中に宗教共同体みたいの作ってるじゃないですか。あれがひとつだし、人種国籍バラバラの混成チームっていうのもニューエイジ的、それからニューエイジっていうと女性原理が重要な要素になってくるわけですけどエターナルズは主人公がまず女性だしマッチョ系の男たちの女性的な側面を次々見せていくような展開になるのでこれもニューエイジ的なところ。

それからこの映画って宇宙と人類の分かち難い結びつきが描かれるわけですけどこれもニューエイジ的なホーリズムですし、ある種の瞑想によって宇宙意志と交信するようなシーンも出てくるわけですが、インナースペースへの深い潜行によって宇宙全体に到達するっていう極小と極大の接続もやっぱりニューエイジ。主人公がアジア系っていう東洋趣味もニューエイジですし、この映画はとにかくめちゃくちゃニューエイジなので、興味ある人はニューエイジのガイドブック片手に読み解いてみると面白いと思います。あと『エターナルズ』には出てこないですけどMCUフェーズ2のキータームであるマルチバースっていうのもニューエイジ科学って感じです。

列挙といいつつ結構長くなってしまった。急ぎ足で先に進めよう。デヴィッド・リンチ。この人はストレートにニューエイジの映画監督でニューエイジ文化の代表格である超越瞑想(TM)の熱心な実践者であることを本人が打ち明けてます。打ち明けるっていうか超越瞑想のエッセイ『大きな魚をつかまえよう』を出版して超越瞑想のための団体を自ら設立してるぐらいなのでこれはニューエイジの布教というべき。リンチは創作にもニューエイジを活用していて超越瞑想で得たアイディアをシナリオに書いていくので、リンチの映画が難解だと感じる人はニューエイジの本を読めばたぶん結構腑に落ちる。

アレハンドロ・ホドロフスキー。この人はニューエイジのグルでニューエイジ・アイテムのタロットを使ったりもしているのですが、それよりも大きいのはサイコマジックっていう心理療法の術士なんですよね。これは患者の心に強く刻まれているなにかしらの印象を取り出してそれを状況として具現化、患者に映画のワンシーンみたいに体験してもらうことで心のつっかえを取ってもらうっていう療法らしいんですけど、まぁ何か学術的であったり精神医学的な裏付けのある療法っていうよりマジックというように呪術性を取り入れたニューエイジ心理学に基づく民間療法って感じで、ニューエイジ心理学(トランスパーソナル心理学)っていうのはケン・ウィルバーとかですけど心理学と宗教・オカルトの統合をはかる分野なので、ホドロフスキーはその素直なフォロワーって言えるわけです。ホドロフスキーの代表作といえば『エル・トポ』ですけどこれは禅を取り入れていて、禅っていうのもニューエイジャーのたしなみですし。

それから俺はこの人の作品をほとんど見てないので具体的にどこがどうとは言えないんですが、庵野秀明は『新世紀エヴァンゲリオン』でセフィロートの樹を引用したりセカイ系のはしりのようなことをやっているわけですからまぁニューエイジ映画監督って言っても異論はあんまり出てこないんじゃないでしょうか。宮崎駿も『風の谷のナウシカ』とか『もののけ姫』を見ればニューエイジ監督に分類するのが俺の感覚では妥当で、ちょっと面倒くさくなってきたのでキーワードだけ抽出しますけどエコロジー、ホーリズム、共生、人智を超えた動物、反核(※巨神兵)、終末論、破壊と再生、超能力(※自然との交信)…とかこのへんの要素はニューエイジ圏内のもので、宮崎駿はよく左翼監督って言われますけどそれ以上にニューエイジ的な色彩の方が監督作や漫画には強く出てると俺は思います。

その流れで押さえておきたいのは『AKIRA』で、こうやって並べてみるとわかると思うんですけど日本のアニメってニューエイジの影響がめちゃくちゃでかい。『機動戦士ガンダム』にはニュータイプって出てきますけどあの着想源はおそらく著名なニューエイジ・グルのティモシー・リアリーで、リアリーは人類は宇宙に進出すれば脳が進化して超能力使えるようになるだろみたいなことを言う。ただリアリーはそういうことを思考実験とか問題提起ないしはアメリカ社会に対する皮肉として言っているようなところがあるので、日本のアニメでよく描かれるそれとは文脈を異にすることには注意が必要。なんの注意だかわかりませんが。

気鋭の配給会社A24は全般的にニューエイジっぽい作品を手掛けてますけど中でも『ヘレディタリー』とかは直接的にウィッカ(魔女信仰)を扱ったもので、ネオペイガニズム(古教復興運動)を題材にした同監督の『ミッドサマー』ともどもニューエイジ映画。ただしそれを恐怖の対象として否定的に捉えているのがこの二作の特徴。A24映画でいえば『ウィッチ』とかは肯定的とまでは言わないまでもウィッカ的な題材をもう少しフラットに扱っているので、作品によってニューエイジを捉える角度は結構違う。

思ったより長くなっちゃったのでとりあえずそんな感じです。現代はニューエイジ映画の花盛りなので興味のある人はいろいろ探してみてください。『DUNE』も典型的な(というよりも代表的な)ニューエイジ映画ですし『スターウォーズ』もニューエイジ映画ですし誰もが知ってる有名作的なやつの中にもニューエイジたくさんあるので。ありすぎてもう特殊な領域って感じでもないですが

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