高学歴祝祭ホラー映画『ミッドサマー』感想文

投稿日: カテゴリー 居眠り映画館タグ , , , , , ,

《推定睡眠時間:0分》

スウェーデンに行けばセックスしまくり! 的な昭和スエーデン観に乗っ取られた下半身の導きに従いどう考えてもな山奥のあやしげコミューンを訪れた学生主人公一行だったが実は下半身の導きに従っていたのはバカ担当のウィル・ポールターだけで他の学生たちはこのコミューンをテーマにした卒論を書くため、卒論の題材を探しつつ恋人との関係を修復するため、コミューンの良さを知ってもらうため、そして自分を残して家族が心中してしまい自責の念でクラッシュ寸前なメンタルを癒やすため、と意識と偏差値の高い訪問目的。カルト村を訪れた学生がお祭りムードで殺される映画といえば大正義『2000人の狂人』が代表的であるが、その訪問目的からしてそこらへんとは意識が違う。

これはなかなかおもしろいところであった。というのも滞在を続ける中で(あれ、こいつらやばくない…?)って気付かざるを得ない儀式に参加させられた主人公たちは他の村祭りホラーに出てくる意識の低い連中ならファックとかシットとか連呼しながら中指立てて車で逃げ出そうとするところ、やばいと知りつつコミューンに残ることを自ら選ぶ。何故かと言えばめっちゃやばかったので逆にこれテーマならすごいの書けるぞとか卒論書こうとしてた二人の学生は思ってしまうわけである。そんな命がけで卒論書かなくても、とは思うが進路を大学院に定めたこの人らは変にやる気を出してしまったのだ(そしてそいつらに引きずられて他も残ることになる)

そのシーンを観ながら頭に浮かんだのは中沢新一と荒俣宏が一連の事件発覚前にそれぞれ雑誌の企画で麻原彰晃と対談を行い、いずれもやや斜に構えつつ麻原彰晃を称揚していたことだった。とくに中沢新一は坂本弁護士一家殺害事件に関して直接麻原に関与の有無を問い質しているのだから(むろん麻原は否定するのだが)オウムの危険性をある程度認識していたわけで、それでもあえてコンタクトを取ることは推定無罪の原則に鑑みれば社会的にも意義のあることであろうけれど、それ以上に宗教学者として、たとえオウムが罪を犯していたとしても直接本人の言葉を引き出してみたい…という学術的な欲望があったんじゃないだろうか。

地下鉄サリン事件後の対談を読むと中沢新一にしても荒俣宏にしても麻原を「あえて」評価した、というようなスタンスが見て取れる。現代の価値観に強烈な否を叩きつけるオウムのオルタナティブ性をオウム肯定派の知識人は(事件発覚前に)支持したが、それは運動としての支持であり、大抵オウムの教義や信仰を純粋に支持したものではない。中沢新一と荒俣宏もその例に漏れず麻原をひとつのシンボルとして扱った。ようするに、悪意を込めて言えば自身の価値観やイデオロギーを補強するために麻原を利用したんである(結果的に麻原の宣伝に利用されてしまった、と二人は語る)

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『ミッドサマー』はおそらくそういう頭のよい人にとってのホラーなのである。さっさと逃げちゃえばいいのにあえてそこに価値を見出そうとしてしまう人にとってのホラーである。その意味で、俺には単なる村ホラーだったこの映画を深読みしようとする人がそこそこ存在するというのはおもしろいことだと思った。だってなにもないでしょう、深読みするようなもの、考えるようなこと。なにか読み取れるメッセージがあるとすればメンタルが弱ってる時に笑顔で近づいてくる人間とか人里離れた所での癒やしの誘いは信じるなっていう程度ですよ。

なにもなくても深読みするのが頭の良い人で、むしろ、なにもないから本当はその裏に何かあるはずだと頭の良い人は考える。オウム信者に理系の高学歴が多かったこともそのへんに理由の一端があるんじゃないすかね。バカバカしいからあえて乗る、無意味だからこそ意味を探す、あからさまにあぶないから…実はあぶなくないのだと思おうとする。でも実態は単なる殺人カルトですからね、『ミッドサマー』のコミューンの人たちも。主人公たちはそのことをちゃんと目撃しているので知っているし、観客だって本当は知っている。でも主人公も頭の良い観客も色々理屈をひねってその行為を理解しようとする。

物語の発端は主人公が双極性障害の妹から一通の不可解なメールを受け取ったことだった。その後、妹が両親を巻き添えに自殺を遂げたことで主人公は悩み苦しむ。自殺を止められなかったこともそうだし、その自殺の不可解さもそうだった。共感できない。理解できない。こうして、ある日突然不条理の世界に投げ込まれた主人公はその原因となった死の意味を探すことになる。

社会的に確立された規範秩序(ノモス)は、おそらくそのもっとも重要な局面において、恐怖を防ぐ楯と理解してよかろう。言い方を変えれば、社会のもっとも大切な機能は秩序化なのである。これに対する人間学上の前提は、本能の力をもつかと思われる人間の意味への執着である。ところが、この秩序は世界構築を命じる社会の企てを前提としている。社会から切り離されると、個人はひとりでは到底対処できない無数の危険にさらされ、極端な場合には死に瀕することになる。〔…〕そのような分離のもつ最大の危険は、意味喪失の危険である。この危険はすぐれて悪夢のように恐ろしく、人は、その中で無秩序と虚無と狂気の世界に溺れる。
ピーター・L・バーガー『聖なる天蓋』薗田稔 訳

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恋人からサプライズ的にスウェーデン旅行の誘いを受けた主人公は予期せぬ誘いに戸惑い何度も「あなたを理解したい」と非難するように言うが、家族の死も恋人の行動も形はどうあれ理解できればそれで良いというのがこの主人公なのだ。理解できなくなった世界をどう理解するか、それだけが問題だ。こうやって考えるとよくある話じゃないですか? いるでしょう、メンタルやられてああだこうだ悩んだ末に変な宗教に答え見出しちゃう人。そうやって世界を理解しようとする人。あれですよ『ミッドサマー』。スウェーデンの山奥行くか那須の山奥行くかってだけの違い。

それをさも異様なカルト作であるかのように売るんだからアリ・アスターも配給も大したもんですわね。アリ・アスターの策士っぷりに感心する。もっとも、ビジュアル的にはカルト村ものってことで『ウィッカーマン』から多くを負うが、あれほど土着的インパクトと異文化風味はなく、むしろ即席のショッキング演出と書き割り的なチープ美術は『2000人の狂人』寄りの観がある。

それが好きな人もいるだろうが俺にはちょっと狙いすぎに見えた。変な場面を作ろうとするあまり肝心の祝祭感があんまりない。コメディとホラーの中間地帯に意識的に留まろうとすることは難しい。半ば無意識的にその細い細い領域をお祭り気分で全力疾走してしまった『ウィッカーマン』と『2000人の狂人』の偉大さを改めて知る。

下半身バカ役のウィル・ポールターが最終的に一番マトモな人だったというのは皮肉なことだ。あとコミューンの正体ですが、あれ結局あの人たちが自分たちの歴史はこうでと言ってるだけなので別に信用しないでいいんじゃないですかね。孤児とか拾ってきてドラッグで洗脳して殺人に加担させて抜け出せなくして集団を維持してるだけの連中かもしれないし。あぁ、それにしても、共感を根本原理として常にコミューンの一員として活動することを求めるこのコミューン、絶対に入りたくない。

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お祭りホラー界のレジェンド。これを観れば地元に帰りたくなくなること間違いなし。

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