母娘わかり合えなくて当たり前映画『母性』感想文

《推定睡眠時間:60分》

俺が寝ている間にはそんな展開もあったのかもしれないが起きて観ていた後半60分に関して言えば予告編が匂わせていたような『羅生門』的真実迷子映画ではなかった。なんの映画かって母娘の思いのすれ違いの話。昔の日本映画とかでよくあるじゃないですか、母親は娘の将来を思って過酷労働に身をやつしているのに娘の方は親の心子知らずで私高校出たら生活を楽にするために就職するなんて言い出して喧嘩になるみたいな、これそういう映画でしたね。

タイトルの意味するところはラストに関わってくるところだからあんま詳しく書けませんけど、まぁ、なんていうか、すれ違うの当たり前だよね母親と娘は別の人間だもん、すれ違うのが当たり前だけどそれでも母娘やっていけるよ大丈夫、って感じですかね。世の中には母親幻想みたいなのがあって母親は子どものことをなんでもわかってるしなんでも受け入れてやれるっていう風に考える人もいるじゃないですか。そんなことないからっていうことですよ。母親も人間で娘も人間でそれぞれ見えている世界は違うし住む世界も同じようで違う。そのそれぞれが違う関係性を肯定する。そういう意味で大人の映画だなって思いましたね。

っていうのが読んでないけどたぶん原作の話。湊かなえの原作の良さ。この映画版はというとですねいやーこれはなかなかのものですよこれは、拍子抜けっぷりが。モノローグでの心情吐露を厭わないくどすぎる説明台詞に時代がかった嘘くさい台詞回し、時代がかっているのは物語のメイン時代設定が90年代ぐらい? だからだとしても時代相の演出などまったくと言っていいほど見られないのだから場違いな印象ばかりが残るしそのうちいつの時代の話だかわからなくなってくる、無音を多用するサウンドトラックは役者の繊細な演技を強調する効果があるだろうが繊細とは無縁のこれまた時代がかった大仰芝居が支配するこの映画の中ではリズム感を削いでいるだけにしか思えない、起伏がなく断片化された構成は母娘のドラマの盛り上がりをほとんど生まないし、カメラワークも主な舞台となる日本家屋の構造を生かした絵作りができておらず凡庸。

監督の廣木隆一は様々なジャンルを手掛ける多作な人だが俺にとってはいかにも安そうなキラキラ映画をその技巧でもって立派な作品に仕立て上げる職人である。その手腕は原作のトーンに合わなかったのか今回まったく生かされておらず、廣木節といってよいと思われる大仰な演技などはキラキラ映画的異世界ならプラスに作用するがあくまでも地に足の付いたこの物語の中ではマイナスでしかない。廣木キラキラ映画といえば技巧的な長回しや叙情的な風景ショットがトレードマークだが撮影が鍋島淳裕という期待させる人選だったにも関わらず今回その手のショットなし。いや、あったかもしれませんけれども俺が寝ていた前半に…。

というわけでつまらないということはないがガッカリしたのはかなり事実。そりゃまぁ高畑淳子のヨゴレ的怪演は見物だけれどもそれが作品の他の要素と調和して相乗効果を生んでいるかというと生んでいないのが問題で、脚本も出来が悪いがその最終責任はやはり監督にあるだろう。廣木隆一は今年公開された映画がなんと3本もあるらしい。多忙だから手を抜いたということもないだろうが、もう少しさぁ、もう少し作品としっかり向き合って撮ってほしかったですよ…。

【ママー!これ買ってー!】


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原作は面白いんじゃないかと思うのだが。

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