あんまり納得いってない映画『ドリーム』の感想(仮)

《推定睡眠時間:15分》

あぁ難しい映画、また難しい映画。こないだ見た『プラネタリウム』というハイセンスな映画も難しかったのですがそれとはタイプを異にする難しさ。これは政治だから難しいしでも政治じゃなかったりもするので難しい。『プラネタリウム』はとりあえず隠された意味とか作者の意図とか好き勝手に考えておけばよかったのだしそれがたとえ間違っていようと勝手な解釈も無責任な講釈も誰を傷つけたりすることもないのだから内容の難しい映画の難しさなんてその程度のもの。デヴィッド・リンチとか。
『ドリーム』はもっともっと遥かに難しいのだ。こんなにシンプルな映画なのに『インランド・エンパイア』凌駕の超難解っぷりだった…。

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難しいので感想も難渋するがまずあれだよなこれはさこれは日本的な文脈でいったら邦題問題ありますよね。『ドリーム 私たちのアポロ計画』っていう仮邦題がこれアポロ計画じゃねぇじゃんマーキュリー計画の映画じゃんつって炎上して『ドリーム』っていう、それはそれで臭い物に蓋しただけじゃんみたいなどうなの邦題になった経緯あるじゃん。
これが既に難しいよね。なにが正解だったんだろうね。『ドリーム 私たちのアポロ計画』っていうのは『ドリーム 私たち(にとって)のアポロ計画』っていう意味でしょ。意味としてはまぁ通る。でもミスリードと言われたらそうだし、マーキュリー計画も知らない(※ぼくは知りませんでした…)と思って観客バカにしてんのかっていう私憤もマーキュリー計画に尽力したのに表には出てこなかったこの計算手の人たちを蔑ろにしてるじゃねぇかって義憤もまぁそれはそれでわかる。
訴求ポイントわかりにくかったら宣伝としてダメじゃんていうのもわかるし、バカにアピールするためにわかりやすく内容を歪めていいのかっていうのもわかるし…まぁ、それはいいか! ある意味それが難しさの核心だったけどな…。

『ドリーム』。内容。まだまだ人種差別が継続中の60年代はじめ。NASAではたらく計算手の黒人の女のひとたちが頑張る。待遇悪いしまわりの白人の差別丸出しだったがそれでも頑張る。不合理にも黒人の人は白人の人のトイレを使うことが許されていなかったため催したら片道1キロ弱もの距離がある黒人トイレまで走ったりしながら頑張る。頑張ったおかげでマーキュリー計画は成功したし女性や黒人の人の地位の向上にもつながったしアポロ計画にもつながったのだった。

作りとしてはオーソドックスでとくに面白い画作りとかしてるわけじゃなかったな。なにかしら作り手の拘りとか、体温とか、そういうのは感じないウェルメイドな映画。ストーリーを伝えることに重きを置いた結果だろうな。テンポはいいのでサクサク見れる。個性はないが音楽はノリノリ。アガる。
出てくる三人の黒人計算手の女の人がみんな魅力的なのはよかった。オクタヴィア・スペンサーのドロシー・ヴォーンとかかっこよかったですよ。毅然としててね。タラジ・P・ヘンソン演じるキャサリン・ゴーブル・ジョンソンは柴田理恵に似ているし。なんか親しみ持てる感じだ。
当時のニュースフィルムなんかも交えてお勉強にもぴったり。60年代はじめの黒人差別状況とかマーキュリー計画がどういう計画かとか知らない俺でも見ている間はなんとなくわかったから(見ている間は)ストーリーを伝えるっていう目的は完璧に果たしてるだろ、たぶん。

アメリカでは子供連れの観客が多かったと町山智浩さんが報告していた。さもありなんで、最初、主人公の計算手3人組がラングレー研究所に出勤する場面で建物の実景がCGのロケット発射に遷移するっていう場面転換処理がなされたりする。どんなバカなこどもでもそれ見れば何についての映画か一発でわかるつーわけである。

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ていうわけでそのわかりやすさとか娯楽性の高さがたいへん難しいという話。
つまりこれは原作ものの映画で原作はノンフィクションだけれども、映画はどうもわかりやすくするためにかなり脚色が入っていて、でも主人公3人は実名でやってるし実話の映画化みたいな扱いになってるわけじゃん。原作と違うなって言ってる感想もあるし信用できないウィキとかに変更点が一応列挙されているし、それだけ見れば俺の感覚では実話の映画化を謳って宣伝していい範囲の脚色を超えてんじゃねぇのってなる。

伝聞に基づいてなにかを批判してはいけないというのはわかっている常識人なので早速本屋で原作本『ドリーム NASAを支えた名も無き計算手たち』を買って読んでいるが、一番それは変えちゃダメだろと思ったポイントだけとりあえず確認すると例のトイレ問題は主人公の天才計算手キャサリン・ゴーブル・ジョンソンのエピソードではなく風洞実験に携わったサブ主人公メアリー・ジャクソンのエピソードで、時期的にはメアリーが(黒人女性計算手たちが隔離され押し込まれていた)ウエスト・コンピューティングに加入して2年後と書いてあるから1953年ごろの出来事だと思われるし、異動になって白人女性計算手と働き始めたメアリーが同僚にトイレの場所を尋ねると忍び笑いが返ってきたのですげぇムカついた、という話でありちょっと待てそれ映画と全然違うじゃねぇかおい。

そもそもこの原作本の記述の信ぴょう性がどの程度かというのもわからないのでどっちが正しいとかそういう話じゃないが、実名でやってんのに別人のエピソード移植するとかダメだって。存命人物の話なのに個人史に無頓着すぎるって。そういうのやるなら実在の人物をモデルにした架空の人物にすればいいじゃねぇの。それで人種差別の酷さとかっていうのが描写の面で揺らぐわけでもないのだし。
そらまぁ映画になってるぐらいだから本人OK出てるのかもしれないけどさぁ、だいたいこれ歴史に埋もれた人たちに光当てるってコンセプトの映画でしょ。光を当てるために事実の方を変えちゃったら本末転倒じゃん…と思ったがでも信用できないネットの情報を頼りに記述を探しただけだから全部読めばキャサリンの方にも似たようなトイレエピソードがまた別にあるのかもしれないな。そのへんちゃんと全部読んだら追記しよう…。
(読んだ→『ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち』読んだので映画と比較する感想(ネタバレ爆発)

ところでわかる範囲の原作との相違点で気になったのは映画は1961年から始まるが原作は1943年のウエスト・コンピューティング創設の経緯から話が始まっていて、どうして人種差別の酷い時代に黒人女性計算手が生まれたかっていう背景事情から入るが早い話戦争で人手足りなかったんである。
その中でキング牧師以前に公民権運動を引っ張っていたA・フィリップ・ランドルフという人の活躍にも触れられたりしていてたいへん勉強になるがー、それはともかくこの導入部を映画はバッサリ切ってしまった。切ったっていうか戦争の具体的な状況をロケットのイメージに置き換えて抽象化しようとしてるんじゃないすかね。
黒人女性計算手の人が悲惨な境遇に置かれていて、でもその中で頑張ってるってだけの話にして頑張る人応援ムービーにしちゃえよみたいな。それまでの経緯とか戦争の影とか生々しかったり綺麗に割り切れないリアルなものはできるだけ見えないようにして、問題とか状況の固有性を感じさせないような普遍的な物語にして。

アメリカ映画っぽいな。なんか知らんがアメリカ映画っぽいよ。イメージとリアルのどっちを優先するかっていったらイメージの方を優先するアメリカ映画っぽい。イメージのためにリアルの方を作り替えるっていうアメリカ的な改良主義さすがだよ。
合理的という言葉がよく出てきた気がする映画だったけれどもこの場合の合理というのはイメージのための合理であってリアルのための合理じゃないんだよな。イメージのための合理性を徹底した映画でなにからなにまでロケット発射のイメージ中心に回っていて、ロケット発射のイメージの中でストーリーもテーマもメッセージもリアルもフィクションも演技も演出も政治も科学も歴史も理念も人種も性別も差別も融和もその他もろもろの映画の構成要素が調和的に結びついてしまうから、取りつく島がない。
どこか一部分でも否定しようとすると全体を否定する感じになっちゃうからこれはもう批判派の人はアンタッチャブルですよ。ディズニーランドは全体でひとつのイメージなんであって、どこか一部分でも崩れると夢の国が成立しないっていうのと一緒。

『ドリーム』っていう空疎な邦題は実はぴったりだったんじゃないのか。こういう映画もこういう映画を作れるアメリカも素直にすげぇと思うが、そのすげぇはレニ・リーフェンシュタールの記録映画風フィクション映画を見るときのすげぇなので、すげぇけどやべぇとかこえぇも混ざってる。難しい。

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ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち (ハーパーBOOKS)

計算手の職を得る以前にドロシー・ヴォーンは数学教師の傍ら軍のクリーニング工場で期間女工をやってたと書いてある。大卒の教師なのに黒人というだけで給与が白人の半分程度で生活が苦しかったっつー事情からだそうですがそのエピソード差別と戦争の交差するすごい重要な布石だと思うし絵的にもたいへん映えるとおもうので映画のアヴァンタイトルにでも入れてほしかったよなぁ。

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