《推定睡眠時間:20分》
やれルッキズムだやれボディホラーだというやや抽象的な言葉がネットに飛び交うこの映画だが何についての映画かといえばハリウッドについての映画であることはウォーク・オブ・フェイムに始まりウォーク・オブ・フェイムに終わる構成から明白である。ウォーク・オブ・フェイムというのはハリウッドの通りにある星形の記念碑パネルの並んでいるところで、ハリウッドに貢献したまぁ知らんがたとえばトム・クルーズ? みたいなスタアの名前がそこに刻まれる。
デミ・ムーア演じる主人公はここに見事加わったスタアなのだがハリウッドの栄光はうたかたの夢、すぐに薄情な世間は新しいスタアに飛びついて、いつしか主人公の仕事は朝のエアロビ番組(なんだそれは!)のレギュラーのみとなってしまう。だがそれさえも危うし。こんな番組のプロデューサーは脳筋ボケカスに決まっているので「あんなババァで視聴率が取れるか! 若いチャンネーに交代させろ! チャンネーで大ヒットだぜガッハッハ!」と主人公の番組降板を画策していたのだ。
ハリウッドスタア時代に築いた巨万の富と豪邸があるんだしいつまでもこんな仕事にしがみついてないで後は悠々自適な余生を送ればいいんじゃないのとこちらとしては適当に思うが主人公はそうではなかった。たった1本のレギュラー。これを手放せば自分は世間から完全に忘れられてしまう。そんなわけにはいかない…! ということで『笑ゥせぇるすまん』すぎる怪しい男から主人公は奇蹟の細胞分裂促進薬を購入、それは今よりずっと若い自分をもう一体作り出す禁断のアイテムだったのだというわけだが、これはかねてより言われMeToo運動時に大々的に取り上げられたハリウッド若い女優ばかり求めすぎ問題の寓話である。
男優は歳を取っても役があるのに女優は歳を取るとお払い箱! 実際の統計などは知らないが、これは体感的にはとても頷ける話である。アメリカのホラー映画はとくに1980年代以降若いチャンネーばかりが殺人鬼とか悪魔とかにゾンビとかに襲撃される羽目になったが、イタリアやスペイン、フランスなどの同時代のユーロ・ホラーを観ていると女優陣がアメリカに比べてアダルトな感じである。
こうした伝統(?)は良くも悪くもダリオ・アルジェントの美少女ホラー『サスペリア』の大ヒットで少し変わったように感じられるが、それでもユーロ・ホラー全体としてはアメリカのホラーにあるような無垢で未成熟な少女といったキャラクターはかなり少なく、このへんの違いから、まぁ程度問題だとしても、ハリウッドは他国の映画産業に比べてなぜかロリコン気質ということがわかるのだ。
そんな異常ハリウッドにポイ捨てされた女優の悲劇を描く『サブスタンス』はテーマ的にはビリー・ワイルダーの傑作ノワール『サンセット大通り』やそれを元ネタとするデイヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』を彷彿とさせ、この監督のコラリー・ファルジャは作風からすればおそらく映画マニアなのでこのへんはほぼ間違いなく意識している。
が、しかし。しかしである。それよりも強く感じられたのは、たとえばこんなタイトルの映画たちの遺伝子であった。『死霊のしたたり』、『フロム・ビヨンド』、『ソサエティ』、『吐きだめの悪魔』、『悪魔の毒々モンスター』、『バスケット・ケース』、『リバイアサン』、『ブレインデッド』…! なんだこれは! カンヌ映画祭で脚本賞と冒頭に出ていたから真面目なアートっぽい感じなのかなと思ったら、トロマ、エンパイア、スチュアート・ゴードン、ブライアン・ユズナ、フランク・ヘネンロッター、スクリーミング・マッドジョージ、ロブ・ボッティン、スタン・ウィンストンなどなど錚々たる特殊映画人たちの名前が付随して浮かぶ「あの頃」な人間ぐちゃぐちゃB級ホラーじゃねぇか!
ハリウッド風刺というちゃんとしたっぽい感じのテーマの上に展開されるのはまるで1980年代のレンタルビデオ屋ホラーコーナー詰め合わせパック! 偶然似たのでなければラストシーンはまさかの『溶解人間』オマージュである! 『溶解人間』オマージュでカンヌ映画祭脚本賞! 泣いたといえばウソになるが心の中ではたしかに泣いた! この2025年未来社会において『溶解人間』オマージュ作が世界的な映画祭で批評家とかの人たちに立派な作品じゃわいと評価されるなんて! どうだ、このしてやったり感! 品性なんぞ知ったことか! 好きなものは好きなんだからしょうがねぇだろ! こっちは好きなもんを好きに取るんだよ! そんなろくでなし映画オタクの情熱と、それを商業ルートに乗せるための戦略が、こうも見事に噛み合った映画が昨今はたしてあっただろうか!? そう考えるとあくまでも心の中ではとても泣けてしまうのである…!
まぁ映画の内容についてはスチュアート・ゴードンだのスクリーミング・マッドジョージだのと書いたら映画オタクにはネタバレも同然なので細かく書きませんが(わからない人はよかったな! ネタバレにならなくて!!)人間がいろんなおもしろい形に変形して大惨事になるブラックユーモア調の風刺ホラーコメディですわね。この監督コラリー・ファルジャ、前作『REVENGE リベンジ』もフレンチ・スプラッターの最新型という感じでバイオレンス描写もスプラッター描写もすごく良かったんですが、そのパワフル演出が今回は更に磨きがかって、ただ殴っただけで頭が壁にめりこんだり蹴っただけで人が数メートル飛んだりするバトルシーンはまるで『ドラゴンボールZ』、血飛沫は市民プールが一個出来てしまうほど飛びまくり、ただコートを羽織るだけのシーンでもまるで『男たちの挽歌Ⅱ』みたいに劇的に撮ってしまう過剰なケレン味で、明らかにやりすぎで大笑い。
こうした過剰さによる笑いはハリウッド風刺というテーマからすれば意図的にやってることでしょうな。主人公が何かを見ると漫画の吹き出しみたいにもやもやもや~んとそこに回想映像が被さるZ級サメ映画みたいな安い合成なんか完全にギャグ。男どもは全員アホ面の歩くチンポみたいなもんでテレビ局のプロデューサーと出資者どもがケツ丸出しのダンサーを見て「ぴょんぴょ~ん!」とかなんとか言い始めるバカさ。そして少しでも美人に見られようと何度も何度も化粧直しをしてしまう主人公の哀れさもまたあるある的なホロ苦ギャグなのです。
見た目なんてどうだっていいんだよ、とまで言えばウソになるかもしれませんが、見た目の若さとか傷のなさに固執するのなんてハリウッドとかアジアのアイドル産業ぐらいで、それはハリウッドとかアイドル産業が異常というだけの話なのだから、そんな異常さに付き合うなんてアホらしい。人々から愛されたかっただけの主人公が『キャッスル・フリーク』と化し『フランケンシュタイン』のように追い立てられ『溶解人間』に至るラストは滑稽でありつつ残酷なものだけれども、その裏にはさぁ異常ハリウッドなんてさっさと見限ってルッキズムの呪縛から解放されちゃいなよ、他人が押しつける「らしさ」なんて気にしないで好きにやって、そして他者の承認を求めるのではなくまずは自分で自分を好きになりなさい、という優しさがあるのです。案外トロマ映画とかエンパイア映画とかってそういう教訓性とか優しさがあるから好きなのかもしれないな。コラリー・ファルジャもまたそれを感じ取ったのだろうか。
まともかく、うげ~ってなって大笑いしてパワフル演出に圧倒されて、スカッとした後はタメになる教訓まで得られるのですから、これはとてもよい映画。デミ・ムーアの悲哀と滑稽の入り混じる存在感も、その分身を演じたマーガレット・クアリーの一点の曇りも無い殺意&暴力も見事でございます。コラリー・ファルジャさん! 次回作はぜひともデミ・ムーア主演で漫☆画太郎の『地獄甲子園』を映画化してください!!!
A24の『顔を捨てた男』と題材がダブってるので、比較されそうですね。(顔が奇形の男で虐められたために性格が歪んだ男が整形するも、後で現れた『顔が奇形だけどポジティブな後輩』が町の人気者になったため嫉妬に狂う話。)
あ、その映画そういう話だったんですか。なんかポスターに二人の男が鏡写しで写ってたので分身ものか二重人格ものとかかなと思ってました。皮肉な展開で面白そうですねぇ