みんなが楽しめる映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想文(注:内容についてはほぼ書いてません)

《推定睡眠時間:0分》

なんか色々書こうかなと何日か前までは思ってたんですけどツイッターとかblueskyとかでブツブツ独り言を垂れているうちに別にいいやそういうのって気分になってきちゃって、なんていうかですね、たとえばアンパンマンを観ていやその展開はおかしいでしょ負けそうになったら替えのパン頭が飛んできて逆転とか伏線もなにもないじゃんとか言っている大人がいたら、そりゃ理屈はわかるけれどもあんた大人げないと思わないんかって感じになるじゃないですか。そういうことだと思ったんですよ。

これ今回PG12指定で、それっていうのはたぶん残酷な殺され方をした死体とかが出てくるから(直接の殺し描写はない)なんですけど、PG12だから今度の鬼太郎映画は大人向けなんだとか、政治的だとか、鋭い批評性があるとか…なんかそんな感じでオタク中心にネットが盛り上がってるじゃないですか。じゃないですかと言われても知らない人もいるであろうが盛り上がってたんですよ。でも今の映倫のPG12っていうのはですね…これは何度も書いていることではありますが小学校低学年児童ぐらいを対象にした映画『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』が「児童による自動車の運転場面が出てくる」っていう理由でPG12なんですよ。

それぐらいな感じでカジュアルにPG付ける今の映倫って。これ別に年齢制限じゃないからで、できれば保護者のアドバイスなどがあった方が望ましいっていう、それがPG12だから、別に12歳以下の子供一人でも観られるんですよねR15とかと違って。まぁR15だって窓口で年齢確認なんかしないんだから観たいアンダー15歳はあくまでも独断で観に行きゃいいと思うんですけど。あくまでも独断でな。俺が観に行けとそそのかしたなんてお母さんお父さんには言うんじゃないぞ! 映画にわかは映倫の年齢制限を支持いたします!

ってわけでだからさ別に『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』って大人向けの映画じゃないんだよ。要するに正義の人がすごい悪い奴を倒すだけの話なんですよこれは。だってアニメ版の『ゲゲゲの鬼太郎』だもん、そりゃそうでしょ。因習に囚われた村が舞台で連続殺人ぽいものが出てくるから大人向けってそんなさぁ、そんなもん十津川警部とかああいうテレビの二時間サスペンスでいつもやってるじゃんねぇ? そら十津川警部を小学生が喜んで観るとは思いませんけれども…いや、それは十津川警部シリーズだからであって、ごめん変な喩え出して話が変な方向に行きかけましたが、連続殺人アリのミステリーなんて小学生ぐらいだったらもう普通に映画でもドラマでも観てるし小説でも漫画でも読んでるよな。

だから『鬼太郎誕生』べつに大人じゃないと面白さがわからないなんて映画じゃないし、むしろ逆で、次から次へと脈絡なくと言っていいほどに派手な事件や出来事が出てくる数珠つなぎのシナリオはわかりやすく子供向けだと思った。まぁ最近じゃ大人も幼稚化してるから怪しいもんだけどさ、大人向けコンテンツっていうのはある程度観客に忍耐を要したり、行間を読ませるところがあって、大人の観客はそれを受け入れることができますわね。

でも子供ってそういう「退屈」を我慢できない。大きな音が鳴ったり画面がピカピカしたりして常に賑やかでないと飽きちゃうじゃないですか。だからこれは子供向けの作劇なんですよ、次から次へと殺人が起きたり恐い妖怪が出てきたり急にバトルが始まったり…みたいのは。で、敵は同情の余地なしの絶対悪で、我らがヒーローは最初は負けそうになるが最後には気合いと正義のパワーでもってロジックなしに絶対悪を打ち破るっていう…色々書くつもりはないとか最初に書きましたがうん書いちゃってるね。しょうがないこれはね漏れ出してきたものです脳汁が指を伝って漏れ出してきてしまっているものなのでわたしにはどうにもできないんです。溶ける! 脳が溶けていく!

まぁでも今の日本のアニメ映画なんて片渕須直とか宮崎駿みたいなのを除けば知らんけど全部こんな感じでしょ。刺激刺激&刺激みたいな。色々趣向は凝らしてあるがそのゴテゴテした装飾を取り除けばやってることは全部同じで恐ろしげなワルモノをかっこいい正義のヒーローが倒して万々歳とこういう単純な勧善懲悪をやってるだけ。恐怖というのも刺激だし泣かせというのも刺激だし迫力あるアクションだってもちろん刺激で。

それは思考を麻痺させるもので、人間はそんなもので知性を働かせることはできないのですが、アニメに慣れた人というのはその刺激の持つメッセージ、「ここで泣け!」とか「ここで怖がれ!」とかそういう暗黙のメッセージを受信することが知性を働かせることだと思ってるので、なんにも内容がないような全身刺激物のB級アニメを観ても考えさせられました! みたいなことを真顔で言ってしまう。そういうアニメっていうのは本当はなにも考えてなくて他人の受け売りをボッコちゃんみたいに吐き出してるだけの人に自分は知的な人間なんだと錯覚させるっていうか、むしろそれ込みの娯楽っていうところがある。そういう怠惰な自己肯定を繰り返していると人間は成長できないのでこの錯覚を主要な売り物とさえするようになった最近のアニメというのはまったく罪深いシロモノだなぁとか思いますよ。マリファナなんかよりよっぽど日本アニメの方が人間の脳に悪影響があるんじゃないですかね。これは冗談ですが。

おい映画の感想が全然書いてないぞ。しかし、取り立てて書くこともないしなぁ。B級アニメだから二時間退屈しなかったとかそれぐらいしか言えることがない。水木しげるの世界観ではなかった、というのも一応言えるか。とはいえ他の長寿テレビアニメ同様に原作とはもはや別物の『ゲゲゲの鬼太郎』の映画版にそれを期待する人もおらんだろ。水木しげるの世界観といえば。考えてみればコンビニコミックとかで断片的に読んだりはしているものの水木しげる漫画をまとまった形で読んだことはないなと思って電書版の『河童の三平』を買って読んでみたら、いま全三巻の二巻を読み終えたところなんですが、『河童の三平』超おもしれぇ。超おもしれぇしあと読んでて泣きそうになった。

別に泣かせる展開があったとかじゃないよ。なんて豊かな世界なんだろうと思って。みんな違った風にのびのび生きててたまには衝突もするがたまにはお互いを気遣ったりもして生き物は呆気なく死んでいくが呆気なく生まれてもいく、明日は明日の風が吹く、旅は道連れ世は情け、生々流転のこの世の中はまったくいいかげんにできたもの。だからムズカシク考えてギクシャク生きてもしょうがないね。いくら元気な人でも明日落雷で死ぬかもしれない。いくら惨めな人でも明日9000億円道端で拾うかもしれない。朝起きたら何食わぬ顔でオバケや妖怪がご飯を食べているかもしれない。まぁ世の中そんなもんだろう、それでいいじゃないか…と、『河童の三平』にはそんな台詞は全然出てこないが、俺はこのふざけた漫画を読んでしみじみと感じたのだ。

『鬼太郎誕生』をB級アニメと書いたが『河童の三平』は貸本漫画なんだからこれにしたってB級には違いない。けれども…その二つのB級というのはやっぱり違う。悪いB級と良いB級などと言うつもりは毛頭ないが、あえて言うなら、それは観客が好むものだけを集めて洗練させた、面白いが人の心を外には開かないB級と、好きなものも嫌いなものもゴチャゴチャ混ざってプリミティブだが、人の心を外に開くB級なのではないかと思う。新型コロナが人間の孤立と分断を促し、すわ第三次世界大戦の大惨事か! というほどに世界が荒れているこんにち、水木しげるの精神で心を開いていくことが切に必要とされているんじゃなかろうかというわけで『河童の三平』、オススメです!

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