悪魔の毒々歌舞伎町映画『バッド・ルーテナント:トウキョウ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

主人公の落ちぶれ刑事・小栗旬はやたらホモホモと言うのでそれは立派、だって主人公は覚醒剤も常用してる落ちぶれ刑事なのだ。この人もともとはヤクザと繋がって事件に関する情報を得たりその見返りに便宜を与えたりと警察内のヨゴレ仕事を担っていたが、暴対法改正によってヤクザの締め付けが厳しくなると、それに併せて警察内に居場所がなくなってしまったという時代に捨てられた人である。そんな人がモラルだけ現代にアップデートされてホモをゲイと言い換えたらそれはおかしいだろう。

同性愛者に対する蔑視を込めてホモと言うのはこの人がそういう人だからだし、そういう人だと観客にわからせるために脚本はホモと台詞に書くのである。こいつはダメ人間だ、こんなヤツにはなるんじゃないよ、というわけで、ホモと言うのは主人公だけではなく川瀬陽太演じる同僚のバンカラ風刑事もなのだが、小栗旬と米国FBIから派遣された一匹狼捜査官リリー・ジェームズがタバコを吸いながら話しているところを他の刑事たちがニヤニヤといじめっ子のような嘲笑を浮かべているショットからすれば、その台詞は警察組織の閉鎖性を印象付けるものでもあるだろう。つまりこれはそういうディテールをおろそかにしていないし、波風立たないように表面だけ今風にしてリアリティを犠牲にするような映画ではないということだ。覚醒剤摂取描写も詳しくてえらい。

とそれはいいのだがアメリカ資本が入っていることもあっての反倫理的な描写や表現なんかはしっかり力が入っているのに(一番怖いのは猟奇殺人とかではなく舘ひろし演じるドラッグ製造屋がおばあちゃんちみたいな庶民の民家であまりにも自然におくすりを作っている生々しい場面であった)ストーリーの方は妙に弱い。ヤクザの顔面がグチャドロに破壊し尽くされる猟奇殺人事件が歌舞伎町で発生、その血も乾かぬ内に出所したヤクザが関係者を殺害・解体し文字通り肉団子にしてカラスに食わせる猟奇殺人事件までも発生してしまい、そんなおそろしい事件はさっさと警察さんに解決してもらいたいものだが捜査に当たる落ちぶれ刑事・小栗旬は借金とドラッグでそれどころでなく全然捜査に身が入らない。そんなところで出会ったFBI捜査官リリー・ジェームズは有力代議士の一人娘が日本で失踪したため探しているとのことで何か琴線に触れるものがあったのか小栗旬も協力。かくしてヤクザ顔面破壊殺人鬼、死体肉団子殺人鬼、二つの事件を追う二人の日米ワケアリ刑事、それぞれの運命が魔都歌舞伎町で交錯……しないのである、あんまり。

なんでこんなシナリオになったんでしょう。とくにリリー・ジェームズはほとんど添え物のようなもの、クラブで乱闘するシーンの他は大した活躍もしないしドラマに絡んでこないので、日米共同捜査のパターンというと『ブラック・レイン』とか『ザ・ヤクザ』とかああいうものを思い浮かべてしまうのだが、とくにそうした盛り上がりはないのである。お話の主軸はあくまでも小栗旬にあるらしい。借金で首が回らず進退窮まった小栗旬が猟奇事件とそれに関わる人間たちを通して俺はダメ人間じゃねぇんだよと証明しようとする過程をおそらくは描きたかったシナリオだろうと思われるのだが、そのために二つのすごく面白そうな猟奇殺人事件まで途中からどうでもいい感じになってしまった。普通こういう映画だと犯人は誰なんだろうとかどこにいるんだろうとかそういうのが面白いと思うのだが、犯人もその居場所も中盤ぐらいで急に「こいつが犯人でした」「ここにいました」とアッサリ台詞で説明されてしまうのだからハシゴを外された気分である。しかもその犯人がさぞやヤバイ奴だろう思ったらなんか大したことがなく、『ブラック・レイン』みたいな犯人との死闘とかそういうのも出てこないのである!

脚本の天願大介という人は今では日本映画大学の学長だがそれ以前は三池崇史とのコンビ作が主要な仕事(監督作としてはカルト映画『デンデラ』などがある)、ホラー監督としての三池の名を世界に轟かせることになった『オーディション』(ちなみに原作はつい先日亡くなった村上龍)と『インプリント ~ぼっけぇ、きょうてえ~』(こちらの原作は岩井志麻子)の脚本は天願大介であるから、世界市場に売るなら三池と組むのは天願でしょという人選なのだと思われるが、激しいゴア描写やバイオレンス描写を含むとしても今回はホラーではないし優れた原作があるわけでもないので、どうやら『オーディション』よもう一度とはならなかったようだ。置き手紙を残して小栗旬のもとを去る妻子とかスマホが存在しないかのような登場人物の行動とかの時代錯誤感もわりと萎える。

それでも『初恋』のような日本のメジャー市場向けに弱毒化された歌舞伎町ではない『新宿黒社会』や『DEAD OR ALIVE 犯罪者』を少しだけ彷彿とさせる毒々しい歌舞伎町が三池映画でまた観られたというのは嬉しいことだし、三池映画の一つの特徴と言えるゴミゴミと作り込まれた美術であるとか、小栗旬が歌舞伎町の路地裏をぶらつくゲリラ撮影風の場面に漂う詩情はやはり見物、だいぶ規模は小さいとはいえ河川敷でのヤクザ軍団との混乱した対決もなかなかたのしい。無情にして詩的なラストシーンはまるで『人間の証明』。俺は三池崇史は佐藤純彌の精神的後裔である説を提唱している異常者なのでここはグッと来ましたね。

もったいないなぁ。品性や人間性をドブに捨てた(あるいは捨てさせられた)クズ人間がそんな自分を変えたいと願う切なさは三池映画っぽいところだったのだし、もう少しこう、シナリオが上手くできていたら力作になったんじゃないだろうか。あと、児童養護施設の園長が自作したらしい絵本ていうやつ、保護児童に見せるにしては禍々し過ぎるよ!

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