スミス日本へ行く映画『MINAMATA ―ミナマタ―』感想文

《推定睡眠時間:30分》

元妻アンバー・ハードとの泥沼離婚調停の中で飛び出したDV疑惑とそれに関連してDV夫と表現したタブロイド紙を名誉毀損で訴えて敗訴したり『ファンタスティック・ビースト』から降板させられたりで近年ダダ下がっていたジョニー・デップ株が少なくともここ日本ではジョニー・デップがユージン・スミスを演じた『MINAMATA』の公開により一気に急上昇しDV疑惑も名誉毀損訴訟(の敗訴)もみなさんキレイサッパリとまるで公害被害のように忘れてしまったようですので世の中はチョロイものというか日本の大衆はチョロイものです。

それにしても面白いのはこのユージン・スミスのキャラ造形ですよね。実際にそんな感じだったのかもしれないがろくに仕事もせずに酒とドラッグばかりやっていていて金や名誉はもちろん写真への熱意さえもはやカケラたりとも残っておらず自暴自棄の自己嫌悪、金さえ渡せば子供たちとも和解できるに違いない…とか空想するのであるが実現するだけの気力もなくあくまで廃墟のような自宅に閉じこもって空想するだけなのであった。そ、それはアンバー・ハードとの離婚騒動でキャリア的にも私生活的にもぐっちゃぐちゃになったジョニー・デップそのものではないのか…?

と下衆の勘繰りは置いておくとしてこのキャラ造形が面白いのはこれ『ラスト・サムライ』と同じなんだよな、物語の基本構造が。すっかり落ちぶれたユージン・スミスだったが日本の企業CMを撮るためにやってきたアイリーンという日系の女の人にちょい一目惚れ、彼女から水俣病の話を聞かされてそれなら俺が一肌脱がないかんやろということで日本へと向かうのでしたとこういう展開になるわけですが、その日本で被害を受けた地元住民たちを取りまとめて水俣病の元凶である化学メーカーのチッソと戦っているのは『ラストサムライ』でもサムライ衆を率いて明治政府と戦っていた真田広之だもんだからこれは『ラストサムライ』ですよ、揶揄とかではなく。

だって水俣病は言ったら中央の都合で推し進められた高度経済成長の弊害じゃないですか。それで『ラストサムライ』の場合は明治政府の強引な近代化路線でサムライ文化が潰えてしまうってんで真田広之とか渡辺謙が政府軍に抵抗するんですよ。でそこに『MINAMATA』は人生終わった感を漂わせるジョニー・デップのユージン・スミスが加勢して『ラストサムライ』もやっぱり人生終わった感なトム・クルーズが加勢して、でどっちも美波と小雪っていう名前のテイストまでちょっと似てしまっている日本人(日系)女性と仲良くなって、日本人と一緒に戦う中で二人とも魂の再生を経験するっていう…だから同じなんだよ本当に、『MINAMATA』と『ラストサムライ』は。

俺べつに『MINAMATA』は面白く観たんでそこに不満とかはないですけど、でもなんかこのへんが限界なんだろうなーっていうのは感じたよな。これはアメリカの映画ですけどアメリカ本土の目線で日本の「闘争」を描くときにはたぶん無意識的にこういう形の物語になってしまって、それ以外の目線を持つことはできないんだよな。まできないとまでは言わなくてもおそらくそれはかなり頭を使って心理的障壁を乗り越えないとできないし、それで映画会社を説得するのも相当難しいと思うんですよね。

要は、大企業とか政府に虐げられて困っているが戦う力を持たない日本の庶民に巨大な力を持つアメリカ人が加勢してあげるっていう、そういう白人酋長のバリエーションの形を取らないとアメリカの映画人が日本人の闘争を描くのは難しい。これは完璧に邪推ですけどその心理の底にはどこかしら民族的な罪悪感っていうのがあるんじゃないかしら。だって原爆落としてるわけじゃないですか、二発も。それを正当化するためには「これは政府の圧政にあえぐ日本の庶民を解放するための唯一の手段だった」とか思わないとキツイと思うんですよね。じゃなかったら自分たちが単なる虐殺者ということになってしまうので(アフガニスタン侵攻とかイラク戦争も同じ心理なのかもしれない)

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だから水俣病の話っていうかそういう話としてこの映画は面白かったし興味深かったなぁ。水俣病の話としては、まぁ30分寝てますから「見てねぇじゃねぇか!」と言われたら反論の余地がまったくないが、やっぱ闘争の日本人当事者の描写は弱かったよな。あんまり生活感とかないし。でも別に蔑ろにしてる感じではなくてさ、だから結局それがアメリカが日本人の(というよりもアメリカ以外の国の)闘争を描くときの限界なんだろうっていう話で、俺がよかったと思ったのはこの映画はそのことにはわりと自覚的だったように見えたところで。

劇中でユージン・スミスが一枚の写真は百の言葉よりも雄弁だみたいな感じの名言っぽいことを言うんですけど、映画の最後に法廷闘争で勝訴を勝ち取った闘争主体であるところの地元民の実際の写真(あれもユージン・スミスが撮ったやつなのかもしれないが知らない)が入ってきて、その写真を見たらなんかここに至るまでの二時間弱のユージン・スミスのドラマは全部これを見せるための前振りでしかなかったなみたいな、ユージン・スミスがヒーローなんじゃなくて、いやヒーロー的なポジションとしては一応描かれてはいるんですけど、でも『ラストサムライ』のトム・クルーズと同じで自分はあくまでも部外者でこの闘争は当事者が勝ち取ったものなんだっていう、それでその当事者を自分は深くは理解できないし深く関係を持つこともできないっていう、そういう自分とは違うものに対する謙虚さがなんかあったんですよ。だから写真で。部外者の自分には写真を撮ることしかできないけど、その写真には当事者しか持たないリアルなものが確かに映り込むんだみたいな、そういう感じ。舞台劇的に作られた民家のセットとかもリアルな闘争主体に触れるのは無理だからっていう自覚からのあえての選択なんじゃないかな。

あと、この映画に関して「なんで日本でこれが映画化できないんだ!」って言う人とかもいるんですけど、それ「フィクション映画で」っていう意味なら気持ちはわりとわかるんですけど(ドキュメンタリー映画はいくつもあるので)、社会運動なんていつでもどこでもあって直近では東電に対する避難地域住民の集団訴訟とか結構大きな動きだと思うんですけど、あなたたちそれにちゃんと関心持ってくれましたかね? 黒い雨訴訟だって救済を求めた住民側の勝訴が確定したのはほんの一ヶ月ちょっと前とかですけどそのニュースに触れて「これを映画化してくれ!」って言ってくれた人なんています? とか俺としてはちょっと言いたいんですよね。

大抵の場合は社会運動にヒーローはいないし華々しさもカッコよさもなくて、ああいうのはそこで戦わなければ自分たちの人生がダメになってしまうからとか、既に回復不能なくらい心身共にダメージを受けているけれどもせめてその一部だけでも取り戻したいっていう切実な動機で普通の人たちが主体となってやってるわけじゃないですか。それってフィクション映画にできるとかできないとかそういう問題なんですかね?

周知とか啓蒙とかって意味では映画にするのも意義のあることだろうし別に意義なんかなくても社会的な題材を映画にしたら単純に面白いのでどんどん社会運動ネタは映画化して欲しいですけど、でもそれは社会運動そのものとはあんま関係なくて、なんか、そういう当事者とは関係ないところで盛り上がるっていうか「なんで日本で映画にしないんだ!」とか抗議っぽいこと言うのも筋違いっていうか、光の当たらないところで人生をかけて地道な闘争を続けてる人たちに対して逆に失礼なんじゃないかとか思うんですよね。それなら普段からもっと関心持ってくれよって話で。そしたらこれは金になるでと踏んだ映画会社だって映画作るだろ。

エンドロールに流れる世界の公害被害写真集を見れば現実の社会運動にこの映画の中のユージン・スミスみたいなヒーローはいないとわかるんで、そういうことを汲み取ってもらえたらいいなーとか、なんかそんなの思う映画だったなぁ。もう映画の感想じゃねぇけどね!

【ママー!これ買ってー!】


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というわけで『ラストサムライ』を観よう。

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omoideneko
omoideneko
2021年10月4日 10:38 AM

去年ぐらいから読んでますけど初投稿です。
この映画の批評は前と少し中身変わりましたね。病院とし書かれてないとの事だったので画面に病院を探したけど無いなとか思って見てました。まあ、そこはいいです。『ラストサムライ』はそうですね、同感です。アメリカは日本に原爆を2個落としてますね。
スピルバーグあたりに広島、長崎の原爆映画をミュージカルじたてで作って欲しいです。日米豪華キャストで。