【そこそこ徹底ゲーム考察】『ペルソナ2 罪/罰』(その7)

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長かった。『罪罰』キーワード事典もこれで最後。最後は「モナドマンダラ」と「ラストバタリオン」です。あと小ネタ集。

モナドマンダラ

〈月に吼えるもの〉ニャルラトホテプがその最深部に待ち構える『罪罰』ラストダンジョンのモナドマンダラはライプニッツ哲学の中心概念「モナド」と密教の思想・世界観を表す「曼荼羅」を合わせた造語。シリーズでは西洋的な思考に対抗するものとして日本密教を大きく取り上げた『真Ⅰ』のタイトル画面に金剛界曼荼羅が引用されており、『女神』批判としての『罪罰』のラストに曼荼羅が登場することの意味はその点から了解されるように思うが、一方モナドの方はその含意を少し考えてみる必要がありそうである。

単子とも訳されるモナドは複合体を構成する部分のない(分割できない)実体とされる。素粒子のようだが物質的なものではない。表象(表出)と変化の欲求を持つ精神的実体、活動そのもの。モナドの総体が世界であり、同時に「一にして多」、各モナドにはあらかじめ世界のすべてが書き込まれている。また、モナドは変化をするのみで消滅することはない。生々流転をシステマティックに記述したものと言えるかもしれない。

モナドには世界のすべてが書き込まれているがそのすべてを一度に表象することはできない。各モナドは各々が異なる形で他のモナドを含めて世界を表象する。そのためモナドは「宇宙の生きた永続の鏡」と言われる。「モナドには窓がない」とも言われるようにモナドはそれ単体で完結していて、他のモナドとの間にものを出し入れするような回路はない。表象や変化はモナド自身の自由意志によってなされ、他のモナドによってもたらされることはないが、表象をすることでモナドは己の内にあり、同時に外部でもある他のモナドを知覚し、その影響を受ける。

常に一つの状態しか取ることはできないがそこに世界のすべてが書き込まれているモナドは他の選ばれなかったすべての状態の可能性を秘めている。モナドの総体としてのこの世界もまた無数の選ばれなかった「可能世界」を背後に持つ。ではなぜ無数の可能世界の中からこの世界が選ばれたのか。そこにはモナドを生み出した神の意志がある。神は無謬の存在だからその意志が求めたこの世界はあらゆる可能世界の中で最善のものであり、従ってすべてのモナドの表象や関係もまた都度最善のものだ。その中で各々のモナドは神の完全性を目指して変化していく。

世の中のどんなものにも意味がある。どれほど悲劇的で不条理に思える出来事も無意味ではない。ライプニッツのモナド論は世界を理性で覆い尽くし、個々の人間の可能性や自由意志を条件付きで残しつつも、そのすべてを神の名の下に肯定するきわめてポジティブな理論と言える。このへんで『罪罰』のクライマックスに(ライプニッツの)モナドが引用された理由は見えてくるんじゃないだろうか。

さて『真Ⅰ』のタイトル画面に登場する金剛界曼荼羅は九種類(九会)の曼荼羅のミニチュアを大日如来を中心として均等に配し一幅に収めたいわばサンプリング曼荼羅で、九会それぞれが上下左右のシンメトリー、上段三会を除く六会は諸仏諸尊が幾何学的に配置されたその顔ぶれだけが違う同一構成。それぞれ異なる構成の上段三会はそれぞれが他六会の一部分、または九会すべてと相似形を成しており、変則的なフラクタルとなっている。案外、発想としてはキュビスムと近いものがあると思うがどうでしょうか。

金剛界曼荼羅はふつう諸仏諸尊が放射状に配置された胎蔵界曼荼羅とセットと用いられ、このふたつを両界曼荼羅と呼ぶ。金剛界曼荼羅は大日如来の叡智を表すといい、胎蔵界曼荼羅はその慈悲を表すという。金剛界曼荼羅が理論編なら胎蔵界曼荼羅は実践編、とまで飛躍してしまうと仏教密教に詳しい人に怒られるでしょうが…ともかく、両方揃って初めて意義を持つというのが両界曼荼羅。これは独立していながらも(自己に存ずる)他のモナドの鏡として自己表現を行うモナドやユング心理学における統合のモデル、それぞれがそれぞれの可能世界として存在する『罪』と『罰』の世界のアナロジーだ。

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舞耶たち主人公パーティはモナドマンダラの各界に仕掛けられた試練を乗り越えて元凶ニャルラトホテプに辿り着くが、この図式は魔界の全体マップをセフィロートの木に見立て、その各ダンジョンをクリアしていくことで主人公が真実と唯一神に近づいていく『真Ⅱ』の、阪神淡路大震災やオウム事件後の語り直しと捉えることができる。

それは舞耶ほか主人公パーティが曼荼羅が示すような世界の秩序と因果を知るための道であり、ユングの心理療法のように内発性によって自己の完成・統合を目指す運動であり、ライプニッツのモナド論が語るが如くいま目の前に存在するこの世界があらゆる可能世界(それは当然『罪』の世界も含むわけである)の中で最善であることを確認するための時間である。ありえたかもしれない様々な可能世界の「噂」が現実を崩壊に追い込む『罪罰』のラストに置かれたモナドマンダラは、代替現実としての「噂」に否を突きつけナマの現実を肯定するためのダンジョンなのだ。

カトリックをモデルにしたメシア教に日本密教をモデルにしたガイア教を対置した『真Ⅰ』『真Ⅱ』が90年代前半の時代気分の中で可能世界と代替現実を追求するゲームであったとすれば、『罪罰』は明確なその否定である。『真Ⅰ』において即身成仏を是とする密教がモチーフに求められたのはその(自己)革命性ゆえであろうが、これを包含しつつ現実の肯定に置き換えるためのアイデアがモナドであり、そのためモナドと曼荼羅を接続した造語が必要とされたのだろう。

残る疑問はモナドにしても曼荼羅にしても神とか仏とか至上の存在を前提とするわけだから、鈴木一也の『女神』を乗り越えるためにモナドを持ち出したところで、結局は別の神に縋ってるだけなんじゃないかということだ。モナドを引き合いに出しつつも『罪罰』には従来のシリーズが依拠して(そして殺して)いたような唯一神の存在は見当たらない。『罪罰』の神はフィレモンでありニャルラトホテプであり、人間の無意識に棲むものである。

神なんかじゃなく人間の可能性を各々で信じろということだろうか。それはだいぶめちゃくちゃハードルが高いマッチョ思想な気がするが、自由意志を掲揚し神殺しを推奨してきた『女神』の行き着く場所としては順当なのかもしれない。

理性にも感性的で非合理なものが混入しており、「客観」なるものはかなりの割合で主観性に浸食されていると見なしたニーチェの行き着いた先は、固有なパースペクティヴの闘争し合う力への意志の世界観であったのだが、それは、個体の枠や延長を否定して活動性そのものを実体とするライプニッツのモナドロジーへと奇妙にも接近していく。
〔…〕
「事実の真理」がすべて神の視野に収められているせいで「思考の真理」にくるみ込まれている完全性と安定性は、力への意志の世界観には無い。神の目撃を失った人間は、散逸した「事実」を統一するために、神に代わって自身で己の全体を目撃せねばならなくなったが、この目撃は認識というよりは主観的で創造的な解釈となってゆく。
本郷朝香『ニーチェからみたライプニッツ 弁神論を欠いたモナドロジーの行く末』(『ライプニッツ読本』所収)

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ラストバタリオン

一九四五年の初め、連合国側が大攻勢をしかけていた頃、ヒットラーはたびたび彼の“ラスト・バタリオン”(最後の部隊)について語っている。
「この戦争には勝利者も敗北者もない。あるのはただ死者と生存者だけである。しかしながら、“ラスト・バタリオン”(最後の部隊)はドイツ人である」(一九四五年一月十日のラジオ演説)
またヒットラーはこうも語っている。
「まもなく東(ソ連)と西(アメリカ)がぶつかり合う日が必ずやってくる。その時、その結果を左右するような決定的な役割を演ずるのは我々ドイツ人の“ラスト・バタリオン”である」(一九四五年二月二十五日のラジオ演説)
落合信彦『20世紀最後の真実 いまも戦い続けるナチスの残党』P.79

『罰』で導入された言霊の概念は噂が現実化することの呪術的説明だが、どれほど非現実的なことであっても頑なに言い続けていれば少なくとも現実に何らかの影響を及ぼすのは間違いない、それを言霊と呼ぶなら言霊は確かに存在する。
上に引用した演説が実際にあったものかどうかは知らないし(理由は後述)、あったとしても取り立てて目を引くような内容ではないだろう。普通に考えて劣勢を覆い隠すためのヒトラーの虚勢である。

にも関わらずこの演説が一部オカルト界隈に浸透し、従来よりのヒトラー生存説と結びつく形で生命力を得たのは、ひとえに“ラスト・バタリオン”という言葉の持つ魔力のおかげである。これが単に“我々ドイツ人”とかであったら普通に考えて誰もそんなに興味を持たないだろう。さすがヒトラー。中身はないかもしれないがなんとなくカッコいい言葉を操る天才。しかしまさかこんな方向に自分の言葉が解釈されるとは本人も思ってなかっただろう。

終戦直前、極秘裏に南極に逃されたナチス・ドイツ最後の部隊にして第三帝国の亡霊、それがラスト・バタリオン(の噂)だ。ラスト・バタリオンは第三帝国の再興を目論んで虎視眈々と世界情勢を窺っており、世界が様々な理由で危機的状況に陥るや電撃的に襲来する。冷戦期には米ソの直接対決がそれに当たり、ポスト冷戦期にはノストラダムスの終末予言(と言われておりますが…)に記された1999年に起こるであろう何かしらの政治的地殻変動がラスト・バタリオン参上の契機となる、と川尻徹の『滅亡のシナリオ いまも着々と進む1999年への道』などは書く。

南極に引きこもってた軍人さんたちがウン十年後にヨボヨボの体で現われても…と思うが一応、ラスト・バタリオンは南米に逃れたナチスの残党(これは事実)と連絡を取りながら世界中にネットワークを形成している、という整合性(?)を付けるためのサイドストーリーが語られたりもする。またラスト・バタリオンはナチス・ドイツの高度なテクノロジーを持ち出しており、世界中で目撃されるUFOはラスト・バタリオンが南極の秘密基地で作った偵察機であるとか言われたりもする。

ラスト・バタリオンの武器はそれだけではない。日本UFO・UMA界の第一人者、並木伸一郎が訳出したハワード・A・ビュークナー&ヴィルヘルム・ベルンハルトの『ヒトラーとロンギヌスの槍』によれば、ヒトラーとは別ルートでナチ党内に結成された聖槍騎士団(ロンギヌス・サーティーン)なるオカルト結社があり、ラスト・バタリオンは彼らが指揮する部隊である。

敗戦間際、聖槍騎士団はヒトラーの所持していた聖槍を極秘裏に南極に運搬し洞窟に隠蔽した(連合国がその後入手した聖槍はレプリカであり、謎の日本人刀鍛冶が作ったとのことである…)。聖槍とは磔刑に処されたイエスの死を確認するためにその骸を突いたとされる聖遺物のひとつ。ではなぜ聖槍がわざわざ南極に運ばれたか。それは聖槍の力を理解しそれを持つ者が世界を支配する力を得るとされているためであり、若き日のヒトラーもウィーンのホーフブルク宮殿に展示されていた聖槍を見た際にこんな「声」を聴いたことで、総統の座を手に入れたのだという。

すべての望みを失ったら、私を思い出せ。いつの日か、おまえは私を手にし、世界を支配するだろう。私を忘れてはならない
『ヒトラーとロンギヌスの槍』P.56

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『罪』終盤のボス群、聖槍騎士団ロンギヌス・サーティーンの名称がここから借用されたものであることは明白だが、聖槍の声を聴いたヒトラー、というのも『罰』において澄丸清忠の即身仏の声に従って世直し計画を興した須藤竜蔵の元ネタだろう。『罪』のパラレルとしての『罰』で須藤竜蔵が『罪』におけるヒトラーの役割を演じるのは、このようなゲーム中では描かれない因果な裏設定があるのだ。

ところでラスト・バタリオン陰謀論を日本に広めたのは落合信彦の『20世紀最後の真実』だとされているが(要出典)、『20世紀最後の真実』はナチの残党狩りを追ったマイケル・バー=ゾウハーのノンフィクション『復讐者たち』とホロコースト否定論者の著述家・出版業者エルンスト・ツンデルが1974年に出版してアングラのベストセラーとなった『UFO’s:Nazi Secret Weapon?』を種本とした剽窃本であることが、落合信彦のファクトチェックを行った奥菜秀次の『落合信彦・最後の真実』により明らかになっている。

『UFO’s:Nazi Secret Weapon?』は矢追純一の手掛けたテレビ特番『ナチスがUFOを造っていた』(同名の新書もある)の元ネタでもあり、その内容はといえばUFOを中心にナチスの超科学秘密兵器の数々やラスト・バタリオンを紹介するもので、言うまでもなくこれはネオナチの与太話なのだが、今でもその縮小再生産版がコンビニ本として当たり前のように流通していたりするのだから言霊の力である(『ヒトラーとロンギヌスの槍』もその内容からすると、どこかでツンデルと接点を持つ『UFO’s:Nazi Secret Weapon?』のバリエーションだろうと思われる)

だがツンデルはUFO研究家ではない。本人がどこまでUFOナチス製造説を信じていたかは定かではないが、ツンデルが言霊を行使して現実化を目論んだ「噂」はUFO与太話ではない。『20世紀最後の真実』ではインタビューの形で、『20世紀最後の真実』を下敷きに『ノストラダムスの大予言』の人類滅亡説や(おそらく)ティモシー・リアリーが『神経政治学』で提唱した地球移住計画までもミックスして書かれた『罪罰』種本の怪著『滅亡のシナリオ』では妄想精神科医の妄言の形で取り上げられているホロコースト否定論こそ、ツンデルがUFO等々の奇抜なアイデアに乗せて拡散と現実化を狙った噂である。

『ノストラダムスの大予言』に端を発する日本でのトンデモ終末予言本(トンデモでない終末予言があるのかという話もあるが)ブームには右肩上がりの経済成長に裏打ちされた選民思想と、それと表裏一体の人種・民族差別がまとわりついている。
『ノストラダムスの大予言』には世界的な混血の進行が破滅の前触れであると書かれているし、『ノストラダムスの大予言Ⅱ 1999年の破局を不可避にする大十字(グランド・クロス)』ではイスラエルのシリア侵攻で第三次世界大戦が幕を開ける、との終末青写真が描かれる。

経済陰謀論者の宇野正美は1986年の『ユダヤが解ると世界が見えてくる―1990年「終年経済戦争」へのシナリオ』においてヒトラーのバイブル『シオン賢者の議定書』を参照しつつイスラエル建国によってヨハネの黙示録は開始されたと説き、これは黙示録を現今の世界情勢から読み解いて終末の接近を煽る『今は亡き大いなる地球』著したアメリカのテレビ伝道師ハル・リンゼイの狂説の受け売りだが、日本オカルト界の重鎮・武田崇元が有賀龍太名義で出版した『予言書 黙示録の大破局』もまたハル・リンゼイから多くを負っている。

そこでもイスラエル建国とその影で暗躍する国際ユダヤが黙示録の到来を告げるいわば最初のラッパとされているが、興味深いのはそうした世界の混乱を受けて恐慌を来した人々が、やがて巨大な「総統」の到来を待望し自ら破滅の道を歩む、というニヒリスティックなアイデアだろう。
そして『滅亡のシナリオ』ともなるとヒトラーはユダヤ人を虐殺するどころか優秀なユダヤ人を大量にラスト・バタリオンのメンバーとしてスカウトした、という超絶怪説にまで至る。

なぜ『罪』にはラスト・バタリオンが現われなければならなかったのか。おそらくそれはUFOや大予言、陰謀論といった70年代以降のオカルトジャンルが半ば無意識的に拡散してきた歴史修正主義的態度や願望の象徴なのだ。ヒトラーは生きていた、ガス室なんか存在しない、日本はずっと経済大国で、日本人は選ばれた民族である。だが実際はそうではなかった。歴史の敗者の鬱憤が生み出した無数の「たられば」を現実に変える福音として、1999年にラスト・バタリオンはニャルラトホテプが演じるヒトラーと共に現われる。『罪』で描かれたその顛末は、武田崇元が『予言書 黙示録の大破局』で書いた通りであった。

その他の小ネタ

ジョーカー
トランプとタロットがその成立過程でどのように関係するかはハッキリしていないらしいが、スートや人物札など共通する部分は多く、何らかの関係にあるであろうことは想像に難くない。
トランプのジョーカーはタロットのフールと照応するワイルドカード/番外札。そのフールの一般的な解釈は正位置で「冒険」「童心」「夢を追いかけるのみ」、逆位置で「傍観、抜け殻」であり、黒須淳と須藤竜也がそれぞれフールとしてジョーカーの仮面を被った理由だろうと思われる。

天誅殺
『罰』終盤の中ボス「御前」を一撃でぶっ殺すことのできる特殊合体魔法「天誅殺」は中国占星術における天が味方をしない時、「天中殺」をもじったものだと思われる。これは細木数子の六星占術でいうところの「大殺界」と基本的には同じ概念。
天中殺もまた『ノストラダムスの大予言』と同じように70年代のオカルトブームを彩った時代の徒華で、1979年に易学者の和泉宗章が天中殺で長嶋巨人軍のシーズン優勝不可を予言したことから天中殺関連の本が爆売れする事態となった。ノストラダムスとか天中殺とかこの時代ろくな本が売れてない。

【ママー!これ買ってー!】


ペルソナ2 罰 通常版

前作『罪』から一年しか間を空けてないのにシステム周りがかなり改良。マルチルートとエクストラダンジョンも付いて(ついでにオマケディスクに岡田・金子の怪しいインタビューまで付いて)見事な正統進化っぷりであるが、一年でこのレベルまで持ってけるんだったら『罪』の雑なゲーム性はなんだったんだとちょっと言いたくなる。

↓参考にしたもの
モナドロジー 他二篇 (岩波文庫)
ライプニッツ読本
20世紀最後の真実 いまも戦いつづけるナチスの残党 (集英社文庫)
ヒトラーとロンギヌスの槍 (ボーダーランド文庫)
落合信彦・最後の真実
UFOs: Nazi Secret Weapon?
ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日 (ノン・ブック)
ノストラダムスの大予言 2 (ノン・ブック 161)
今は亡き大いなる地球―核戦争を熱望する人々の聖典 (トクマブックス)
ユダヤが解ると世界が見えてくる―1990年「終年経済戦争」へのシナリオ (トクマブックス)
黙示録の大破局―予言書 (1980年) (ゴマブックス)
滅亡のシナリオ―いまも着々と進む1999年への道 (ノン・ブック)
天中殺入門―算命占星学2 (1979年) (プレイブックス)

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