良い映画だが修道院がバイオハザード映画『決断するとき』感想文

《推定睡眠時間:5分》

時代はいつかな、1980年代末ぐらいかなぁと思うのですが、その頃のアイルランドの田舎町が舞台なので主人公は石炭売りという泥臭い商売をしており、一日働いて家に帰って来る頃には手がもうまっくろくろすけ、それでそのままご飯を食べるわけにはいかないので洗面所で念入りに手を洗うという描写が何度も出てくる。こういう描写がしっかりある映画を俺は信用してる。だって労働者の手は汚れるからな。汚れた手は洗おうという気になる。

どうでもいいような話かもしれないがそのディテールがあるかないかで人物や物語の深みというのは変わってくるし、作り手が肉体労働をどれだけ理解しているか、もしくは理解しようとしているかもそこでわかる。2年ぐらい前にメーサーロシュ・マールタというハンガリーの監督の特集上映でなんかを観た時にこの監督は信用できると感じたのは紡績工場かどこかで働く労働者の手をカメラで撮っていたからだった。別に肉体労働者に対する理解などなくてもよいといえばそうなのだがー、いやでもほら主人公を肉体労働者に設定してその貧乏な暮らしがどうのとやるならそこを疎かにしたらダメじゃないですか。ダメじゃないですか? まぁそれは個人の好み!

ともかくこの映画は手を洗う描写を筆頭に労働は大変だということを短い中で丁寧に伝えていて好感触、主演キリアン・マーフィの武骨な風体も上手くハマって労働大変な貧乏暮らしでも家に帰ればささやかな幸せがというあたり昭和テイストでグッと来るのだが、映画の主題はそこではなく、この勤労主人公の石炭納入先の一つが慈善事業に熱心な修道院、ところがある日その修道院で請求書を渡す人を探していたらいきなり「助けて!」と尋常ではない様子で一人の少女が駆け寄ってきたではないか。

そういえば前に石炭を納品する時にもチラリと見かけたこの少女、素行が不良なのかそれとも家が貧乏ゆえの疑似口減らしなのかはわからないが、どうやら母親によって無理矢理この修道院に入れられた人らしい。まぁ修道院だから大丈夫だろこの修道院まわりの評判も良いしとは思いつつやはり尋常じゃない「助けて!」であったので気もそぞろ、いったい少女に何があったのだろうか……とりあえず仕事の途中だったし「助けて!」をまぁまぁとスルーして家に帰ってきてしまったが、やはりあの少女にどんな問題が起こっているのかをせめて修道院の人に聞いてみて必要とあらば手助けをしてやるのが人として正しい道ではないのか……? と、そんなわけで、主人公にやがて「決断のとき」がやってくるのであった。

お国はアイルランドだが閉塞感の強い冬の田舎町が舞台なので空気感は『偽りなき者』とか『湿地』みたいな北欧ミステリーに近い感じ。これがアメリカ映画なら適当なマッチョがパワーと映画補正で勧善懲悪するところだが、この映画の主人公は苦労の末に慎ましくも幸せな生活を手に入れたちっぽけな存在であり、大口の取引先であり地元の有力者でもある修道院になにかしらの問題があるとしても、それに深入りすれば自分だけでなく家族の幸せも崩れてしまうかもしれないと考えてしまいなかなか行動に出ることができない。

困っているような人がいる気配なのに自分たちの生活に支障が出ることを恐れて手助けをしないのは良いことではないかもしれないとはいえ、毎日が精一杯の貧乏労働者にとって他人の手助けは簡単なことではない。そういう綺麗事ではない現実を憶さず提示しつつ、いやでもやっぱり人としてそれはどうなんですかという葛藤を地に足の付いた筆致で描いて良い映画なのだが、ただひじょうに申し訳ないんですけれどもこの映画に出てくる修道院、不気味な場所としてサスペンスフルに描写されるものだからなんかだんだんゲームの『バイオハザード』シリーズに出てくる場所に見えてきてしまい、この修道院は実はアンブレラの地下研究所を偽装するための施設なんじゃないかとか、ヒューズを入れるとエレベーターが動いて地下研究所に行けるんじゃないかとか、修道女がゾンビになって襲ってくるんじゃないかとか、主人公が修道院長と話す場面では修道院長が開けた机の引き出しにハンドガンかハンドガンの弾があるんじゃないかとか、鍵のかかった引き出しはキーピックで開けるとうんたらかんたら、すいませんそんなことばかりずっと考えてました。

それは俺が最近『バイオハザード レクイエム』ばかりやっているせいなのでみなさんにはあははどうかしているんだねと穏やかな笑顔でスルーしていただくとして、やや形式的なところはあるし修道院の悪いぞ演出にあざとさも感じるとはいえ、良い映画だったとおもいます。

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