風景に酔う映画『名もなき生涯』感想文

《推定睡眠時間:0分》

ナチス・ドイツに併合されたといってもオーストリアの隅々にまでナチズムの魔手が届いていたわけではないらしく(最近なんだか右翼みたいな人が多くなったなぁ)と空気の変容こそ感じても主人公夫婦の暮らす辺鄙な農村ではナチスも戦争も山向こうの遠い出来事、それがリアリティなのか時代考証のやる気のなさに由来するものなのかは相当に微妙だが、とにかくまぁ精神まではナチの侵略を受けていなかった。

さてそんな折、主人公夫婦の夫に召集令状が届く。とりあえずナチ式基礎訓練みたいのを受けるまでは良かったが軍隊への編入時、ヒトラーへの忠誠を儀礼的に誓わされる段になって主人公夫婦の夫は沈黙してしまう。しょせん儀礼なんだから別に思っていなくてもハイルハイルと言ってしまえばいいだけの話だ。忠誠を拒めば戦場に行かなくても済むが投獄と拷問そして死罪が待っているし、だったらいっそハイルと手を挙げてしまった方がまだ楽なんじゃないのか?

だができないものはできない。かくして主人公夫婦の夫は獄中で沈黙と無抵抗の戦いに入る。一方、村に残された主人公夫婦の妻は夫の小さな反逆行為により村人たちから白い眼で見られるようになり、こちらもこちらで戦いへ。静かに暮らしたかっただけなのに。果たして二人は併合前のあの天国の日々を取り戻すことはできるのだろうか。名もなき戦いの行方やいかに。

巨匠テレンス・マリックの最新作はわりと久しぶりな気がする一応ちゃんとしたストーリーのある劇映画、それだけで少し好感度が上がってしまうのもどうかと思うがこのあいだ…このあいだと言ってももう5年前のことですが『聖杯たちの騎士』を観に行ったら巨匠がハリウッドでの成功を夢見る駆け出し女優を集めて裸を撮ったソフトなナンパAVみたいなやつだったので、直近の比較対象がそれになっちゃうとストーリーがあるというだけでもちゃんとやってる感が出てしまう。すごいのかすごくないのかよくわからないがそんな風に思わせるあたりさすが巨匠である。

ただストーリーがあるというのとストーリーを語る気があるというのは別の話。いつもの巨匠と言えば確かにそうだがとにかくもう、主人公夫婦のお話などそっちのけで素朴なうつくし風景ショットの乱れ打ち。なんか知らないが4Kカメラとかで撮ってるんだろう、彩度良好精細度良好。世界○○紀行的な風景ドキュメンタリーをずっと観ているようで夢心地の3時間、観ているこっちとしても結局ストーリーとかどうでもよくなってきてしまうのだった。

とくに階調豊かな植物の緑はそれだけでも観る価値があるすばらしいものだったがしかしこうなるともう、映画ってなんだろうみたいな感じになる。そりゃストーリーなんか映画にとって副次的な要素でしかないなんてことぐらいわかっているがストーリー入れるならちゃんと語れよみたいなところもある。少なくとも風景を通して語ろうとはしろよみたいな。この映画の風景はストーリーを離れて風景として独立してしまっているんですよ。

むろんそこには人間の卑小な営みを包み込む自然、人間のいつかいつでも還るべき自然、という自然イメージがナチスに虐げられる農民たちの悲惨なストーリーと対置される形であって、これがストーリーの背景を成しているのもまた理解できるところではありますけど、でもナチズムってむしろこういう素朴な自然賛美とかハイデガー的な農民思想をベースにしているわけじゃないですか。だから農民がヒトラーへの忠誠を拒む話で無批判的に自然信仰を出してくるのはいかにも考えがないっていうか、結局風景撮りたかっただけじゃんってなる。

自然光のみのパンフォーカスを基本にした撮影は風景ショット以外のシーンでも背景の自然を撮ることに特化。ドラマをどういう風に撮るかというとたぶんこれは手持ちデジタルカメラのワンシーンワンカットで撮っていて、それを後から刻んでジャンプカットで繋ぐ、という手法を採用しているんですが、まあそうすると見た目ドキュメンタリーっぽくなる。それはいいが問題は手法はドキュメンタリーなのに台詞とか芝居は劇映画のもので、これがたいそう食い合わせが悪く、ストーリーがいかにも貧相で嘘っぽいものに見えてしまう。

そこはもうちょっと考えて欲しかったよな。だって昔のテレンス・マリックそこはちゃんと分けて撮れてたもん。『地獄の逃避行』でも『天国の日々』でも風景は風景、芝居は芝居って風に別々に撮ってたからね。それが自然から切り離された人間の悲劇性を際立たせていたりしたのに…もうないからね、そういう分別。歳なのかな。人間と自然との融合をテレンス・マリック終生のテーマとすれば、ある意味その悲願は果たされたと言えるのかもしれないが…。

っていう感じでうつくし風景に陶酔の3時間ではありましたがとにかく結局風景だけを観て音楽だけを聴く映画、ストーリーの方もつまらないわけではないのですが、役者の芝居をその舞台の上で際立たせるために撮る気はあんまりなかったらしいので身が入らず。ぶっちゃけ巨匠的には「自然から切り離された人間」というシチュエーションさえ作れればいいのだろうからナチにも戦争にもドイツにもオーストリアにもたぶん大した興味はなかっただろうし、それどころか人間界のドラマなどどうでもよかったんだろう(だから台詞も普通に英語である)

自然は偉大なり。自然に還れ。無私無欲を体得し自然と一体化せよ。『名もなき生涯』とは言い得て妙な邦題だ。名を与えるとは自然を人間の目線で文節する反自然的な行為だから、テレンス・マリック映画の主人公は名も無き庶民でなければならないのだ。
ダメな映画だなぁという感想とテレンス・マリック面目躍如という感想が同居するなかなか独特な映画体験であった。

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あの素晴らしい天国の日々は今いずこ。

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