《推定睡眠時間:8分》
普段ここにリンクを貼る予告編は作品の権利元名義でアップされるものにしていて、それなんでかって外国映画なんかの場合は日本国内の配給が作った日本版予告のリンクを貼ると国内配給の上映権が切れた後に予告編が削除されてしまうことがあるためなんですが、今回はご覧の通り例外的に日本版のティーザー予告編。これである。これを映画館で観てナニコレなんだかわからんがなんか…コワいぞ! とテンションが上がってしまったので、たまたまこのブログに辿り着いた人にもテンションが上がってもらいたくて動画リンクを貼った次第。こんなものを見せられたらそりゃ観たくなるのでアイデア賞のティーザー予告編である。
なまじこのティーザーが良く出来てしまっているために俺と同じように「なんだかわからんがなんか…コワいぞ!」のノリで映画館に入った人の中には実際の映画の内容にちょっと失望した人もいるかもしれない。ティーザーだとなんだかよくわからんがとにかく不気味だからホラーだろうと思わせておいて実はこの映画ドキュメンタリー、1980年代のアメリカに吹き荒れた「サタニック・パニック」がどのようなものだったか検証した作品であった。
サタニック・パニックとはなんじゃろな。それを知りたければ映画観りゃいいじゃんなのだが、なんか集団ヒステリーというか、悪魔崇拝の組織や個人などが子どもを悪魔の儀式に使って残虐なことをしているという噂が全米に広がっちゃって、実際にそれで訴えられた人とかも出てきたんですけど、噂は噂だから悪魔の儀式の証拠とかは出てこなくて、訴えられた人も何年か収監された後に無罪になった…とかまぁそういうことが1980年代のアメリカで起こったらしく、これが後からサタニック・パニックと呼ばれるようになったのだとか。同名のホラー映画もおそらくこれを下敷きにしているものの、内容的にはアレハンドロ・アメナーバルの『リグレッション』という映画が事実に近い(これは良く出来ているのでオススメ)
でこの『サタンがおまえを待っている』はそんな騒動の発端となった1980年に出版された本にスポットライトを当てる。これは悪魔崇拝の闇組織に誘拐されて何ヶ月か監禁されながら強姦だの動物殺しだの赤子殺害の見せつけだのという虐待を悪魔の儀式の中で受けたと主張する人の回想録で、この記憶は当初トラウマとなって失われていたのだが、本の共著者となった精神科医の退行催眠的なセッションを受けてたら蘇ったのだという。そんな戯言を誰が信じるんじゃいと思ってしまうがアメリカはキリスト教を国教とするプロテスタントの国、大統領宣誓でも「神に誓って」の儀式をやる。加えて1968年の『ローズマリーの赤ちゃん』を嚆矢として1970年代のアメリカは悪魔ブームであった。そうした背景が重なり、また現役の精神科医が共著者としてお墨付きを与えたことで、こんな戯言が市民権を得たのであった。
野蛮な時代もあったものだなぁと言いたくなるが映画の最後で言及されるのはサタニック・パニックで広がった「悪魔的な人々がいたいけな子どもをこっそりスーパー虐待している(ので許せない)」というモチーフが昨今のQアノン系陰謀論、中でもピザゲートのようなものにも見られるということである。つまりこれは過去の現象ではなくアメリカとかいう野蛮国では現役の現象なのだ。虚偽の実話本という点でいえば映画化もされた『サラ、いつわりの祈り』というHIV患者でトランスジェンダーで男娼で性的虐待を受けて育ったJ・T・リロイさんが書いた自伝小説が2000年頃に流行ったが、これも後に自伝というのはウソでそもそもJ・T・リロイは架空の人物だったことが暴露されている(参考→ JT LeRoy: The US’s greatest literary scam -BBC)。なんか他にもアメリカの流行ったノンフィクション本で捏造がバレたやつが2010年ぐらいになかっただろうか。
悪魔虐待の記憶は精神科医のセッションの中で回復というか創造されていったが、そんなふうに人間の記憶というのはまるでアテにならないもので、たとえ本人はウソをついている認識がなくても、後から見聞きしたいろんな出来事の記憶が混ざったり、無意識的に聞いてる人を喜ばせようとしたり、質問者の質問に誘導されてしまったり、忘れた記憶を補完しようとして新しく記憶を作ってしまったりと、事実を証明するものとしてはかなり使い物にならない。しかしひとたびツイッターなどのSNSに目を向けるや「この人がこういうことをされたと言っているのだからそれは事実に違いない」と客観的な証拠もなく断定してしまう人は今でもぜんぜん後を絶たないわけで、もともとはQのハンドルネームを名乗る投稿者の語るネット掲示板の戯言から始まったQアノンもそんな主観重視・客観軽視の姿勢の表れといえる(そうした人々が右派も左派も問わず「自分たちは被害者の側に立っている」とアピールしがちなのは興味深いところである。人間は誰しも正義の味方として尊敬されたいものだ)
自分はこんな体験をしたと言えばたとえそれが虚偽でも事実になってしまう。主観的な空想がすべて現実になるのだから、それが許される空間の気持ちよさったらないわけで、今も昔もその気持ちよさを客観とか科学とか事実とかよりも優先してしまうのがアメリカである。そしてそれはどうもツイッター等のSNSを通じて二本を含む諸外国にも輸入されているようであるというのは俺の主観だが、そうだとすればサタニック・パニックは絶賛継続中ということになる。魔女狩りとの共通点も指摘される1980年代のサタニック・パニックを今改めて振り返ることは、結局のところどこだって客観よりも主観の方が圧倒的にユーザーに強い影響を与えるSNSの毒性から身を守ることになるだろう。その意味で今観ることにとても意義のある映画がこの『サタンがおまえを待っている』じゃないだろうか。
悪魔の儀式の虚偽記憶は患者が自ら作り出してしまったものであった。サタンは万人の心の中に潜んで、人々の主観によって発見されるのを、いつも待ち望んでいるんである。