《推定睡眠時間:0分》
ウクライナからやってきたモデルさんみたいなスタイルの経歴不詳最強女ウォーリアーが麻薬カルテルと手を組んで人殺しに勤しむ拷問虐殺ポリスその数推定100人以上を皆殺しにする! ほんじつ2025年11月24日は勤労感謝の日の振替休日だったわけだが、これほどまでに勤労感謝の日にふさわしい新作映画が果たして今年あっただろうかいやない。良いやつが死ぬのは可哀相だが悪いやつが死ぬのは最高の娯楽ではないか。その最高の娯楽を100人分ぐらい見せてくれてしかも殺すのは強くてカッコイイ女の人なのだから超スカッとする映画だ。死刑反対派を標榜する人間とは思えない発言だがいやこれはあくまでも映画の中の話ですからね現実世界での殺人反対!
こういう労働者のための映画を俺は新橋系とあくまでも俺一人でむなしく呼んでいるわけだが新橋系の最新作たるこの映画、まーとにかく下等労働者の俺からすると映画で観たいものの9割がありましたね。繰り返しになってしまうがまず100人ぐらい悪いやつが死ぬ、そして主人公はモデルさんみたいな美女の上にめっちゃ強くてカッコイイ、これで既に娯楽映画で観たいものの8割を超えているわけだが、加えて警察殺人部隊とのメインバトル会場はコロンビアの民家である。民家と聞けばいやショボとか思われるかもしれないが100人の警察殺人部隊を殺すにアウェーでは都合が悪いってんで民家を即席要塞に改造してこの主人公といろいろあってこの人が守ることになった健気な一家は文字通りホームで100人の警察殺人部隊を迎え撃つ、ということでカーペンターの『要塞警察』およびそれを下敷きにしたフランス映画『スズメバチ』を思わせる展開になってくれるのである。そんなものは面白いに決まっているだろうが!
この家族のキャラもいい。主人公は内面や弱さを他人に晒さないハードボイルドにんげんだが、彼女が出会った健気なコロンビア一家は感情丸出し、家の中は常時誰かしらが怒鳴るか叫ぶか怒鳴っているかもしくはジジィが下ネタを言っているのだ。最悪じゃねぇかと人によっては思われるかもしれないし俺もこの家族と何日か過ごすことになったら置き手紙を残して影のように去って行く予感がしているが、しかしまぁこれはあくまでも映画である。映画の中ならこんなやかましファミリーもたのしいものだし、単なるそこらへんの民間人でしかないこのファミリーが総力を結集してハードボイルド主人公の武装警官100人殺しに協力する姿には胸がアツくなる。人間、殺そうと思えばたとえなんの訓練も受けていない一般の子どもであっても武装警官を殺せるのであるから、なんとも勇気づけられる話だ。再び書いておくがこれはあくまでも映画の中の話ですからね現実世界での殺人反対!
ところで、一家で協力して武装警官100人殺しという字面からはなんていうかファミリー映画っぽいほんわか感を思い浮かべる人もいるかもしれないし、実際途中までは家族の一人が殺人警察によって拷問と殺害と生首晒しの被害に遭う点を除けばわりとほんわか感もあるのだが、物語が佳境に入るとそうしたほんわか感は姿を消して、非情にして無情な世界をそれでも一人でサバイバルしなければならないハードボイルド主人公の悲哀が前面に浮上することで、石井隆の『黒の天使 vol.2』などを思わせるノワールの空気が濃厚になってくる。そういえば主人公が武装警官を100人殺してるときに急に通り雨が降ってきたりもしてたのでそれもまた石井隆的かもしれない。こういうのは今の世にはあまりウケないかもしれないな。でも俺は大好きである。
この暗さ、この切なさ、この厭世観。考えてみれば主人公は誘拐と拷問と殺人を繰り返している極悪ポリスとはいえ100人ぐらいの人間をぶっ殺しているわけで、そうせざるを得ない事情はわかるが、100人ぐらいぶっ殺しといて(ハリウッド映画に超ありがちなように)ハッピーエンドになってしまう映画は倫理的に問題があるだろう。ひとたび冥府魔道に足を踏み入れた人間はもうそこから抜け出ることができないというこの厳しい世界観は、厳しいがゆえに、取って付けたようなハッピーエンドなんかよりもよほど俺にとっては安心感を与えてくれるもののように感じられるんである。
ここからがクライマックスみたいなところで唐突に終わってしまうラストとか続編に繋げる気満々で説明されない思わせぶりな描写とかそれはどうなんだと思うところも結構あるが、まぁでも武装警官100人殺して主人公がカッコよくてカーペンターみたいで石井隆みたいでとそんなにたくさんのみんなが娯楽映画で観たい要素(※この場合のみんなは私の脳内に生息する人々のことです)を盛っているのだから新橋系映画としては充分すぎるだろう。ちなみにこのタンクトップと丸サングラスが似合いすぎるやたらとハードボイルドな主人公を演じたオクサナ・オルランと言う人は主演のみならず製作と共同脚本も兼任、なるほどそれで相手のタバコをいちいち奪って吸うとか味覚が麻痺してるから食べ物にタバスコを掛けまくるとか主人公の仕草ひとつひとつがカッコイイわけだと腑に落ちるが、こうしたセルフプロデュース・アクションではナタリー・バーンの『アクセレーション』なんてのも数年前に公開されており、これも面白かったのだが、今はアクション女優をやりたい若手の人は誰かから声がかかるのを受け身で待つのではなく自分で自分主演のアクション映画を作ってしまったりするらしい。最近の若手アクション女優さんはたのもしくて良いなと思う。